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ストーリーをスキップする派だったアナタへー(ネタバレなし)暁月感想ー

この感想では、物語の確信に触れること、登場キャラクター名や地名などのネタバレは排除しました。

ストーリーが嫌いだった

あまりおおっぴらに言うことは避けてきたけれど、わたしは半年くらい前までFF14のストーリーが嫌いだった。

旧14からプレイしていて、それだけFF14に愛着を持っているにも係わらず、ストーリーは全てスキップしていた。

その理由は2つある。

ひとつは、FF14の世界において、自キャラが何者で、他プレイヤーがどんな関係であるのか整理がつかなくて気持ち悪いこと。

ふたつ目は、単純にお使いクエストの繰り返しが面白く感じなかったことだ。

14の物語の中で、自キャラは英雄と呼ばれる。

その世界で唯一無二の存在として描かれる。

けれど世界には無数に同じ物語を背負ったプレイヤーがいて、その矛盾が気持ち悪かった。

それと、悪名高いお使いクエスト。

どう考えても物語の本筋に必要のないようなモブ退治やアイテム集め。

特に新生ではそういったクエストが延々続いて、ひとつ目の矛盾を許容できないことと相まって、ストーリーをスキップして進めるようになった。

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あらためて、物語を追う

私は新生のパッチ2.2あたりでFF14を一度離れて、漆黒の5.2で戻ってきた。

戻ってきて最初にお世話になったFCでは、「とにかく漆黒の物語は面白いから」と何度も教えてもらって、漆黒だけは流し見程度に物語を追った。

確かに面白かったと思う。

新生・蒼天・紅蓮の話を知らないから、細部について理解の追いつかないところはあるけれど、エメトセルクとの一連のやり取りや、満を持してのハーデスとの戦闘は、分からないなりに感情の高ぶるものだった。

そして、やがて、わたしは沢山の友人たちと出会う。

彼ら彼女らはFF14の物語を愛している人たちが沢山いて、わたしもその物語を共有したいと思った。

サブキャラクターを作って、もう一度新生から物語を追い始めた。

正直に言えば。

最初はすごく面倒だった。

新生の途中までは、カットシーンでツイッターやYoutubeを横目に見たりしていて、うっかり話の筋が頭に入らないこともしょっちゅうあったし、相変わらずのお使いクエストは憂鬱で、歩みは遅かった。

それでも我慢して紅蓮まで物語を進めることが出来たのは、友人たちの熱量と彼ら彼女らが大切にしているものを知りたい・一緒に楽しみたいという気持ちがあったからだ。

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好きなゲームを手放しで褒めることが出来るのはうれしい

そして、紅蓮を終え、漆黒の物語を全て理解した上でプレイしてぶち上がり、暁月に至った。

本当に素晴らしい物語だった。

好きなゲームを手放しで褒めることが出来るのは、こんなにもうれしい。

暁月を素晴らしいゲームにした理由をわたしはこう考える。

まず、FF14が旧バージョン以来、11年積み重ね続けてきたゲームであること。

システムの開発と改修を積み重ね、物語を積み重ね、キャラクターの内面を積み重ねてきた11年間。

それが暁月を人生でもう二度と味わうことは出来ないだろう感動を与えるゲームにしていると思う。

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システムの積み重ね

新生当時、FF14は快適なMMORPGとは言い難かった。

旧14の運営を続けながら、たった2年で完成させたことを思えば、仕方ないのだろうけれど、ストレスの貯まる仕様がそこかしこに点在して、プレイヤーがゲームに没入することを阻んだ。

例えば、チョコボに乗ったままNPCに話しかけることは出来なかった。

必ずプレイヤー自らチョコボから降りる操作をしてから話しかけなければいけなかった。

戦闘ではTPというものが存在して、ウェポンスキルを繰り出すためにはTPの管理が必要だった。

なのに、スプリントの使用にはTPを全て消費したし、戦闘中にTPは枯渇しがちで、バトルに駆け引きを生んでもいただろうけれど、多大なストレスも与えていた。

フィールドで生産用の素材を集めるギャザラーにはスニークがなく、常にモブから絡まれる危険性を孕んでいたし、それを避けるためのステルスは歩く速度でしか移動できなかった。

チョコボに騎乗中も、モブから攻撃されれば鈍足のデバフがついた。

そういった、数々のストレスを生み出していたシステムが、11年間をかけて改修されていった。

過去に実装されたコンテンツや仕様についても常にQoLの向上が続けられている。

新生や蒼天ではメインとなる街にエリア移動が含まれていたけれど、紅蓮以降は一つのエリアで完結しているといったことも、これまでの反省を生かして生まれたものだろうと思う。

そうやって、ゲームに没入することを阻むストレッサーをなくし続けてきたこと。

その積み重ねと、FF14の開発チームなら、必ず不満点があってももっと良くしてくれるだろうという信頼を築き上げたこと。

それが、暁月を面白くしている理由の1つ目。

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物語の積み重ね

物語は、もちろん、漆黒までに積み重ねてきたものがあるから面白い、と言うのもある。

でも、それ以前に語り方がとても上手になった。

以前だったら「この話を各国の首長に伝えよう」みたいな流れがあったら、本当に各国を回って、同じような話を何度も見せられていた。

それが、今回は「他のNPCが伝えに行っている間に他のことをしよう」といった形をとることが多い。

また、どうしても避けられない面倒な話、政治的な話なんかは、大事で面白いと感じる部分だけカットシーンで流したあとは暗転して、見えない間に説明がなされたことが暗に伝えられる。

それと、過去視。

プレイヤーが経験できなかった過去の物語が語られるとき、必ずと言っていいほど使われた過去視による回想は、ほんとうに大事な所でしか使われなくなった。

NPCの簡単な会話で済むところは、わざわざ回想シーンを入れることなく説明されて、とてもテンポが良くなった。

FF14の開発チームはとても真面目なのだろう。

だから、説明したり、共有したり、過去に起こった出来事であったり、全てをプレイヤーが間違って受け取ることがないように、丁寧に丁寧に描いていたんだと思う。

けれど、今回、こうやってテンポよく物語を語るために「何を描かないか」を選択していることは、開発チームからプレイヤーへの信頼じゃないだろうか。

ここまでついてきたプレイヤーなら分かるはず、と、物語を追いやすいように何を見せるべきか、取捨選択が行われている。

おかげで、暁月の物語は面倒くさいと思うことがとても少なかった。

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ムービーゲー

それから、暁月はムービーゲーだ。

プレイ時間のほとんどをカットシーンが占める。

おそらくこれをFF14以外のゲームでやれば、不満の嵐になるだろう。

それを不満ではなく楽しみに変えたのは、11年の物語の蓄積の上に成り立った物語の面白さと、カットシーンの見せ方の上手さだった。

シナリオの力によって、カットシーンだらけのゲームに本来あるだろう不満をねじ伏せている。

かつて、FF4,5が発売されたとき、プレイヤーの不在、見ているだけで勝手に進んでいく物語は大いに批判された。

だけれど、(小野不由美がエッセイ”ゲームマシンはデイジーデイジーの歌をうたうか”で言っていたように、)FF6の圧倒的な物語と演出の力で、スクエアが見せたかったFFはこれなんだ、と不満をねじ伏せた。

その偉業が、再びFF7以降のモダンFFの到達点として、FF14によってなされたのだと、わたしは思っている。

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キャラクターの積み重ね

まずは登場するNPCたち。

登場人物たちにほんとうに人間的に素晴らしい人が多かった。

妙に嫌な性格や尖った行動をとらせなくても、それぞれに個性を持った魅力的なキャラクターとして、彼らは描かれている。

FF14のシナリオが11年のはてに至った筆力の為せる技だと思う。

それから、プレイヤー自身。

旧14から漆黒に至るまで。

積み重ねてきたものが、英雄が世界を、人々を救ってきたという物語が、自身の内面になった。

決して自分から多くを語らないプレイヤーキャラクターが、11年という長大な歳月をもって肉付けされている。

そのキャラクターが暁月で何をなすのか。

わたしはそれに釘付けになった。

そして、暁の面々は。

ここまでプレイした人たちなら、説明する必要はないと思う。

11年分の物語をともにしてきたことで、彼らはそんじょそこらの物語では到達出来ないほど深みのあるキャラクターになったし、なによりその成長を、迷い悩み、打開する様をずっと間近で見てきた。

彼らがいるから、この物語はかけがえのないものとなった。

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物語を楽しめるMMORPG

こうして、FF14は最高の物語を楽しめるMMORPGとして、現在言うまでもなく、MMORPGのトップに君臨している。

英雄が沢山いることは、いつのまにか気にならなくなった。

この圧倒的な、長期に運営されているMMORPGにしか語れない物語を追うことに夢中になった。

友人たちに出会えてよかったと思う。

そうでなければ、未だにわたしはスキップ勢のままだっただろう。

たぶん、これ以上のMMORPGに出会うことは、わたしの人生には二度とないのだろうと、そう思っている。

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