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中学時代の日記を読んで今、②

前回から始めた「中学時代の日記とともに振り返る」シリーズ、思いの外、記事を読んでくれた友達が多く、好評でした。ので、細々と続けていこうかなと思います。

 中学時代の日記…あることにはあるのですが、何冊かしか手元にない上に、毎日書き続けられていたわけではなく、何日かおきになってしまっていて、今となっては毎日書いておけばよかったとちょっと後悔…

 さて、前回は入学式の日について話しましたので、今回はそれ以降のことを少し書いていきましょう。

 入学式を終えた次の日以降、すぐに授業が始まったのかというと、そうではないですね。登校一週目は自己紹介、視力検査や係、委員会決めなどの学級活動が多くて、教科学習が始まったのは登校2週間目からでした。その第1週目の学級活動を振り返って、特に印象的だった出来事を3つほどここに記そうと思います。

 まずは係・委員会決めについてかな。僕は何を思ってか、中1の前期、学級委員に立候補しました!理由に関しては、全くわからないけれど、もしかしたら、学級委員をやれば高い成績でも取れると勘違いしてたのかもしれません。笑 "誰が学級委員になったのか"というのは、どのクラスでも話題に上がるほどで、みんな、学級委員というのを、クラスの代表みたいな立ち位置と捉えていたのでしょうね。まぁ、ただ僕の他にも学級委員の立候補者が1人いました。担任の先生は、僕ともう1人を廊下に呼び出して、「どうしようか、どうやって決めたい?」と言いました。どちらが学級委員をやるのかを、じゃんけんで決めるか、それとも立候補者がスピーチをしてからみんなに多数決で決めてもらうか、どっちがいいか、僕ともう1人で話し合いをしました。もう1人の子がスピーチをしたいと言っていたのですが、僕は譲りました。その時、担任の先生が、「お前いいやつだなぁ!」と僕に言ってくれました。これです。この担任の先生は叱るのと同じくらい、何かあると必ず褒めてくれた。あまり僕は人に褒められたことがなかったと思うし、まだ少ししか会ってない生徒に対して激励する先生の姿は新鮮でした。とどのつまり、学級委員にならなかった僕は誰も手をあげていなかった図書委員になりました。委員会決めが終わった後、小学校の時からの親友に「お前が立候補するとは思わなかった」と言われました。そりゃそうだ、僕もなんで立候補したのか今でもよくわからないんだから笑

 そして二つ目は、学級通信について。学級通信というのは、担任の先生が生徒.保護者宛に配布するものです。僕の1年1組の学校通信は「楽」というタイトルでした。確か最初の「楽」の内容は、「楽しい」と「楽」は違うんだぞ、って感じだった気がします。で、高校生くらいの時に知ったのですが、この学級通信というのは、実は先生からのサービスで、先生たちが自主的に作ってるものなんですよね、必ず配布しなきゃいけないというものではないんですよね。ただ、どのクラスも学級通信があるのに、あのクラスだけ学級通信配ってないよね、という状況はよくないため、学級通信を配布するか否かは学年ごとや学校ごとに決められていることが多いです。サービスといいましたが、実はみんながもらう通知表、ありますよね。小学校のときは、あゆみ、って呼んでたかな。中学以降成績のことを内申とみんな表すようになるけど、あれも実は、学校側からご家庭へのサービスで、配布するように法律で義務づけられているものではないんですよね、学校って何でも屋さんだなと思う。


 そして3つ目に学級関係で記憶に残ってるのは学級日誌ですね。出席番号順に担当が回ってきて、その日の時間割と、どんなことがあったかなどを記すクラス日記みたいなものです。最初の方は、時間割だけじゃなくて、担当者の自己紹介を書きました。結構男子のみんなは、担当者がどんな自己紹介をしてるか気になって、休み時間とかに読んでたのを思い出します。なかには、Wiiを2個、DSも2.3個、ほかのゲーム機も複数個持っているほどゲーム好きだという同級生もいました。その子は、日本の車で有名な会社名が苗字になっていたので、"社長"というあだ名をつけられてました。とはいえ、本人はその呼び名を嫌がっていたので、誰も呼ばなくなりましたが…前回に話した"そよかぜ"といい、中学生はあだ名をつけがちだね。(クラス内にはもう1人あだ名?をつけられていた子がいたのですが、そのことはあまり仲良くないので、書きません。)

 今回は主観的な部分が多くなってしまいましたが、僕から見た1年1組を書きました。何かあれば気軽にメッセージでも下さい!ではまた!

(写真は要望あれば消します。)

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