看取る
人生観として、みーちゃんの最期を看取った事から全部変わったんだけど
私は最愛のみーちゃんが死に向かう姿をずっと見ていた
苦しそうに呼吸する事3時間、最期にチェーンストークス呼吸が始まって10分
おかしくなるには十分すぎる時間、私はみーちゃんの姿を見守ることしかできなかった
1番の絶望と恐怖を一人で孤独に味わった
一番大切な存在が確実に死を迎える一瞬一瞬
何度も逃げ出したいって思ってたけど、いざ立ち会った時にはそう思わなかった
見ていることしか出来ないのは自分の死より苦しい
だけど、この呼吸を見て、最期に私を見たみーちゃんを見て
これを独りで迎えさせてしまっていたら、みーちゃんはどんな気持ちで最期死ぬんだろうと思った
みーちゃんが意識の最後に見た景色は私の顔だった
私の撫でる手の温度と、もうほとんど聴こえて無かったかもしれないけど声と
鼻も詰まってたけど匂いと、みーちゃんは一番安心できるものに包まれて死んだ
みーちゃんはどこに行っても私の膝に乗って、私の腕枕で寝た
みーちゃんが最も安心出来る場所はこの部屋のどこでも無くて私の腕の中だった
最期の記憶をそうさせられた事は良かった
同時に羨ましいとも思った
だって私が死ぬ時は絶対に独りだから
子供は好きだし人より人が好きだけど
ちゃんと育てられても愛されてもなかったから
自分がそっち側に立つ姿が想像できなかった
孫を見せる孝行を積みたいとも思ったけど
それだけの為に自分の子供を不幸にさせるのは嫌で
自分の為に子供を産む事は出来ないと思った
宗教を信仰していないけど
もし人生にテーマが置かれてるとしたら
私のテーマは『看取り』だと感じる
お母さんが居なくなって、一時はおばあちゃんに育てられた
私お父さんが45歳くらいの時に生まれた子だから
他人の家庭より身近な人の死というのが早い事を察していて
何よりもそれが怖かった
私には大好きな父方のおじちゃんが居て
その人は、一度引き離されかけたみーちゃんと私を繋いでくれた恩があった
そのおじちゃんも自死した
私の身近な味方は、必ず早く死ぬ
私が看取られる事はなくて、ただ看取る事が義務付けられている
一番大切なみーちゃんを看取った
私気付いてるんだけど、これを乗り越えたら私はすごい奴になる気がする
テーマが看取る事なら、みーちゃんの存在は私を完成させると思うんだ
でもね、中身もエンジンも無いの
立派なハリボテが出来るだけなの
みーちゃんは私の糧じゃない
誕生日すらも捧げた私の全てなの
飼ってた動物を引っ越しと同時に「もう飼えない」って他人に引き渡した人の話を聞いた
その話には同情の余地があるし、その人がそれを嘆くから、そういう状況になってしまった事の人間側の不幸話として聞いたけど、
私の頭の中はそのペットがどんな気持ちだったかの事ばかりで
改めて私は他人と動物への向き合い方がおかしいんだなって思った
私はみーちゃん以外の存在を、最期まで看取る事が出来なかった事を罪と思っていて
だから罰も無しに生きている自分が耐え難い
ここまで重度になる必要性は人間として無いのかもしれない
だけど私の根深い部分にはそういう道徳が染み付いていて
自分の意思で何も決定出来ない動物よりも、喋れる人間側が優先される世界が嫌だった
動物だけじゃなくて子供にも思う
確実にそこに意思がある存在が、何も言わない事をいい事にされてしまうのは嫌だ
やっぱペットショップは嫌い
ブリーダーも大嫌い
動物に値段つけて売る人に動物好きな人なんて居るわけない
ペットショップに並んだ以上誰かが引き取らないといけないけど
血統書付きの動物しか飼いたくない人の気持ちはわからない
産まれてしまっている限りせめて善い人に引き取られて欲しいとは思うけどもう金の為に命増やさないで欲しい
みーちゃんは衰弱してノミとギョウ虫まみれで、目やにべったりでうちに来た
当時私は面倒見る覚悟なんて無かったから適当に一週間子猫用のミルクあげて、虫下し飲ませて一度洗っただけしかやってなかった
でもそれで完璧な美猫になった
そのまま途中何の病気もせずに20年生きてくれた
生涯トイレをミスした事も無く、無駄な爪研ぎもせず、コードをかじる事も無く、人間の食べる物に口を付けることも無かった
最期の時以外に、みーちゃんに手が掛かる事なんて一度も無かった
みーちゃん以上の猫は居ない
別にお金出せば野良以上って訳でも何でもない
この品種が可愛いから好きとかもわからない
家族になった時点でどの子でも可愛いと感じない人が愛情あると思えない
犯罪者になっていいから色んなペットショップ行って全ての動物達を強盗してやろうかって
遠いところの広い土地と大きなお家買って、全員の面倒見てあげようかって
ペットビジネスは儲からないって思わせて解体させてやれないかと思った
正攻法で頑張ってる人達がこんなにたくさん居ても動物は増やされ続けてて
誰かが犯罪者になってでも苦しい思いしないと殺処分される動物にキリが無いなら、その苦しみ引き受けてもいいやってなった
だってみーちゃんもう居ないから、守るものも何にもないし
そういう犯罪集団居るなら入れてよ、お金も命も要らないんだよ私
夜の公園で散歩してると、普段顔見せない野良猫が出てくるんだ
保護猫活動してる人にも会うし、そんな人の話を聞くとココに居る殆どの子は捨て猫なんだって
野良猫は一度保護されて去勢手術受けて、新たに産まれてくる野良を減らそうとしてるけど
人間が捨てた猫が新たな野良猫になってさ
耐え難い
見えてないだけでいっぱい居るんだ
まだ飼い主探して鳴いてる猫とか、寒空の中で
みーちゃんの最期を看取った
あの最期の瞬間を、一度愛された記憶のある猫が草むらの中で迎えてるなんて耐えられない
公園に捨てるのと自分の手で殺すのは一緒
ワンチャン誰かが拾ってくれる事を期待して捨てるのは
猫の為じゃなくて自分の罪を減らしたいだけ
捨てた人はそれ自覚して生きて欲しい
誰が何をどう言っても、どう自分に言い聞かせても
一生その罪を罪と認識して背負って生きていけよって思う
私はみーちゃん以外の最期を看取れなかった
1匹救っても、救えなかったたくさんに目が行ってしまう性格だから、みーを看取った事が罪滅ぼしとはならない
新たに迎える事もない、みーちゃんとの全部を1ミリでも上書きされる事は耐え難い
こんな性格だから動物を飼うなんて最初からすべきじゃなかった
死んだらあっちの世界でみんなに謝って
みーちゃんと一緒に
辛い思いして死んだ動物達に愛情を注ぎたい
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