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50歳のノート 「金魚鉢」

朝目が覚めると空気が澄んでいる。この部屋を借りて初めての冬だ。
実家を出て一人暮らしを始めてから空気が軽い。2Kの部屋は日当たりがよく風通しも良い。この部屋にいるとまるで金魚鉢にいるようだ。明るくて透明なガラスに守られた世界。金魚鉢で暮らし始めてから心を重くする相手との接点をどんどん切っていった。80代まで続けようと思っていた日本舞踊の稽古も辞めた。「日本舞踊やってます」「名取です」というハッシュタグをつけて自分を守ろうとしていたことに気づく。ノンタグの自分でいいや、と思うと少しずつ自分の緊張が緩んでくる。
最近、自分のよりどころにフォーカスしているから、他の人のそれが気になってくる。「自分は他の人より少しここが優れている」というアピールトーク。マウントまでいかないけれどもそういう気配に敏感になった。ただ、金魚鉢から「ほーん」と下界を眺めている気分で隔たりがある。
かつての自分がマウント対抗戦に戦々恐々としていたのに、いまや静止した時間にいるようだ。

こんなふうに静かな時間になるまでは弾けそうなほどエネルギーが充満していた。
突如、実家で母親と一つ屋根の下にいることが猛烈に苦しくなり、部屋探しを始めた。
これまでに2回実家を出ていたが、そのときは結婚相手やパートナーがいたたため、部屋探しも2人で考えたし契約はパートナーがしてくれていた。
一人暮らしは50歳になるまでやったことがなかった。母親との関係性が自分に影を落としていることを知りつつ、「この課題さえ解くことができれば自分はゴールだ」と、どこかで思っていた。けれどその日は訪れなかった。ある日「もう無理だ」と思い猛然と家を出ることを考え始めた。転職して3ヶ月しか経っておらず、50歳女性が一人暮らしの部屋を借りることができるのか? そこから始まった。昔は保証人が必要だったが今は保証会社にお願いして保証人は必要無いと知りほっとした。知らないことだらけだったが少しずつ情報が絞り込まれてきた。借りることができそうなので次は部屋探しジャンキーになった。

お金を使って自分が家を出ることは、自分が負けたようで惨めに思い、なかなかできなかった。これまで被ってきたダメージに対して、母親からの謝罪も報われることもなかった。いつまで待ってもハッピーエンドが訪れなかったので、一つ屋根の下で我慢をしながら仲良しごっこをすることを辞めることにした。
負けたのにさらにお金のダメージを負いたく無いので、なるべく家賃は抑えて陽当たりが良く…と厳しい条件で絞り込んでいくと、まるで奇跡のように理想的な部屋があった。しかも母校である高校の向かいである。無我夢中で不動産屋で手続きをし、ついにその部屋に住むことになった。
母親に一言も言わずに契約し、徐々に準備した。高齢の母親のため一応実家まで自転車で5分以内のところになった。憧れの海近くは都内並みに値段が良く、いつくか内見したものの、あちこち妥協して実家近くが一番コスパが良いと知り、見つけた物件以上のものがなさそうだったのでそこに決めた。
優しいお友達からは「何故一人暮らしするのか? お母さんは寂しく無いのか?」と尋ねられたが、お会いしたことのある彼女のお母様が素敵な方なので「うちの状態のことは世界線が違いすぎてわからないよなぁ」と思いつつ「なんかそうなった」と答えた。

部屋を契約して入居日から少しずつ(秘密裏に)荷物を運び始めても母親は気づかない。そもそも私が長い髪をショートにしても気づかないのだ。
ネットワークが開通して仕事が開始できるとなったとき、ついに母親に言った。
「部屋を借りたんだけど」
すると、「いいじゃない!」という一言が返ってきた。「自分で自立してみるっていいことよ」。
常に自分が被害者の立場になり恨みごとをまくしたてる母親にしては驚きの反応だった。母親に部屋の間取り図と住所を見せると見入っている。「なるべく物を買わないで家にある物を持って行って」と、早速物をガチャガチャと出し始めた。いつこの気が変わるかわからないなと思いつつ、苦しい体験が一つ減ったことにほっとした。母親は自分も自転車で荷物を運ぶと言い張ったので、さすがにそれは老体には無理なので、一度軽い紙袋ひとつを持たせて部屋を見せに連れてきた。母親は日当たりに感激し、インテリアに凝るタイプなので、どこに何を置くと良いとアドバイスを始めた。
以前家を出ていた時と同じく、部屋にたびたび訪ねてきたりすることはないと知っているので、今回だけだろうと感じたし実際そうなった。明るい部屋で母親とのお別れの気配を感じた。



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