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【#13】 あたりまえのことなど一つもない(メッセージの断片集4)

全ては主の恵み

 10月最後の主日礼拝(10/30)は、函館ベテルチャーチ宣教20周年記念合同礼拝として、函館、北見、紋別の三教会をzoomで結び(正確には聖霊によって結ばれ)、共に捧げることができました。

 20年前に妻が函館で開拓伝道を始めたこともあって、この日のメッセージを妻が北見から取り次ぎました。体調が悪かったようですが、聖霊によって支えられながら奉仕をすることができました。

▲ クリックすると函館ベテルチャーチのHPが開きます。

 既に天に召された函館のMさんは、紋別の教会で救い主に出会われました。(Mさんについては旧blogに「秋の気配」として記しています)またこの日の礼拝に出席されていたOさんは、紋別でも北見でも数年間一緒に礼拝を捧げられ、今は転勤で八雲に行かれましたが、可能な限り函館の教会に集われています。函館の最初の会堂は、私の名字と同じ「日吉」町にありました。語り出せばきりがないほどに、三教会の不思議なつながりを覚えずにはおれません。

 私と同じ大阪出身のI先生が、2年前に函館に赴任されました。神学校を卒業したてで、よく頑張っておられます。そのI先生が、特別賛美として「恵み」を賛美されました。味わい深い歌詞が沁み込んでくるメロディです。この歌詞の通り、三教会は主の恵みの真ん中を歩んでいきます。(以下はメッセージの断片集です)

主の励ましは繰り返される

 ハガイ書2章4節「ゼルバベルよ。勇気を出せ。大祭司ヨツァダクの子ヨシュアよ、勇気を出せ。国の民は皆、勇気を出せ」と三度も繰り返して、リーダー・ゼルバベルに、大祭司ヨシュアに、そして全ての民に力強く語られました。繰り返し聖書に記しているところは、神がとても強調しておられるところです。なぜこの困難の中で勇気を出せるのか、強くおれるのか。それは神が間違いなく共におられるからです。神の霊が働いておられるからです。そのように励ましました。

 ここに出てくる民たちは、目の前にある現実の問題ばかりを見つめて失望しきっていました。あるのは神殿の土台だけで、それも前の神殿に比べるととても小さくて貧弱に見えました。ソロモン王の築いた神殿と比べるととても小さいですし、材料もあれもなければこれもないと現実の厳しい面ばかりに目がとまり気を落としていたのです。しかしそんな民たちに神は失望しなくていい理由、勇気を出す理由として「わたしはあなたがたと共にいると」「わたしの霊はお前たちの中にとどまっている。恐れてはならない。」と語りかけられました。

主が共にいて働かれるからこそ

 主の教会に主は生きて働いておられます。また主の教会につながる兄姉の人生にも、主は共にいて働いておられます。またその励ましは一度で終わるものではなく繰り返し、繰り返しなされて私たちを強めます。私たちの目は今何を見つめて私たちの耳は何を聞いているでしょうか? 問題ばかりを見つめ、消極的な言葉ばかりを聞いていないでしょうか?

 私たちのこれまで生きてきた罪の性質、生き方の癖というものは、やっかいなものばかりを注目して追いかけてしまうところがあるように思います。今日そのような罪の性質を振り捨てて、主の恵みと励ましの言葉を心に刻んでいくものと変えられてまいりましょう。

 今日も主の恵みといつくしみが追いかけてくる1日でありますように。

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