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センターポールのアスリートとの出会い⑥ 堀江航という男その②

前回に引き続き、堀江航という男についてお話します。
前回までの話はこちら

豪快で掴みどころのない男

「コンチハ」
堀江さんはインターネットの写真で見るより大柄だった。
事前情報で堀江さんは義足と聞いていたので、私は「あの~何かお手伝いとか、、、」と聞こうとすると、被せて堀江さんは「大丈夫っス」
席に着くやいなや、出されたおしぼりで思いっきり「フゥ~~」と顔をゴシゴシと拭くのを見て。
(どうやら豪快な人の様だ・・・。)

サバサバしていて掴みどころがない寡黙な人という印象でした。
堀江さん自らはあまり話さなくて、僕の話を「ふーん」って聞いて頷く程。2時間くらいの会食でしたが、意気投合で仲良くなるって感じではなく、「もしかして退屈にさせてしまっているかな?」と心配になるほどでした。

堀江さんの主張

しかし、リアクションが薄い堀江さんも熱く語ったタイミングがありました。
「僕、足切ったけど可哀そうな人じゃなくて毎日楽しいんですよ。でも、楽しい生活にするには自分で外に出なきゃ駄目。
確かに障害を持つ人が生き易い世の中になるべきだけど、障害を持つ人も外に出ないと誰も気が付かないんですよ。あと、障害持つ子供には何でもできるってスポーツ通じて教えてあげたいんスよね。」

この話はとても印象に残っていて、今まで私が持っていた障害を持つ人のイメージは、断片的な情報だけで”支援が必要な人”だったのです。
しかし、堀江さんは「対等だし、対等な生き方をした方が良い」と主張でした。
この主張や考え方に私は衝撃が走り、3月に長野で行われるアイススレッジホッケーの国際大会を観に行くことになったのです。

長野ビックハットへ

当時、堀江さんは車いすバスケットボールでヨーロッパ王者になった後に帰国。パラアイスホッケーにスカウトされて傭兵的な立ち位置で競技をはじめた方の様でした。
今まで私がお会いしたことがあるスポーツ選手は、その道を極めたりその道一本の人。複数競技にチャレンジしている人に会ったことがなく、車いすバスケでヨーロッパ王者、車いすソフトボール日本代表、パラアイスホッケーで日本代表に選ばれる堀江さんは天才なんだろうなと思い、どんな試合をするのか楽しみで高速バスに揺られたのでした。
スキーの大会で長野には良く行ったのですがビックハットは初めての訪問。
国際大会の位置づけです会場がガラガラなのに驚きました。本当に人がいないんですよ。
しかし、観客席には人が少ない分、選手の息遣いや掛け声が良く聞こえ、プレーを間近で見た私は”パラスポーツは使う用具が違うだけで魅力と迫力があるスポーツ”と認識できた観戦でした。
堀江さんは試合にちょっとだけ出場。
”鳴り物入りで入ってきた天才!!”と思い込んでいたのですが、プレータイムは短く、早々にベンチへ。どうやら肩の調子も良くなかったようです。
そして、堀江さんは競技歴が浅くチャレンジの最中だったのです。
正直、チームを代表するトッププレーヤーという感じではなかったのですがなんかオーラがあったのは印象的でした。

サポートさせて貰うことに

ビックハットでの試合で始めてパラスポーツの試合を初めて観戦し、堀江さんの競技活動を応援したいと思ったのですが、堀江さんは掴みどころのない性格で一緒に食事した時も反応薄かったから断られるかなと思いました。
しかし返事は「ああ、ハイ。どうすればいいスか」

おそらく、堀江さんは、スポンサー紹介してくれたり、競技環境が改善されるような事は当時の私にはアテしてなかったと思います。25歳の若いのが起業したからちょっと付き合ってやるかって感じだったのかもしれません。
しかし、この堀江航さんとの出会いが、今のセンターポールを立ち上げるスタートだったのです。

つづく