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50歳のノート「SFの王道を味わう「三体」」


Netflixで「三体」の制作予告が出てから長らく公開を待っていた。
というのも「ゲーム・オブ・スローンズ」の製作陣だそう。またあの壮大なドラマを味わえる思うとワクワクした。

制作予告を目にしてから一年ぐらい経って「三体」が公開された。
舞台はイギリス、科学者たちの不審死から幕を開ける。さらに話は過去に飛び、中国の文化大革命が事態のトリガーだったとわかる。

疲れない程度に張り巡らされた伏線が秀逸だ。
壮大なスケールの映像美で圧倒しながら伏線が少しずつつながってくる。
また、「ゲーム・オブ・スローンズ」のおなじみの名優たちが5人も出演していて、あの世界観を彷彿とさせる。

一部ネタバレになるが、中国の文化大革命の惨劇の被害者となった少女が偶然、外宇宙の知的生命体とコンタクトに成功する。
そして、危険を感じ取りつつも外宇宙の生命体を地球に呼んでしまうのだ。
呼んでしまったことで、現代に影響する新たな悲劇を呼び起こす。
現代の視点でみると「うわー、やっちまったな」と言いたくなるほど。

怒涛のごとく移り変わる状況に登場人物たちが流されつつもあらがう様は「ゲーム・オブ・スローンズ」を彷彿とさせる。
人物の心理をみっちり描き込まないのに、その人物が状況にあらがうさまを見ると人となりが伝わってくる。これぞ「ゲーム・オブ・スローンズ」らしさだ。

見る人によって
「ここで何故宇宙船を呼んでしまったんだ?」
と、いまいちピンと来ないらしい。

私には「現状にお手上げとなった会社が外部コンサルを呼んでなんとかしようとした」様相に見えた。
国の状況に絶望した少女が「もっと進んだ文明ならこの状況をなんとかしてくれるに違いない」と救いを求めた。
いわば「神様を呼んだ」に等しい。
自分に無力感や何もできずに被害者になっていることへの怒りがあれば容易に想像できる。 

ところが、そう都合よく運ばない。
神様を呼んだはずが殺戮者を呼んだことになってしまう。
助けてもらおうと相手を神様に見立てるのはこちらの都合であって、相手には相手の都合があるのだ。

一方的な負け確定の状況にわずかでもあらがおうとして、あえなく失敗したところでシーズン1が終わった。

原作の中国SF小説「三体」を舞台をイギリスに移したり登場人物を変更したりしているが、おおまかな筋だとまだまだ原作の序章だそう。

原作ファンが多いと聞き原作を購入するも1巻目で挫折、原作に忠実に作られた中国版ドラマ「三体」も1話目で挫折。
原作は舞台も登場人物も100%中国だった。自分が文化をよく知らないというのもあり、いまひとつ気持ちの乗っかりどころが見つからなかった。

けれどNetflix版「三体」は一気見した。
愛する「ゲーム・オブ・スローンズ」の面影を探りつつだけれども、それがなかったとしても良作だ。

状況が複雑なはずなのにSFならではの仕掛けや哲学的な問いかけがある。
それが映像美にのってライトに楽しめる。

「ゲーム・オブ・スローンズ」は一歩判断を間違えたら登場人物が死ぬという状況が連続する。
「三体」はそんなに締め付けてこない。

ぼんっと世界観が渡されて、それなりのサバイバルはありつつ「自分はどうあるべきか」を問われるでもなく問われる。

イメージ的にSF小説の王道ってこうだったよな、と思い起こされる。
現実を超えた世界があり、そこでの日常があり、登場人物たちの感情生活があり。
今こそなぜか小説を読めなくなってしまったが、SF小説をよく読んでいたころを思い出すと「三体」はSF小説を読んで物語世界について行っている感覚になる。

非日常の中に日常を描く、まるで入れ子のような感覚世界だ。
その小さな日常に共感して非日常に入り込んでいく。
原作は中国の日常が想像できないと物語に乗り込むのが難しかったのかもしれない。
Netflix版はグローバルに読み替えられているのでハードルが下がっている。
(そもそも「ゲーム・オブ・スローンズ」なんて100%想像の世界なのだ。実在しない架空の世界なのにそこに歴史の重みを感じさせるほどだ)。

「ゲーム・オブ・スローンズ」を越えて「三体」は物語の着地を見せるのか。

カタルシスを得ることを期待しつつ物語の続きを待っている。

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