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弟が病気になり、孤独について考えた

弟が病気になりました

弟が病気になりました。

症状がいろいろ出ていて、病院もあちこちに行きました。耳鼻咽喉科、皮膚科、内科、耳鼻科、循環器内科、脳神経内科、心臓内科、心療内科。病院の数で、9つ。行き過ぎでしょ、と思いますが、親が心配した結果です。

私は今年の2月に実家に帰り、弟の面倒を見ながら、月に1、2回程度自分の家に戻る生活を続けています。すでに5ヶ月。弟をクルマに乗せて病院へ行き、先生の話を聞いて、私が親に診察結果のレポートを書いて渡しています。その他、事務的な手続きとか、身の回りの世話とか。

現在進行系、先行き不透明な状況なのですが、できること(手伝えること)をするしかないかなと思って過ごしています。

ただ、私自身も睡眠不足から体調、いやメンタルを崩してしまい、仕事も忙しかったりで、なかなか大変な日々を過ごしてきました。集中力がなくなり、いろいろなミスをしたり(公私ともに)。

例えば、公私の「私」の方のミスだと、買ったばかりのノートパソコン(MacBookAir)に水をこぼしてしまったり(修理代5万円!)、無料で読める電子書籍を購入しちゃってたり(1500円!)、そろそろなくなると思って買ったマウスウォッシュが家に戻ると同じものがあったり(500円くらい⇒これは使うからいいけど)、100均で購入した商品をカゴの中に忘れてきたり(100円!⇒結構ショック)。(どんどん話がショボくなってるよ・・・)

ちょっとだけ仕事に区切りがついたので、ちょっとだけほっとして、ちょっとだけ前向きになってきたところなので、このnoteを書いています。でも、ちょっとだけですけどね。

実は孤独を感じていた昨年

さて、私は長く一人暮らしを続けているのですが、昨年は特に一人で過ごすことが多く(コロナもありましたし)、なかなかの孤独感を感じていました。言いようのない不安感に苛まれたり、居ても立ってもいられなくなり、近所を散歩したり、コンビニに行ったりして紛らわせていました。精神的に参っていたように思います。

基本的に一人で過ごすのが好きな方だったのですが、なにか自分が変わってしまったような感じでした。出かけても、純粋に楽しめない。

その当時は、「孤独」というキーワードで、ネットを調べたり、本や雑誌を何冊も読んだりして、なんとか自分を治そう(保とうかな)としていました。
(その過程で、吉藤オリィさんを知り、オリィ部というとても楽しいコミュニティに参加することになるのですが、その話はまた別の機会に)

それが今年に入り状況が変わりました。実家では弟のことや、影響が出ている仕事のことで、新たな悩みや苦しみの中にいるものの、毎日自分の孤独感に向き合うことはなくなっています。弟のことがあって孤独を感じる時間が少なくなっていることもありますし、親と話す時間も増えましたし。

孤独ってつまりなんだろう

しかし、孤独というのは不思議なものですね。

話の流れ的には、他の人が近くにいるから孤独を感じないと結論付けた感じになっていますが、人がいても、例えば大勢の中にいると逆に孤独を感じてしまうこともありますよね。あとは価値観の合わない人たちに囲まれているときとか。

そういうときは、自分と世界の間に膜があるような感覚になったりもします。

自分が世界から取り残されているような。

現実の世界のレイヤーとは違う、一つ下のレイヤーに自分だけがいるような。

ここまで書いて、自分のことを知っている人が見たら、私のイメージと違うことに戸惑うかもなと思いました。私のイメージは、飄々と、あるいはユルユルと今を楽しんで、いつもフワフワ生きている感じですから(どんな感じだ)。

私は、夢とせつなさをテーマにした『yumetuna(ユメツナ)』というフリーペーパーを作っているのですが、この目的は、「新たなつながり作り」。

なぜ「新たなつながり作り」を目的としているかというと、この先の人生を孤独で生きたくないからです。つまりは、やっぱり孤独をなんとかしたいってことですね。

自分のキャラや好きなもの、もっと言えば価値観みたいなものに共感してもらい、つながりを持ってもらう。その気持ちいい連鎖みたいなものができたらいいなと思っています。

弟のことがあって、フリーペーパーの制作も延期していましたが(ほんとは今年前半に発行するつもりでした)、制作を再開しようと思います。




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