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全てのクリエイターはアーティストになるしかない話

アメリカの人工知能開発企業openAIが、2022年11月に生成AI『ChatGPT』を公開した。

『ChatGPT』の登場をメディアは衝撃をもって取り上げ、その能力の可能性と未来図の考察を連日報道した。

さらに、その後リリースされた画像生成AIによる高画質な生成画像、動画生成AIによる生成動画は、ChatGPT以上の衝撃を私達にもたらした。

驚くべきことにAIによって生み出された画像や動画は、プロンプトという言葉の指示のみで生成され、誰でもカンタンに生み出すことができる。

人工知能というSFじみたものの実用化は、まだまだ先の未来だと考えていた私達に対して、急速に未来が近づいてきた感覚がある。

生成AIが高画質な画像や動画を生み出す様子を見て、真っ先に危機感を覚えたのはイラストレーターや映像クリエイター、フォトグラファーなどのクリエイター達であろう。

今後、クリエイターの仕事にどのような影響があるのか、AIによって画像や動画がカンタンに生み出される時代に、イラストレーターや映像クリエイター、フォトグラファーなどのクリエイターはどうすればよいのだろうか?

今回の記事は、あくまでも一つの考察、推測でしかないので、話すほどのことではないが話すことにした。

安い仕事は生成AIがやる

付加価値が低い、いわゆる「安い仕事」の多くは生成AIがこなすことになるのは間違いないと考えられる。

仕事には継続案件と単発案件があり、継続的に大量の画像や動画が必要な企業ほど単価が安く、制作時間が早いAIの活用に移行していくと考える方が自然である。
また、クオリティを重要視しない企業の場合も、AIが生成した画像や動画を買うことになると考えられる。

これは、スキルの低いクリエイターもどきが、安い単価で生成AIを使用して画像や動画の生成代行業を行い、安い仕事がそちらに流れる形になると思われる。
動画編集代行のようなもので、雨後の竹の子のようにクリエイターもどきが大量発生することになるかもしれない。

付加価値が高い仕事はどうなるか?

一方で、付加価値が高い仕事はどうなるだろうか?

クオリティが高く付加価値が高い、一人前のクリエイターが行う仕事はしばらくは大丈夫だと考えられる。

AIが生成するためには、プロンプトと呼ばれる指示・要望が必要になるが、そもそもクライアント自身どういう成果物が必要かわかっていないことも往々にしてある。

クリエイティブな仕事の場合、まずオリエンテーションを行い成果物の目的やコンセプトを絞り、クリエイター側がそれに最も適切だと考えられる物をリファレンスを示しながら提案をして、徐々に方向性を絞っていく作業が必要になる。

そのため、制作の前段階ではクライアントがどういうものが必要なのかわかっておらず、AIに対して制作の指示を出しようがないのだ。

したがって、付加価値が高い仕事の場合、深い知見をもった専門職であるクリエイターとのディスカッションが必要であるため、そう簡単にAIに置き換わることは考えにくい。

ただしこの場合でも、AIの進化によって対話型のAIとクライアントがディスカッションしながらプロジェクトを進行させ、AIがリファレンスを示し、コンセプトや成果物の方向性の提案を行うことが出来れば、それに基づいて目的を満たす成果物を生成することは可能になると考えられる。

そうなった場合、やはりクリエイターの仕事は全てAIに置き換わることになる。

ではクリエイターはどうすればいいのだろうか?

全てのクリエイターはアーティストになるしかない

全てのクリエイターは、アーティストになるしかない。
アーティストになれば、作品ではなく人に価値が付くからだ。

つまり、欲しいのはAIが生成したものではなく、依頼したアーティストの制作物になる。

生成AIの登場で誰でもカンタンに制作できるようになるにつれて、受注制作物の単価は下がっていき、それに反比例するようにアーティストのたった一つの作品の価値は上がっていく。

さらに、人に価値が付くことの強みは、実際のアーティストを例に挙げればよくわかるだろう。

例えば、バンクシーという世界的なアーティストがいる。
説明する必要もないと思うが、バンクシーは路上の壁など公共空間に作品を描き、社会問題の現場に作品を残したりしているストリートアーティストだ。

2018年、バンクシーの作品「少女と風船」は、イギリス競売大手のサザビーズでオークションにかけられ約100万ポンド(約1億5000万円)の入札額により競り落とされたが、落札された瞬間に絵は額縁に仕掛けられたシュレッダーにかけられ、バラバラにされた。

バンクシーの手によって「少女と風船」は、「愛はゴミ箱の中に」という新たな作品に書き換えられたのだ。

約100万ポンドで落札した女性は、「最初はショックだったが、自分の所有作品が美術史になるのだと気づいた」と述べそのまま作品を購入し、2019年3月からは、ドイツのシュトゥットガルト州立美術館に無期限で貸与している。

面白いのはこの後だ。

「少女と風船」改め「愛はゴミ箱の中に」という作品は、2021年に再びサザビーズでオークションにかけられた。

そのオークションでの落札額は、約1600万ポンドで日本円にして約25億円だ。
落札者が負担する諸費用を含めると、支払総額は約1850万ポンドになり、支払総額では、バンクシー作品の中でも過去最高額を更新した。

元々の作品「少女と風船」を、バンクシー自身がシュレッダーにかけバラバラに損壊したことによって、16倍にも金銭的価値が上がったのだ。

アーティストの凄さは、ここにある。

作品ではなく人に価値がつくことによって、本来ならば無価値になるはずの行為でも付加価値となるのだ。

アーティストで生計はたつのか?

日本でマネタイズを考える場合、特にアートについてはそれが難しい。
単純にアートにお金を払う人が少ないからだ。ヨーロッパであれば路上の画家でも生計がたつほどアートに対してお金を払うことに抵抗がない。

日本でアーティストとして生計をたてることは確かに難しいが、テクノロジーの発展により、今までよりマネタイズをしやすくなる可能性もある。

今後、AIやロボット技術の発展により、生産コストが下がり、モノやサービスの価格は下がっていく可能性が高い。
労働力が必要なくなることで人件費が下がり、自動化が普及することで、生産効率が上がる。
そうなると、お金を持つこと自体の価値もどんどん下がっていく。

モノやサービスにお金を使う必要が少なくなったら、何にお金を使うのか?

それはエンターテイメントである。

人は退屈を嫌い、娯楽を求めるからだ。
今まで以上に、娯楽に多くの時間とお金を使うことになり、アートも一つの娯楽として、アート作品とそれを制作するアーティストに人が集まってくる可能性があるのだ。

優れたクリエイティブで創作活動を続け、制作した作品を各SNSで発信し続けることで、徐々にファンが形成され、個展などで作品を見せる、NFTを活用し作品を売る、作品の制作過程そのものを商品として見せるなど、様々なマネタイズが考えられる。

有名アーティストになれば制作依頼に基づいて、オーダーメイドで制作することもあるだろう。

もちろん、生計がたつ人もいれば、無理な人もいるだろうが、
個人で発信することが容易なこの時代に、ファン獲得の難易度は下がっていると考えられる。

ファンは、作品というモノではなく人に付くのである。

最後に

以上でこの話は終わりだが、これは私のただの私見である。

話半分に読んでもらえれば良いと思うが、あながち間違いでもない気がする。

私にはどうしても、アートの価値はこれからもっと上がるとしか思えないのだ。

いずれにせよ、自由な観点で自由にモノを作るということは面白いので、現在、クライアントワーク中心の人でも、それと同時にアーティストとして創作活動を始めてみてはどうだろうか。

続けていれば何かが見えてくるかもしれない。


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