7年ぶり 大阪のおばちゃんとの再会
おはようございます。ヒカルです。
大阪クラフトビール2022秋 3日目!ビールは1軒だけ
この日は、おばちゃん(母親の姉)と会い、その後、打首のライブに行く予定。
おばちゃんの住む駅で集合。駅まで出向かいに来てくれて、7年ぶりの再会。
おばちゃんは88歳。「最近は足が痛くて杖がないと」とは言うなか一人で歩いて駅まで迎えに来きてくれた元気な叔母です。
大阪に住んでいるおばちゃんには一度会いに行きたいと思っていたのですが、今回の打首ライブに合わせて行くことに。
7年前に会ったのは、僕の母親が亡くなった時でした。その時は、北海道釧路まで来てくれた叔母。
母親は12人兄弟だったようですが、5人は戦争前後でなくなっているようです。あれから7年たち、残っているのは叔母一人になりました。
旅行が趣味だったようですが、最近は出れていないようです。
「できれば、もう一度北海道に行きたい」と話していました。
僕のために用意してくれた、お寿司の弁当にみかん、お茶などを頂きながら、色々と話を聞きました。
母親・叔母の家族の話し。
戦前、戦中、戦後と、生きることで精一杯だった時代の話しを聴きました。
特に母親家族は終戦時は樺太に住んでおり、終戦日(8月15日)にソ連が港から来た話しを、今でもしてくれます。
母親家族は、防空壕に避難していたそうです。
日本に戻り、稚内、大阪、稚内と移動しながら、なんとか生活していたとのこと。今回聞くのが初めてではないのですが、改めて「そんな時代を生きて来たんだな」と考えさせられました。
「生きるので精一杯」
そんな時代を生きてきた人たち。
そのおかげで、今僕は元気でこうやって生きていける。
改めてありがたいなぁ。と思う。
と、キレイに書ければ良いんでしょうが(笑)
半分は、小言みたいな話もあり、「こうした方が良い」的な話。
例えば、妹の旦那の兄弟を聞かれたので、知らなかったので、「知らない」と答えたら、「何それ?」的な返しがあるわけですよ。
いやいや、聞いたかもしれないけど、覚えてないし。
こんなやり取りが色々あり。
もちろん、同じような考え方の人もいるだろうけど、僕は違うな、と思ったのです。
ただ、戦後の話しを聴いた後に思ったのですが、その時代頼れる人は、身内、親族だったのですよね。
だからこそ、身内の絆は強いし「知ってて当然」であり、「知ることで生きること」だったのと思います。
その中で育まれた価値観であり、それはその通りだと思う。それで88年生きてきた。それを「違う」と言うことは、違うなぁ。と
背景を知ると、もっと上手に話しができたかなぁ、とも思いました。
(話しを合わせることが良いことだ、とは言いません。でも、短い会う時間の中で、相手の価値観を尊重した形で、話を合わせることができた方が、より楽しい時間になるんだと思います)
叔母が言ってくれた言葉「〇〇ちゃん(僕のこと)は、話しを聴いてくれるから」
15年位前から、僕のコミュニケーションが変わってきて、人の話しを聴けるようになりました。
15年以上前の僕。そのころの僕は、人の話しを聴けない人間でした。
自分の意見に沿わない話は聞かない。聞けない。話しが衝突するだけ。
そこから、縁があり心理学を学び実践する中で、人の意見を聞けるようになり、相手の背景や価値観含めて聞けるようになりました。家族(母親、父親)との関係も良くなった(と僕は思っている)のも、この後でした。
話が聞けるようになり、改めて、母親家族の話し、今回のような戦中、戦後の話しが聞けることができました。
良い時間だったかな、と思っています。
3時間半くらい話しをして、駅まで見送ってもらい別れました。
また、元気なうちに行けると良いかな、とも思うヒカルでした。
ヒカル
〇大阪クラフトビール2022秋
その1.旅の始まり
その2.ニュートーキョー ビヤホール 東京駅八重洲口店(0軒目)
その3.West Coast Brewing用宗タップルーム(1軒目)
その4.MtFujiブルーイング(2軒目)
その5.静岡から新大阪 いざ、箕面ビールWAREHOUSEへ!
その6.念願の箕面ビールWAREHOUSE(3軒目)
その7.山ノ麓TAP ROOM(4軒目)
その8.ホテルの不思議体験
その9.Brewpub Tetard Vallee(5軒目)
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