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「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」|エッセイ

卯月コウの配信を見た。具体的には、『集まれ!卯月コウの視聴者』をアーカイブで視聴した。配信日の2月2日はどうやら卯月コウの誕生日らしく、内容は視聴者による卯月コウ宛てのクソデカ感情お便り配信だった。その中で、「何者にもなれなかった美大生」からのお便りが来ていて、私は、ああ、こういうの、と思いながら見ていた。以下、該当のお便りから一部引用する。

卯月さんが超てんちゃんを指して、「本当は真っ当なのに、自分は“そう”にしか成れないのだと思い込みたくて、“そう”いう振る舞いをしているんじゃないか」みたいに言っていたのが強く印象に残っています。

「集まれ!卯月コウの視聴者」https://www.youtube.com/live/3YYfO6EuQl8?feature=share

率直に、この卯月コウの発言は名言だと感じた。私はここで指す配信を見ていないので細かなことはわからないが、それでも『NEEDY GIRL OVERDOSE』というゲームに登場する「超てんちゃん」について言及していることはわかる。卯月コウのこの発言は当該の「何者にもなれなかった美大生」、そして私自身につきささる発言だった。

この3年間、私はずっと“そう”いう人間になりたかった。大学で演劇に失敗してからずっと、自分の内から湧き出るものなどなにもないことに苦しみ続けた。きっと今も苦しんでいる。あのときより楽に呼吸が出来るようになったのは、苦しみに心が麻痺しているだけだ。いつしか“そう”なれない自分、つまり芸術に憧れているだけで何もしないことが拠り所になっていった。こだわりとプライドだけが高く、自意識にすがり続ける哀れな大人。素直になればすべて解決するのにそれがどうしてもできない。このことにも卯月コウは言及していて、やっぱりそういう感覚を言語化するのが上手な人なんだろうなと感じた。

私は今就職活動の真っ最中で、どうにか入れるかもしれない会社を探し、何とか志望動機をひねり出している。いつも営業職を志望しているけど、何か違うなと心の隅で感じている。営業なんてやってやれないことはないだろう。でもお前は営業がやりたいのかと問われると返答に窮する。「やりたいことをやりなさい」という世の中の風潮がよくないのだ。就職活動はやりたいことを見つける場ではなく、やれることを見つける場だ。そうとは頭ではわかっていても、やっぱり自分のやりたいことってなんだろう、と考えてしまう。

おそらく、私はライターやデザイナー、企画といった、頭で考えて形にしていく仕事がしたい。でもこういうクリエイティブな職種にはどうしても拒絶反応が出る。なぜかと問われれば、それなりにいろいろ理由はでてくる。しかし、経験が無いから、自信がないからといった理由は表面的なものでしかない。本当の理由は、自分の創作活動を否定されることに耐えられないからだ。怖くて恥ずかしいからだ。私は自分自身の価値と創作したものとを同等にとらえている。とらえてしまう。私の資質と私のつくるものは別のものだと頭ではわかっていても、本能的にそう感じてしまう。だからクリエイティブな職種には就きたくないのだ。人格否定をされつづける仕事だから。それは大学の演劇でさんざんな目にあった。営業なら好きでもない仕事だし、と保身できる。こんなかっこわるい理由か、まあそんなもんか。

不幸でありつづけることは実は幸せなのだ。恋は実らないからこそ美しく輝くのであって、実ってしまえばそれは愛として姿かたちを変えてしまう。私の“何者にもなれない”という思いこそが私を肯定し、まあいっかと思わせてくれる源だ。だからいまさら素直になれないし、なる気もない。こうして哀れな大人が出来上がっていく。

先日、ヤマシタトモコの『違国日記』の新刊が出ていた。帯には「“何もない”ことに凍える先は——?」とある。この漫画を読んでいると、本当に朝ちゃんの成長が等身大でまっすぐで、いつのまにか私の精神年齢をとっくに越しているのだからびっくりする。そしてこの“何もない”を、思春期のアイデンティティ獲得のなかでおこる大きな悩みのひとつとして扱うヤマシタトモコの凄さ。創作をする人間というのは基本的に普通じゃない(と私は思っている)。そういう人間たちは大抵、“世間に馴染めない、普通ではない自分”に対する苦しみを持っていて、それが創作意欲につながる。だから、創作者ではない普通の人間目線の話を書いてくれるのは、私のような浪費するしか能がない人間にとっては救いだ。まあ、お金が無くてまだ新刊買えていないのだけど。

きっと、「何者にもなれない」という感情は普遍的なもので、思春期に感じるようなごくありふれたものだ。私はというと、思春期が終わっても自意識をこじらせた大人になることは回避できなかった。まあいつかどうにかなるだろう、ならなくてもそれはそれでよいだろうと思って生きていくしかない。

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