ヘボ監督だったけど幸せだったこと。


以前にとてもご親切にしていただいた、お知り合いの岩瀬健さんのご本を読んで(届いたばかりでまだ流し読みだけど汗)、なぜか CPサッカー (脳性まひ7人制サッカー)クラブでの監督時代のことが脳裏に浮かんだ。

(※本の内容と以下とは関連はないです。もし拙文から類推する人が出てきたら岩瀬さんにご迷惑がかかってしまうので)

さて年に一度の全国大会で、当時個々の選手の能力では日本一ではと思われるチームと対戦した。結果はダブルスコアの大敗で、しかも無得点だった。でもそれ以上にぼくは監督としてヘボだったのは、当時の自チームの中心選手が累積の警告で次の試合に出られなくなる前に、交代させるという判断を「しなかった」ことだ。

いちおう頭にはよぎったんだけどね。ただ、ただもっと見ていたかったんだ。彼とチームが、もう大差がついている試合なのに懸命に走って守っている姿をね。

でもぼくが彼を引っ込めていれば、次の試合の展開は全然違ったものになっていた可能性が高い。だからやっぱりぼくはヘボ監督だった。

当時はその選手は、いわゆる問題児と時々チームメイトからも思われていたほどだった。その彼が、もうスコアでいう結果は残酷なほど変わらないにも関わらず、懸命に汗を流しているのを目のあたりにして心に火が灯った。(※えこひいきではなくて、彼が走っているということは、周りはそれ以上に懸命に走ってたということ)

当時同じピッチに選手として立っていた、生涯の友人の一人、埼玉フットボールクラブグロリアスで代表をしている金子君も、この試合を「印象的だった試合の一つ」と言っていて、ある時は「コンパクトにプレーできたのでむしろ楽しかったですよ」と話していた。

グロリアスのインスタとホームページ

話を戻すと、その選手が試合後に「累積で次の大事な試合に出られなくて、迷惑をかけてすみません」と誰に言われるでもなく言ってきたのも、強く印象に残っている。

仲間ひとり一人の成長をこれ以上なく実感できたというのは、サッカー指導者というより同じ人として、幸せなことだったと思う。しかもその果実は、苦悩もありながらもそれまでにチームとして過ごしてきた時間があってのことで、実験のように再現性があるわけではない。

誇る話じゃない。でもそれ以上に卑下など必要ないよね。障害者サッカーだから云々じゃなく、もっと普遍的な価値のあるものだ。

それにしても、ぼくも似た着想もあったけどもっと早くこの本に出会いたかったなあ。じわじわと来る存在感みたいなものを感じる。この本の感想はまたいつか。


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