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パラソムニア

「寝ている間の記憶がないって当たり前のことじゃないの」と笑うわたしを、男は哀しそうな目で見つめる。わたしは急に不安になり、「夢が思い出せないという意味?」と聴くと、男は首を小さく横に振り、「眠っている間、僕は自分が何をしているか分からないんだ。本当に寝てるなら良い、でもそうじゃない可能性もあるだろう?」という。

「少なくとも昨日から今朝はこうしてわたしの隣で眠ってたよ」と返すと、「君は眠ってなかったの?僕をずっと見ていたわけじゃないだろう?」という。なんだか屁理屈のように感じられて、私は話題を切るために身体を起こし、「夢遊病の気でもあるの」と笑うと、男は「そうかも知れない」と呟いた後、むっつりと黙ってしまった。

トースターの中の食パンが色づく様を見ながら、わたしはふと考える。たしかに就寝してから起床するまでの間、眠っていると思うのは、同じベッドにいることだけが根拠になっていないか、と。例えばベッドに入ったのに、朝目覚めたらソファにいたら?就寝時の記憶が正しければ、睡眠中に移動したことになる。

ピピーッとトースターが鳴る。わたしは狐色にこんがり焼けたトーストを出し、皿に乗せる。先日、男と旅行した先で買ったお皿だ。きっと喜ぶに違いない。男に声を掛けるが返事がない。私は寝室へ向かう。

目を開けると灰色の天井。視線を移すと冷たい殺風景な壁と監視カメラ。身体を起こすとギシギシとパイプベッドが音を立てる。どうやらまた私は失敗したらしい。「目が覚めました?食事、置いておきますね」白衣を着たスタッフが格子越しに声を掛けて、鍵を開けて入室する。

いつになったら私はここから出られるのだろう。

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