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Clubhouseの登場にみる「自慢」の変遷と組織の未来

注目のClubhouse。新プラットフォームをめぐるプチ騒動をすこし離れた場所から眺めつつ、いろんなことを考えていました。変わらない人間の性(さが)、そして転機を迎えるかもしれない組織の未来。


人間は自慢したい生き物である

私が学生の頃、「金歯を自慢するおじさん」がいました。バイト先や親戚の集まり、いろんなところで、

「この奥歯、24金なんだよ」

と、ニカッと笑いながら汚い大口を開けて、奥の金歯を指さすおじさん。私からすれば、なぜそれが自慢なのかサッパリ意味不明でしたが、とにかくたくさんいました。さすがに最近はもう見かけません。いまやインプラントの時代ですものね。

あれから40年。金歯おじさんこそいなくなりましたが、自慢はあちこちに存在します。

人間は他人に認められたいという欲求から逃れることができません。そうするとつい自分の持ち物なり特性を自慢してしまうのです。

ここで非常に興味深いのは、「何を自慢するか?」がその時々で変化しているという、その事実。


「働かないこと」を自慢するフランス貴族

その昔、「働かないこと」が自慢だった時代があります。
たとえば市民革命前、18世紀のフランス。この国の王族・貴族は基本的に働きませんでした。カトリック的に労働は苦役だし、そしてなにより「働かないでも贅沢ができる」ことが彼らにとっての自慢だったのです。収入に縛られない贅沢三昧な彼らだったからこそ、フランスが誇る料理や芸術の文化を産み出せたといえるでしょう。

この働かない王や貴族の贅沢自慢のせいで市民たちは重税にあえぐことになります。
(参考:私担当のNHKラジオ・歴史再発見「会計と経営の500年史」<第6回:市民革命を引き起こした重税>も聞いてちょうだい)

これが一転して「働いて稼ぐこと」が自慢になるのは、イギリス産業革命からです。プロテスタント宗教改革で生まれた「稼ぐことは良いこと」文化は産業革命のときに確立、ここが資本主義の出発点ともいえます。これ以降の19世紀から「稼ぐこと=働くこと」が自慢になる時代がやってきました。いまなお日本では多くのサラリーマンたちが「働きすぎ」を自慢しています。一方、「働かないこと」を自慢する文化は、一部の「ヒモ」と呼ばれる男たちに残るのみ。


自慢する品と主人公が交代した20世紀

さて、「働くこと」が自慢になってからというもの、歴史上「オレこんなに金持ちなんだよ」という自慢の文化が花開きます。基本的にそれは「無駄遣い」というかたちで表れます。

そう、わかりやすいのがベンツやBMWです。別にトヨタや日産でもいいところ、そこをあえて高級外車を乗り回す人たち。そういえば私に金歯を自慢したおじさんの多くもベンツに乗っていましたっけ。

ところで、この無駄遣いは20世紀工業化社会が進むにつれ、興味深い変化を見せます。それは自慢する品が、「高価なモノ」から「新しいモノ」へ変わっていったこと。

金歯おじさんの時代には加工技術が難しく高価な金歯が珍しかった。あるいはその昔、ベンツを買える人は少なかった。しかし工業化に伴って量産化が進むと、工業製品は基本的に値下がりします。
そうすると、工業製品では自慢できなくなるわけですな。

そして次の段階に進みます。
20世紀の後半、主としてIT系で「最新型マシン」を持っていることを自慢する輩が増えました。やれマッキントッシュだ、こんどはiphoneだ……。常にニューモデルを追い求め、それをいちはやく入手したことを誇らしげに語る若者たち。ここに至り、オヤジは自慢の主人公の座から転落します。おじさん・おばさんは最新型にまったくついていけないからです。


こんどは「新プラットフォームの使用」が自慢になった

そしてやってきました21世紀。
カンの良い方はもう予想していることでしょう・・・そう、Clubhouse。

モノづくりを行う工業から、IT情報通信に産業の主役が交代して以来、自慢の対象がベンツから新型iphoneへ変わり、そしていまや「最新プラットフォームを使っている」ことになってきました。

本人たちに怒られるので言えませんが、とくに年配者でClubhouse使いはじめた人の幾人かに、あの懐かしい金歯おじさんと同じニオイを感じるのですよ。そしてまた、彼らの反対側にそれを僻む人やアンチが存在していることもかなり似ている。

もちろん私はこの「おニュー自慢」現象を温かく見守っています。ああ、人間は変わらないんだな、って。でも、金も払わないで登録しただけで自慢できるって、ずいぶん自慢の規模が小さくなったものです。これは景気が悪くなるわけだ。すこしはフランス貴族を見習えよ。

で、今回のClubhouseに思うこと

で、今回のClubhouse。
旧メディアの代表、NHKラジオの番組で「放送禁止ワード」をすべてカットされている私からすれば「アーカイブ無し」は夢のような環境です。何でも言えるってすばらしい。

でも、そんなことはどうでもいいんです。
今回、コンテンツの受け手ではなく「出し手」の面からみると、いくつかワクワクする変化があります。いろいろありますが、まず一番は「若い人とフラットに組める」こと。

産業革命で登場した蒸気機関車は、人類にとって「距離の壁」を超える手段となりました。これに乗れば、自分の足で行けなかった場所に、短い時間で行くことができる。そんな「距離の壁」は自動車の登場によってさらに破壊されました。

ただ、機関車や車の移動はいまでも「大人」が主役です。経済的・安全上の理由で子どもは単独でそれを使って移動することができません。子どもは親と一緒に、その保護下でなければ好きな場所に旅をして、異文化に触れることができなかったわけです。

その物理的な距離の壁だけでなく「世代の壁」まで破壊してくれそうなのが最近一連の新プラットフォーム。
もはや若人はおじさんとちがってClubhouseに興奮することなく、もちろん自慢することもなく、それらを自然に使っています。このちがいは大きい。彼らのように新ハンドルを握るドライバーたちが、異文化との触れあいの中でこれからの「知」を生み出していくのは間違いありません。

そんな彼らと、私のような旧世代がフラットに係われるというのは産業革命以後にはなかった環境です。大げさにいえば「年配者と若人の仕事上の関係」がこれから変わっていく可能性を感じます。
もしかしたら農業・工業社会時代の定番だったピラミッド組織は「ひとつの伝統」になっていくのではないかと。そんな過渡期だからピラミッドの頂点に登りつめたM会長なんかは失言してしまうんだって。

「これから組織のあり方が変わるかもしれない」

ぜひこのプラットフォームを若人とたちと一緒に使っていきたい。来週、若人たちと一緒にClubhouseイベントをやることもあって、とても良い予感を感じています。

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