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JADOES - Step into the city light

ダンス☆マンは、もと芸人だった。
今頃、ダンス☆マンを引っ張ってくるのも古いが、
そもそも80年代のネタを中心に書いているので、
それから比べれば十分に新しいwww

今回のお題は、
JADOESです。

ダンス☆マンは、以前JADOESお笑いトリオで活躍していた芸人でした。
JADOESでBass&Vocalと主な作曲を手掛けていたのが、
ダンス☆マンである藤沢秀樹である。

そもそも大学のサークルのりでバンドを組んでいたJADOES。
ライブでのMCのモノマネが受けて、お笑い芸人としてテレビに。

でもやはり音楽が根っから好きだったらしく、音楽でデビューしたいと彼らのとった行動は、彼らが尊敬していた角松敏生の自宅のポストにデモテープを投函するという大胆なものだった。

でも、それが功を奏してか、角松プロデュースでアルバムデビューを果たすというんだから、まぁ凄い話だ。

ここに貼り付けた曲をいくつか聴いてもらえば角松好きなら分かると思うが、まんまアレンジは角松節である。

そして、タイトルのStep into the city lightに至っては、
アレンジ元ネタは、スクリティー・ポリティーでしょう。

当時、角松さんがスクリティー・ポリティーのこの曲が好きでラジオでかけていたような覚えがあるので、JADOESの曲でそのアレンジを持ってきたのでしょう。
ただし、テイストこそ似ているが、コードラインとかアレンジの根底にはしっかりと角松節が鳴っている。

セールス的にはどうだったのかというと、これは成功したとは言い難い。
恐らくCDを買っていた殆どが角松ファンだったのではないかと、勝手に想像するわけで。。。

ただしアレンジや作曲の面では、角松さんから買われていたと思われ、
中山美穂のアルバムプロデュースにも参加して曲提供やコーラス参加などをしている。

角松プロデュースから離れた後でも、長年の修練から、自身で高いクオリティーのサウンドをクリエイト出来ていた彼らは、自身でバンド活動を継続するも、その後もセールス的には上手くいかず、活動休止状態へ。

それと時を同じくして活動し始めたのがダンス☆マンという事である。
ダンス☆マンの活動としては、モーニング娘。の「LOVEマシーン」の楽曲アレンジをして大成功をおさめる。

以上がダンス☆マンの歴史である。
でも、そもそもダンス☆マンって誰よ?っていう世代がもう成人してるんだよね(爆)

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