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「DAYS JAPAN」と「ジャニーズ問題」〜メディアの人間としての覚悟の話

◆少なくとも7年前から、みんなで見過ごしていた

 Twitter(現在はX)のタイムラインに、こんなつぶやきが流れてきた。

https://x.com/dragoner_JP/status/1701212121839862176?s=20

おかげで、2015年の文春砲と、2016年の公開謝罪のことを思い出した。

ジャニーズ問題に関して、この間、テレビ関係者が「見て見ぬ振りしていた」とか「実態が分からなかったので口を出せなかった」と曰うが、文春の記事からSMAPが解散に至る過程のすべてが、ジャニーズ事務所のハラスメントを赤裸々に表面化させて、一般人にとってはジャニーズ事務所という企業のハラスメント体質は公然だった。そのことを知らない人は少ないだろう。

そもそも端緒となった文春の記事が、取材中にメリー喜多川がマネージャーに対するハラスメントをしている姿を告発した記事だった。
で、公共の電波を使って国民的アイドルが私企業の社長へ公開謝罪したことで、一般人がハラスメントを目の当たりにした。
これでは、当然ながら「よく知らなかった」は通用しない。あの謝罪ハラスメントを見た人はすべて、何らかの理由で自ら見過ごしていたことになる。

あのタイミングでメディアがもっと追及すべきだった。あの時にもっとジャニーズ事務所の異常さの実態を暴いていれば、少なくともそれ以降の「被害」はなかった可能性がある。メディア(しかも文春編集長)が取材しているその場所で、あるいは全国民に向けたテレビ電波を使って、露骨に、平然と、ハラスメントをする企業であることを批判的に報じていれば、その延長線上にある性暴力やセクハラにもつながった可能性がある。実害だけでなく、被害者の救済もふくめて早まったかもしれない。その責任はみんなにあると思う。

結局のところ、テレビも新聞も芸能界のなかでプレイヤーの一人。だから、「身内」に対して何も言えない。なぜなら、多かれ少なかれテレビメディアや新聞業界にもその体質があるから。
要するに自分もそうしたハラスメントの加害側の一部であると、実は「自覚」しているということ。
今年の春、BBCがパンドラの箱を開けてしまったのは、テレビなどのメディアを含めた「芸能界」の、セクハラ、パワハラ、暴力が「公然と」蔓延っている姿を世間一般に改めて突きつけたからだ。
そして、ようやくメディアのなかで自分ごととして動きが出てきた。まだまだ芸能界やメディア業界の中での動きが鈍いけど、少しだけ動き始めた。

メディアの中の、とくに企業の中にいる記者たちは、もっと書いてしまえばいいと思う。ジャニーズ問題に限らず、自分たちの周りで、自分の横で、自分の目の前で、ずっと起きてきた人権蹂躙の姿を。過去の自分や嫌な記憶と向き合うのは辛くても。今は、向き合って、書いてしまう、その機会なんだから。
組織の中にいると書けないことが多いのは百も承知だけど、記者は、精神的にもっと自由でいい。
そういう精神的な自由を持ち続けないと、きっと後で後悔する。

◆「DAYS JAPAN」との類似性

ジャニーズ問題で、所属タレントや周囲のメディアの人間たちが「知らなかった」「噂は聞いていたが本気にしていなかった」という態度を見せるのは、広河隆一のセクハラが表面化した時の、広河氏を知る多くのメディア関係者の態度にとても似ている。
あの時も、僕は多くの(とくに人権に配慮していると自覚している)メディア関係者に対して「嘘つけ」って言いたくなった。

広河氏のハラスメント体質は、半ば公然だった。
広河氏と交流があったり、多少なりともDAYSと関わってる人なら、知らない方がどうかしている。僕みたいな遠い関係でもかなり以前から、ハラスメントの関する噂は聞いていたくらいなのだから。

例えば、2012年に広河氏が福島で起こした事件については、多少なりともその内容は、DAYSと関わってない人たちにも広がってた。
日隅一雄さんが例の記者会見してからしばらくの間、僕は、あらゆる人に、なぜそうなったのか、明らかにすべきだと、日隅さんを含めて批判した。

広河氏のツイートより。広河氏が指摘した「締め付け」は、確かにこの時期に警戒区域内で起きたのだが、それは広河氏が起こした事件(それもセクハラもしくは暴行未遂につながっていた)によって警察が警戒したからだった。

とはいえ、僕だって、広河氏を告発した記事を書いたわけじゃないし、業界の人と広河氏の話をすれば批判してはいたけども、それを公然の場で告発したわけじゃない。
色んな理由で、みんなで表面化させないでいた。みんなで長い時間、見過ごしていた。

でも、文春が広河隆一のセクハラを告発した記事を出し、あの時はDAYSのスタッフ・元スタッフたちが、自ら勇気を出して被害を訴えた。特に現役スタッフ、あるいは当時メディアで働いていたスタッフたちの告発は、業界のなかでは衝撃的だった。
そして、メディアの中の人たちで、広河氏と交流のある人たちも、自分の過去を見つめ直す機会を得た。
本当の意味で自分の過去と向き合ったかは分からないけど、少なくとも広河隆一という、とんでもない男とは訣別できたはず。
「広河氏を批判することは、権力ウォッチしているメディアを攻撃することになる」
「あの素晴らしい報道写真家の広河氏が、そんな悪魔の所業をするはずがない」
そんな思い込みに縛られることがなくなり、多少の差はあれ、メディアの人間としての精神的な自由さを取り戻したはずだ。
いま、広河隆一というジャーナリストを評価するときに、「いろいろあっても、写真と報道内容はすばらしい」と評価を全面に出す人間は、メディアの中にほとんどいなくなった。「広河隆一に問題があっても、DAYS JAPANに罪はない」という論説も、見かけない。

 
さて、ジャニーズ問題に話は戻って。

現役のタレントに対して無責任に被害を告発させてはいけないけど、もしも現役のタレントから被害の実態が明らかになり、その下劣さが明るみになれば、いまも見て見ぬふりをしているメディアを含めた関係者たちが、ようやく自分とジャニーズの過去に向き合うのかもしれない。

メディアの記者たちは、「ジャニー喜多川の日本のエンタメ業界に対する功績は大きい」とか、「タレントに罪はない」とか、戯言を言っている前に、過去の自分と向き合った上で、現役タレントの被害の実態を引き受ける覚悟を持てって話でね。

もちろん、安易にタレントにカミングアウトさせろって話ではなくて。取材者としての覚悟の話。
覚悟を持って、メディアの中の人として、記者として、表現者として、「自由」を取り戻せ。

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