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50歳のノート「踊りの師匠」前編

◯ 先生との出会い
35歳になった頃、突然「何かやらなきゃ」と焦る気持ちでいっぱいになった。飛行機に乗り遅れる夢を連続で見るほど。
焦りくるまま何がしたいか考えると、日本舞踊を教えていた亡き祖母を思い出した。踊りをやってみようと思う。

チャカチャカ形だけやるより本質的なことをじっくり学びたい。検索すると会社の近くに稽古場があった。先生が教えている画像に気品を感じ、早速、体験レッスンを申し込んで訪ねてみた。
閑静な住宅街にある御自宅にある稽古場を訪ねると先生が迎えてくれた。
大きなひのきの舞台に驚いた。そこに上がって稽古をするとは畏れ多い。
おっかなびっくりの自分に先生は一通り説明し簡単な稽古をしてくれた。
帰り際に玄関で見送ってくれた先生は、これまで一般の方は生徒さんを取っていなかったのだが日本舞踊を広く学んで欲しいから月謝も半額にして生徒を取ることにしたのだとぽつんと仰った。
踊りをやるのは舞踊家の家の子か富裕層のたしなみの世界である。(働かなくて良い人たちのお金のかかる趣味である)。
35歳から未経験で始める、さらに庶民の会社員が、と気が引けたが、不思議と先生ともっと接したいと感じた。入門をお願いし通い始める。

◯ 踊りの世界
先生が不思議と当時の広告ツールを巧みに使いこなして同年代の人たちがどっと入門してきた。
50代に見えた先生はどうも70代らしかった。
お嬢様も別の場所で日本舞踊の先生をしておられた。
先生は国立劇場の日本舞踊公演の常連だった。
自分の流派のピラミッドの上の方だったのだ。
先生の踊りが終わると国立劇場の楽屋にお訪ねしてお祝いするというしきたりがあり初めて国立劇場の楽屋に入ってみたり本舞台の真後ろにもう一つ同じくらい大きい舞台があることも知った。
すべてが初めての体験だった。何よりも圧倒されたのは先生の踊りである。
「松廼羽衣(まつのはごろも)」の踊りに心を奪われた。天女が海辺に降りてきてその羽衣を漁師が奪い、天に帰れなくする。けれど帰りたがる天女に羽衣を返し、天に帰っていくお話である。
お嬢様が天女役、先生が漁師役を踊られた。
天女の衣装は豪華で天女らしい冠をつけて華やかに踊る。一方、漁師は簡素だ。
天に帰る天女を見送って釣竿をかついで漁師が立ち去るところで幕が降りる。
その瞬間「ああ、天女は帰ってしまったのだな」という漁師の心が伝わってきた。
不意に涙が流れた。
そこに生きている人の心が生々しく感じられたのだ。
そんな踊りをしてみたいと熱いものを持った。

◯ 平等の目線
稽古は個人レッスンである。
私の曜日は来た順に始まるので人のお稽古も見学する。
先生に指摘される様子をみて笑っている人がいるが私には違和感。なぜなら同じところを自分も間違えるからだ。明日は我が身で見るほうがお得だ。
先生にギャンギャン言われて泣き出す人もいた。それをみてマウントめいて喜ぶ人たちもいたが、何故か泣いた人が急に上手くなったりした。
自分はギャンギャン言われる方であるが悔しくて何回も家でおさらいした。
さらっとできてしまい指摘事項が少ないタイプの人にコツを聞いてみたら、本人はその場はできるがすぐ忘れるという。
自分はその場ですぐできないが何回も薄紙を重ねるようにして体得できるタイプと知った。
ある日先生に尋ねてみた。踊りがうまくなるにはどうしたらいいかと。
すると先生は「たくさん見ることよ」。
「ビデオじゃなくて劇場で見ることよ。心で感じたことを覚えておくの。それが切符を買って見に行く意味だから」
公演をせっせと見に行くようになると、先生は事前にこの舞踊家の方は見ておけ、これは「お食事タイムよ」と少し笑いながら教えてくれた。
舞踊の公演は長く、お食事をとる休憩時間が無いのでこの演目は「席を外してもよい」の意味だった。

◯ 踊りが上手くなる人とは?
ある日、先生にどんなタイプが伸びる、うまくなるとかあるのかと聞いてみた。
「いろいろよ。さらっと流して踊る人に仕込むこともあるし、真面目な人の硬さをとっていくこともあるし。どれが向いてるとかはないわよ」
先生は20歳のころから自分の師匠がご高齢になり先生の代わりを始めてから先生歴は50年以上だそう。
ご自分の舞台の踊りにはストイックで研究熱心である。弟子の指導も熱を入れる。
けれど、30人近くいた弟子の誰にも公平に接した。誰かが可愛がられて誰かが粗末という様子を感じることがなかった。

会の手伝いなども誰かが犠牲になって誰かが楽をするということがなく、不公平感が無く差配された。
小さなお金のこともきちんとされた。
写真の焼き増し代をお代をいただかなくていい、と言うと「あんたにそうしてもらうと次に頼んだ人にもそうしなければならないから」とお会計も一円単位まできっちりした。
人に過敏にならざるを得なかった自分が一つもえっ…とならない、稀有な方である。
さらっと乾いた空気感と上品なユーモアが魅力的だ。

◯ 名取になりたい
数年経ち、稽古場にかかる名取札(先生のもとで名取になった人は名取札に名前が書かれてかけられる)を眺めるうち、ふと名取試験を受けたいという思いが湧いてきた。
踊りの家の子でもなく、小さい頃からやっているわけでもなく、庶民の会社員である。お金もいったいいくらかかるのかわからない。
先生もご高齢で名取を作るのはもろもろ大変なのでここしばらく名取さんを出していないとのことだった。
多分、自分の現在位置からして名取を願うのは恥ずかしいことの部類に思われた。
けれども名取試験を超えたら奥深い「踊りの世界」に一歩踏み入れることができそうな気がした。

ある日、時間帯の隙間で稽古場に自分だけになったときに先生に願い出てみた。
先生は考えてみる、とからっと言った。
次の稽古に行くと、自分以外の同時期に入門したあと2人に名取試験の声がかけられていたと彼女たちから知った。
2人は自分が「選ばれしもの」と思い興奮していた(人が先生に指摘されているとゲラゲラ笑う2人だった)。
先生に聞くと、同時期に入門して私と2人立ちでよく踊ったKさんにも声をかけたかったが、結婚したばかりでお金が無さそうだったから、とぽつんと仰った。
先生は見てないようでいて生徒一人一人の生活の今の状態を見て無理をさせないように常に気配りをしていた。
会社の事情で収入が減ってしまった人になにがしが配慮しているようだった。(お歳暮、お年賀を受け取ってすぐにお返ししているようだった)
Kさんは何よりも心がきれいだった。お心遣いが凄すぎて、頭の回転が速い。
いつもしばらくたって、ああそう言うことだったのかと後からわかって感謝するほど。
そばに居るだけで気持ちの良い人である。
彼女の心の美しさが踊りにそのまま出ていた。彼女が踊るとあたりがパァッと明るく感じる。
他の世界もそうなのかもしれないが
舞台で踊ると(稽古場もしかり)、その人の内面がもろに感じられる。
意地悪とかてめえ勝手とかネガティブさすらももろだしになるのだ。
(自分も己のそれを感じて恥ずかしいものだ)。
腹にどす黒いものをかかえて「あたし上手いのよ!」と踊ると、見ている人は踊りの積み重ねよりもどす黒さを先に感じる。子供が「怖い」というようなものだ。
先生も「舞踊家でもそれがある」という。一生懸命やって上手くなった人が注目されたり自分の名前で新しく流派を作ったりすると「急に普通の人になってしまった」ことがままあるそう。

Kさんは私の目から見てもズバ抜けていた。
何よりも踊りが純粋に好きで、公演に行ってもじっくり見たり公演が放送されるとチェックしていた。
愚直に努力するけどどこか吹っ切れないモサモサ感を持つ自分より格段に上手かった。(自分で自分のアラを感じ取れるようにもなっていた)。
できればKさんと一緒に試験を受けたかった。一番濃い稽古の時間になるから踊りに熱心なKさんとその密な時間を過ごしたかった。
とはいえ、新しく家庭をもったばかりのKさんに踊りに大きいお金を使わせてまで、、と気が引けた。それとなく尋ねてみるとやはり試験は断念する様子だった。
名取試験用に特別稽古が組まれて同じ稽古日のKさんにも負担がかかることになった。
Kさんとふたりの帰り道にその旨お詫びすると、気にしなくていいと、むしろ応援してくれた。名取試験のためにあれこれ気を配ってくれた。
名取試験までに長い道のりがある。
数年かけて試験合格までステップアップし、試験前に先生の先生である人間国宝の前で踊って「試験を受けてもよろしいか」お伺いする儀もある。数数のイベントを高齢の先生はからっと一つずつ熱心に達成してくださった。
(中でもいろいろな調整ごとがあった模様である)
そのイベントの帰りに先生と2人になって稽古場に向かうことになった。
ひとつイベントを終えた私は浮かれて話し続けた。
「今日のこともKさんが応援してくれて、」
「それはKさんが本当は自分が試験を受けたかったからよ。お金が無くて受けられなかったから」
「はい、わかっています」
私は先生に驚いた。Kさんの痛みをわかってその上でからっと接していた。
私もKさんの痛みを感じていた。
「自分がすごいから応援してくれて〜」の気持ちは1ミリも無かった。
セリフは噛み合ってなかったかもしれないが、ふたりともKさんのことを考えていて同じところにいたことに驚いたのだ。

人に神経質な自分すら「すごい」と圧倒されるのが先生だった。

後編につづく

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