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センターポールのアスリートとの出会い⑧ 堀江航のパラリンピック予選とネクストアスリート

前回の投稿でご紹介しましたが、私たちは”まくらぼ”という強いパートナーが付きました。
話は堀江さんがパラリンピック最終予選に向かうところから再開します。

前回までのお話はこちら


精神と時の部屋 in U.S.A

堀江さんは知り合ってから、すぐに「ちょっくらアメリカにパラアイスホッケー練習行ってきます」と武者修行に行ってしまいました。
それも3ヶ月くらいの長期間ですが、本人は散歩してきますくらいの口調で旅立っていきました。

何故アメリカに渡ったかというと、日本でアイスホッケーの練習がしたくてもリンクの予約が取れないのです。
私の大学時代の友人でアイスホッケー部がいたので聞いた話によると、リンクで練習できるのが夜中の2時とかだそうです。大学の1部校でも夜中に練習しなければいけないので、競技人口が少ないパラアイスホッケーの競技環境も大変なのは容易に想像できました。

「精神と時の部屋行ってくるっス」そう言って旅立った堀江さんから、現地の様子を聞くとアメリカでは日中でもリンクで練習できたそうです。
同じ3ヶ月でも一日中練習できるのと、リンクが無い日本とでは雲泥の差ですよね。

パラアイスホッケー日本チームは前回のバンクーバー大会でアメリカに次ぐ銀メダル獲得をしました。
しかし、バンクーバーパラリンピック後は他国は新しい選手が台頭し力を付けてきたのに対して、2014年ソチで行われるパラリンピックには出場する為の権利が取れるかどうかという状況になっていました。
若手選手がいない中、堀江さんがリクルーティングされたので、やるからには勝負できる状態に持っていく為に生活を競技に注いだのでしょう。
まずはソチパラリンピックに出場する為、日本の戦力としてパワーアップをしなければならなかったのです。

人間は年を重ねると失敗することや恥を掻くことに抵抗を強く持ちます。しかし、堀江さんはそれが無いのです。
寧ろ出来ないレベルから成長していく過程を楽しむことが出来るのが強みの男だったのです。

ソチパラリンピック最終予選前 

堀江さんが最終予選に出発する前、プロテインやサプリメントを渡しに三軒茶屋で合流しお茶をすることになりました。
いつも堀江さんと打合せするときは上島珈琲の黒糖アイスラテを飲むのが定番でした。

普段二人で写真を撮ることなんてないので懐かしい写真です。

最終予選に向けて堀江さんには気負っている感じは全くしませんでした。
しかし、車いすバスケットボールで全米大学選手権優勝、スペインのプロリーグで活躍した後に、ドイツでヨーロッパカップ3冠と輝かしい実績がある堀江さんでもパラリンピックの出場経験は無かったのです。
そのことについては本人は一切不満を漏らしたことは無いですが、
”パラリンピック出場”という肩書は今後のスポーツ選手のキャリアに大きく影響しているので気合が入らない訳がありません。
ちなみに、日本パラアイスホッケーチームは、最終予選が控えているので、パラリンピック出場が決まっていませんでしたが”出場できる”前提の上で、公式ユニフォームの採寸も終えている状況でした。

「ま、勝負は時の運ですから」と堀江さんは相変わらずあっさりしてましたが、当然サポート側の私も堀江さんには出場して欲しいと願っていました。

ネクストアスリート

実は私は堀江さんにあったタイミングでお願いしたいことがありました。
それは「アスリートどなたか紹介してもらえませんか」でした。

会社として成長していくためにもアスリートは必要不可欠で、パラアイスホッケー堀江選手とパラアスペンスキー三澤選手と関わらせて貰うにつれて、パラアスリートを支援していきたい気持ちが強くなっていたのです。
しかし、当時の私にはネットワークも知見もありませんでので、堀江さんに会ったときに相談するつもりでした。

堀江さんは、「何系が良いスか?」と私に聞き返しましたが、
私は心の中で「何系とかってなんだ」と思いつつも、2週間後に東京で行われる車いすバスケットボールの試合を観に行くつもりでしたので、
「バスケットの選手紹介してください!」とお願いをしました。
すると堀江さんはニヤリと笑って

「いますよ。とびきりの極上のが」と。

私はまた心の中で「お前は寿司屋か!!」と突っ込みを入れながらも堀江さんがお勧めする選手の事を根掘り葉掘り伺いました。

情報をまとめると、こうです。

”どうやらその選手は年齢は結構高くパラリンピックの出場経験もまだないのですが、この数年間で急激に成長している”
”肘フェイダウェイショットという特殊なテクニックを駆使する”
”お酒が好き”

当時は、”若くて実績もある選手”を紹介してもらえるのかな、と期待していましたので、大変失礼ながら「なんでオジサンアスリート紹介してくれたのだろう?」と疑問に思いました。

しかし、堀江さんの眼は正しかったのです。
後に、そのオジサンアスリートは41歳で日本代表としてパラリンピックに出場し、さらにその翌年には42歳でアメリカに単独車いすバスケットボール留学で全米選手権3位を獲得するほど大化けした選手なのでした。

つづく