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砂糖菓子のような虚構の世界に酔う時間。アンドリュー・ロイド・ウェーバーの『オペラ座の怪人』

こんばんは、クラフトビア子です。

お酒からもクラフトからも、書いていることがだんだん離れてきている気がするんですが(笑)。今晩は、柄にもなく映画・ミュージカルについてちょっと書いてみたいと思います。


本題に入る前に、『オペラ座の怪人』をご紹介

みなさんは、人生のターニングポイントや、人生のあるフェーズでの彩りとして、なぜだか毎回出会う映画・ミュージカル作品を持っていませんか。

ビア子の場合、どうやらそれは、アンドリュー・ロイド・ウェーバー版の『オペラ座の怪人』みたいです。

本題に入る前に、少しだけ『オペラ座の怪人』の説明を。

『オペラ座の怪人』は1900年代に、フランスの作家、ガストン・ルル―によって発表された小説。パリ・オペラ座を舞台に繰り広げられる壮大な愛の物語です。

その舞台の壮麗さや社会背景、ストーリーに魅了され、古くは戦前から、たくさんのクリエイターの手によって、映画やミュージカル作品がいくつもつくられています。

特に有名なのが、アンドリュー・ロイド・ウェーバー版のミュージカルでしょう。有名なパイプオルガンによる旋律は、誰もが一度は聞いたことがあるはず。
ロイド・ウェーバーはミュージカル音楽の神様みたいな人で、『キャッツ』『エビータ』『ジーザス・クライスト・スーパースター』といった、大ヒットミュージカルの作曲を手掛けています。

このロイド・ウェーバー版『オペラ座の怪人』は、国内では劇団四季によってロングラン上演されていて、2024年は横浜での上演が決まっています。

さらにロイド・ウェーバーが自ら脚本を手掛け、制作に携わって映画も公開されました。それが2004年版の映画『オペラ座の怪人』です。

この映画は、世界でも日本でも大ヒット。アカデミー賞にもノミネートされました(惜しくも受賞は逃しましたが)。

『オペラ座の怪人』との個人的邂逅

さて、ようやくの本題です。
人生のフェーズごとに、あるいは人生のターニングポイントでなぜか再会する作品が、ビア子にとっては『オペラ座の怪人』らしいという話。

私が『オペラ座の怪人』に初めて出会ったのは中学三年生の夏でした。

高校受験を控え、志望校を決めるために、いくつかの高校の文化祭を見学してまわったのですが、結果的に母校となった高校の文化祭の三年生のあるクラスで上演されていたのが『オペラ座の怪人』だったのです。

母校は独特な文化祭で、全学年・全クラスがミュージカルを各教室で上演するのが伝統でした。非常に自由な校風なので、特に決まりがあるわけではなく、お化け屋敷や屋台などをやっても問題ないのですが、とにかくみんながミュージカルをやりたくて、全クラスがミュージカルを選んでいるのでした。

なんの予備知識もなく、机やいすを教室後方に重ねてつくられた客席で観た『オペラ座の怪人』。オリジナルどおりにやると2時間くらいかかるので、途中を端折るから話の筋がところどころわからないし、高校生がやっているのでさらに何がなんだかわからない(笑)。

この人はどういう関係の人?? 誰?? みたいな疑問がつきまといながらの観劇でしたが、そうした不足を補ってあまりある感動があったのです。

音楽の美しさや主人公の悲しみは、ただの高校生が演じていても、しっかり伝わって、中3の私の胸を打ちました。

それで進学を決め、受験勉強に励んだわけです。幸い合格し、私もミュージカルをやる側にまわりましたが、『オペラ座の怪人』を演じることはなく卒業しました。でもそれでよかったと思います。演じたいのではなく、その世界を観客の立場からたのしみたかったから。

その後『オペラ座の怪人』のことはしばらく忘れていて、社会人となったある日、映画化された『オペラ座の怪人』(2004年版)のDVDに出会います。

さっそく買って、自宅で何度も観ました。

文化祭で観た、あのときのミュージカルの本来のストーリーや音楽を初めて知り、夢中になりました。同期や友達にも布教し、自宅に招いたときも観ました。実家に帰省しても観ました。

なぜ、そこまで熱狂したのかわからないけれど、高校に入るくらいの自分とのタイムカプセルが、こんなにもすばらしい作品だったことを心から喜んでいたのかもしれません。

さらに、翌年には会社の企画で、劇団四季の『オペラ座の怪人』を観る機会を得ました。

映画とほとんど変わりない音楽・舞台展開に驚き、興奮したのを覚えています。(それもそのはずで、ロイド・ウェーバーがほとんどミュージカルに忠実な映画をつくるべく、制作に携わったからシンクロしているのだと後で知りました。)

それから、DVDはごくたまに、数年に一度観るかどうかという時を過ごしました。その間に、結婚し、子どもを産み、仕事も変わり、子育てをして――という目まぐるしい十数年が過ぎていきました。

気がつけば、小学生の娘がDVDを見つけて観るようになっていました。

『オペラ座の怪人』はそれなりに大人の話だし、日本語の音声はついていません。字幕だけでストーリーを追うのですが、音楽と美しい舞台美術、もの悲しくも飽きさせない場面の展開で、娘もけっこう楽しめているようなのです。

かつての私のように、何度も繰り返し観るうちに、あの有名な旋律を口ずさむまでになりました。

昨年、機会があって、劇団四季の四季劇場で上演されている演目を娘と観に行きました。

すると、ホールに入るなり、娘が大興奮。演目は違うのですが、「オペラ座の怪人みたい!」とはしゃいで、オーケストラピットを観に行ったり、客席の様子を眺めたり、シャンデリアはないかと天井を見たりと忙しそうにしています。(シャンデリアはもちろんありません)

さらには違う演目なのに、開演までオペラ座の怪人の有名な旋律を小さく口ずさみはじめて、「そこまで好きなのか」とちょっと笑ってしまいました。

だから、今年は横浜に『オペラ座の怪人』を娘と観に行きます。

きっとその前に、二人でDVDを観て、予習もしていくと思います。

私も観すぎて、最近では仕事の大事な場面なんかで「これはポイント・オブ・ノーリターンだな」などと、ラストのハイライトのシーンをセットで思い浮かべるくらいになっています。(しかも、ファントム役をつとめたジェラルド・バトラーの声で。当然、ジェラルド・バトラーのファンです(笑)。)

砂糖菓子のような虚構の世界に酔う『オペラ座の怪人』の魅力


ミュージカルや映画で描かれるパリ・オペラ座の世界は壮麗で華やか。一方で、踊子たちとパトロンの関係や特異な容貌をもったファントムへのいわれなき差別など、当時のモラルや社会構造の課題も垣間見える作品になっています。

ヒロインのクリスティーヌは主体性がないように見え、ハンサムで財力もあるフィアンセを結局選んでしまって、なんだかがっかり感があるし、今の時代から見れば納得のいかない筋書きだと思います。

映画のファントムはバトラーがかっこいいので、あまり悲壮感がないし……。虚仮にされたソプラノ歌手が気の毒な気もしちゃいます。

それでもいいのです。

驚くほど華麗で、細部まで工夫された舞台美術に、パリ・オペラ座の華やかさ。登場人物はファントムまでもが美しく、スマート。主役たちと対極に位置し、一見醜悪な登場人物たちも、どぎつくゆがんだ20世紀初頭の芸術のようなスパイシーな存在感を放ちます。

すべてが虚構。おとぎ話。

現実を束の間に忘れ、美しい音楽と場面をひたすら楽しむ、砂糖菓子のように精緻にとてつもない労力とこだわりの上に組み立てられたフィクション。

それを何度でも、自宅で再生できる――。まさかの娘ともシェアできる――。

すごい時代に生きているんだな、と改めておもいました。

2024年は、また『オペラ座の怪人』と向き合うから、あとから振り返るとターニングポイントだったと思えるかもしれません。

それを楽しみに、この作品を長く長く、愛し続けたいし、賞賛を贈り続けたいと思っています。





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