見出し画像

日本美の象徴〜着物〜

 最近では、一年があっという間に過ぎていくのをひしひしと実感します。
 皆さんはどんな一年をお迎えでしょうか?新しい自分に出会う年?新しいご縁を繋ぐ年?きっと沢山の新しい出来事が待っていることでしょう。本年も皆様のご多幸を心からお祈りしています。
 さて、しばらく警察勤務時代を綴ってきた前号までではありましたが、お正月といえば日本美。日本日といえば着物。着物といえば…ということで、私の着物生活について、若かりし頃を少し振り返ってみたいと思います。
 最近ではお正月と言っても着物を着て過ごすことが本当に少なくなってしましました。が、いつかは、着物だけで生活したいと思いつつの昨今です。高校生の頃は「おばあちゃんになったら、着物で過ごす!」って思っていました。なぜ、そんな風に思ったのか?なのですが、私が、着物を着るようになったキッカケ、それは、茶道を学んでいたからなのです。高校時代に叔母が茶道師範ということで、茶道と華道を習い始めました。右も左も分からないながらに、必死に取り組んだものです。華道はお陰様で師範御免状を頂くまでに到達しましたし、茶道もそこそこのお免状を頂いていた記憶があります。すっかり忘れてしまったので、引っ張り出して見てみようと、今、こうして綴りながら思っています。華道師範の御免状を持っているからと言っても、すぐに師範となれるか?についてはそうではなく。数々の修行が必要なのが「道」のつく世界です。ので、師範はできません。
 茶道では、当時は「御点前が本当に美しい」と叔母から大層お褒め頂き、高校生なのに、お茶席の御点前を預かったものでした。もちろん大変緊張しましたし、「何度やっても、間違う気しかしない…」と思いつつ毅然と御点前をしました。今思い出しても顔から火が出そうです。更に、茶道を学ぶことで、着物を着ての所作や襖の開け閉め、お辞儀、手の置き場所に至るまで、些細な所作を身に着けることが出来ました。本当に奥深すぎて、今の私には再び茶道の道に戻れないのも事実ですが、学び多き道であることは間違いありません。ここで茶道を語ると終わらなくなりそうですので、茶道談議はいつかまた…
 お茶会では、着物を着て参加が基本です。自分で着付けができないと、早朝から着付けて貰わなければならないということになります。そこで、母と相談し、着付け教室に通うことになったのです。母は、昔から私と一緒に何にでもトライしてきました。あれこれ、準備して、着付けのレッスン。なかなか上達しないものの、お茶会には間に合わさないといけませんから、必死で着付けができるように努力しました。着付けるにも相当な時間も要していたと思いますが、そんなことはすっかり思い出せません。17歳にしては、よく頑張りました。と自分を褒めておきましょう。この頃から、着物にはとても愛着があり、チャンスがあればいつでも着たいと思うようになりましたが、流石に高校生では着物生活という訳にも行かずでした。お茶会の度に着ることで精一杯でしたが、それでも機会ある毎に着れることが嬉しかったです。高専の卒業式では袴ではなく、敢えて、無地の訪問着を着ました。かなり、渋い!保護者と間違われる程の渋さでした。が、本人は至って満足でした。「自分らしさである。」は、この頃には既に備わっていたようです。
 その頃、父母とは、呉服屋さんにもよく伺いました。個人的には、呉服屋さんとは敷居の高いものだとも思いましたが、当時は父母と一緒だったので、そんなことも気にせずです。そういう意味でも、恵まれていたことに本当に感謝です。若いながらに良いものを見る目を養わせて貰いました。「チャンスはいつだってそこにある!」のチャンスを一ミリも逃さず、時間があれば、父母に着いて行きました。着物もそうですが、骨董品もよく見に行ったものです。こうして育った私は、骨董品も大好きです。実は、古物商許可証も持ってます。あと、家の中は骨董品が溢れています。愛着のある骨董品はいつまでも眺めることができますし、一生ものです。…話が外れてしまいました。笑
 良い品物を見る目を養うのは、本物に触れ、そしてよく観察することです。品の良いもの、いわゆる本物は、反物そのものの風合いも重みも色合いも全てにおいて「素晴らしい!」の一言に尽きます。反物に込められた技は、職人一人一人の想いがギュッと詰まっています。一織り一織りが浮かび上がらせる文様、一糸一糸が魅せる表情は本当に溜息が出るほどです。「美しき技とはこのことをいうのだな。」と圧巻です。私が普段着ている着物も、母から譲り受けたとても素敵な作品ばかりです。品質の良さは勿論ですが、着心地が最高に良いです。勿体なくて着れないと思ってしまいます。しかし、着物は、着てこそ生きるものです。
 ということで、4〜5年前に「着物生活をしよう!」と急に思い立ち、もう一度着付けを習い直したのです。母の友人で呉服屋にお勤めの方がいつも素敵に着物を着こなしていたので、これはチャンスだと伝授して頂きました。親切にも仕事前の早朝6時から「ワンポイント着付け教室」をして頂き、何回もお稽古を重ね、日々着物を着る練習をしました。自分に課題を出すのが大好きですから、「いかに速く、いかに美しく着るか。」を目指しました。そして、「いつまでも着崩れのない着方が出来るか!」を研究したのです。折角着るなら、お洒落に着たいですよね。しかも、格好良く!今流行りの和洋折衷の可愛い着方は、私には出来ないのですが、「超正統派の着付けにもお洒落であるべし!」と勝手に思っていますので、素敵な見せ方も探します。着物の良いところは、何を合わせても様になるというところ。色合いで合わせるのも良いし、織り方で合わせるのも素敵です。小物遣いが偏らないように、多種の組み合わせで楽しんだり、一箇所を変えるだけでも何通りもの組み合わせができるので、本当に楽しいです。個人的には帯締めには拘りがあり、同じ種類の色違いを愛用しています。締り方が全然違うのです。キュッと一度締めたら緩まない帯締めが大好きです。帯揚げも渋いのが好みです。得に茄子紺は重宝する色合いです。ふんわり見せる粋な帯揚げの終いの仕方は、お気に入りの結び方です。ワンポイントお稽古の良いところは、そのお稽古で身に付くところです。
 そして、私のお気に入りといえば!とてもじゃないけど普段着には出来ないのですが、私が母に借金して買った着物「風神雷神の総刺繍が施された着物」です。これは、私の一目惚れ♡「着るだけはタダだから。」と言われて、袖を通したら、一瞬で「欲しい!」に変わり、次の瞬間には交渉していたという笑い話です。勇気を出して交渉して良かったと今でも思いますが、あの頃の私?いや今の私にも大金です。でも、お気に入りの一生モノは、大切な想いが刻まれていくので、本当に満足なのです。聞いた話では、日本橋の三越で8倍の価格で展示されていたとか…恐ろしい…
 その着物は漆黒の地模様の反物に、風神雷神がきめ細やかに刺繍されています。筆で描かれたところは一切なく、その細部にまで、一本一本全てが刺繍なのです。何種類もの絹の糸で仕上げられた風神雷神は、その細かさ、色合い、表情、流れ、ライン全てに満足するものでした。総刺繍とあって、生地もとても厚いです。「これくらいないと刺繍には耐えれないからね。」と言われて納得。着心地も、当然と言っていいほど、満足できるもの。普段着に出来なくて残念ですが、機会ある毎に着ようと思います。ちなみに、八掛は赤。まさに「黝と赫」これを実現した私のお気に入りの着物です。
 「着崩れない着方ワンポイントお稽古」にご興味のある方は、fusenKazura.HPリンクまでお問い合わせください。fusenKazura.は、「全ての女性に美しく輝く未来を運ぶ」お手伝いをしています。私と一緒に「美しき技」を追求してみませんか?

【fusenKazura.】
https://www.akiyofujimoto.com

よろしければサポート頂けると大変嬉しく存じます。サポート費用は今後の撮影や執筆活動資金として活用させて頂きます♡