心配したんだよって言わないで



最近よく言われるこの言葉に
なんでこんなに身体が拒絶反応起こすんだと思ってずっと考えてた
そしたら思い出した



私小さい頃からお母さんいなくて
お父さんに育てられてて
何か小さな事で心配事を起こした時に私は
「心配掛けんじゃねえ」って怒鳴られて育った

勿論心配したぞって意味も入ってるのはわかるんだけど
それ以上に「自分や他人様に心配を掛けんじゃねえ」って意味だった

だから私いまだに「心配したよ」って言葉に喜びや安心を見出せない
恐怖と罪悪感しか感じられない
返す言葉は「ごめんなさい」しか無い
ありがたく無いから、ありがとうって言うのは嘘になる
「こういう時はごめんじゃなくてありがとうだよ」って言われて強制的に嘘を吐かされる
前までは受諾できる器があったけど、今は無い


心配したんだよって言葉が一般的に相手を労わる優しい言葉として認知されてるのは知ってて
それを使う殆どの人がそのつもりで言うのはわかっているから
私だけ特例でその言葉浴びないようにする方法は無い

私は世界に適応するようになって
今までは受け流せていた言葉だから気にも止めてなかった
でも今アイデンティティが崩壊してる状態で人と接すると
どんどん自分の内包していたトラウマが露出していく




私は親を恨んでいない
私が憎くてそうなってるんじゃなくて、そういう気質の人が親だっただけ
力で支配して、力で守るみたいなお父さんだっただけ


子供産んだ友達の旦那さん達を見ると、やっぱりどこか変化は薄く感じる
強制的に母親になる女と違って、男の人は「父親にならないと」って余程自分にプレッシャー掛けないと父親になれない辛さがあるよねって
まあ全員じゃないけど

父親も子供の命に責任あるけど、でもどうしても余程の母親でない限り最高責任者は母親で
どこかで残機1で戦う余裕と残機0で戦う余裕の差みたいな

結局元々父親に不向きな性格の男の人は
母親が消えたところで父親になれるわけでもない




私の父親は今の時代の感覚だと支配型の良くない父親かもしれないけど
そもそも年齢が今の時代の人じゃない
男は外で金を稼ぐ、女は家の全てをやる
心配される事も他人に迷惑掛ける事も許さない
そういう道徳で生きてきた人

そしてお母さんが居なくなった時、私は人よりも早く大人にならなきゃいけない事態に陥って
ハリボテに作った大人の着ぐるみ着て
みーちゃんって生きる意味作って生きてた

だから人より強いやつに見せてたけど
中身全然形成されない状態で大人のフリしてたから
みーちゃんの喪失でガワが崩壊して
ドロドロの中身が溢れてきた
蛹の殻を強制的に破った時みたいな




小さい頃
怒鳴られれば怒鳴られるほど
なぜ怒鳴られたかの根本を理解する事を放棄して
怒鳴られないように徹してた
でも理解出来ていないからまた同じ事して怒鳴られる


記憶に残っている一番怒鳴られた言葉は「妹の面倒を見ろ」だったから
いまだに私は妹が嫌い
妹も環境に適応するように、お父さんの矛先を私に逸らすようになっていって
悪い事しても嘘泣きして、悪さを私におっ被せる技術を得てて

お父さんの部屋のテレビの近くには大きな妹の写真が飾ってあって
私の写真は壊れた時計と一緒に棚の上に置いてあって
肺が壊れたのを報告しに行った時も「その咳が(他人様に)移らないなら別に良い」ってそれだけ言われた

私の事嫌いじゃないの
機嫌が良ければ優しいから
車貸してくれたりもするし
ただ身内にそういう言葉しか使えない人なの

小さい頃にお父さんに病院に連れて行ってもらった記憶は無い
小学校を早退して幼稚園に妹を迎えに行っていたから
多分私のことを出来損ないの大人だと思っていたんじゃないかな


自死ははじめての親への反抗心でもあって
みーちゃんの死はどんなに辛くても看取った
でもあなた達の看取りはしないよっていう意味でもあった

もし親が死んだら
生きてる限り絶対に悲しむし泣いてしまう
だって恨んでも嫌ってもないから
愛情はあるから




出来た事を9褒めるんじゃなくて、出来なかった事を1怒鳴る
そういう親に生まれたから私は
救ったものより救えなかったものを見てしまうのかな

完璧だと思えるものしか作らない
完璧に出来ないものはそもそも作り始めない
頭の中に作りたいものはたくさんあるけど、一人で作る覚悟が無いと作れない

だから六道を全う出来ていない事が心のトラウマになっていて
やりたきゃやればいいって言われた
自分のペースで進めれば良いって言われた

そういう心配をベースにした言葉や気持ちは
そのまま「他人に迷惑を掛けてはいけない」とコンバートされて
一回死んでみたのに、自分の根本的なそういうのは何も改善されなくて

たくさんの人に心配(迷惑)を掛けている自分がとにかく辛くて
逃げ道が無い中で呼吸だけしてる

どれだけみーちゃんが全部だったのかを毎日感じながら
みーちゃんの骨壷を撫でている
未だに部屋の何も変える事ができない

誰かが遊びに来てくれる時にしかご飯が食べられない
未だにみーちゃんの餌を取り替えている
アイデンティティが崩壊する前のハリボテに未だに縋って
エントロピー下げたらみーちゃん再構築できないのかなって思ってる













飯食わせてたら子供は大人になるわけじゃない
怒鳴れば大人しくなっても理解するわけじゃない

世界から怒りの感情主体で育つ子供が増えませんように

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