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指導者の道へ

 「これでいい。」となる事に恐怖感すら感じます。常に成長をしたいし、変化をしていきたい。そういえば、20代前半の時にお客さんに「変化しないといられない人なのね」と言われた事を思い出しました。正しくその通りで、1年毎にやるべきことを整理するタイプです。今回は、自分自身が指導者への道を志した経緯について振り返ります。
 (指導者として培って来た事が今のスクールへ反映する)


指導者とは

 私は、中学生の頃にトレーナーを志し、トレーナーになって多くの人の力になりたいという思いでやってきました。運が良かったり、周りの人に恵まれてとても有り難い経験を積むことができました。自分は幸運だと、周りの人からも言われていましたし、自分自身でも20代前半の頃からそう思っていました。その当時は「やりたい事ができて、モチベーションが湧くような仕事ができて幸運」そのような考えをしていましたが、今振り返ってみるとその経験が今に生きている。次につながって来ている事が何よりも幸運だったと感じています。
 トレーナーに興味を持ったのは、野茂英雄さんがメジャーリーグへ行った事がきっかけでした。そして、高校時代に自分自身が怪我をした事でトレーナーへの熱は更に強くなりました。「怪我をする子を減らしたい」という想いよりも、私の心の中には次のような想いがありました。
 「大好きなスポーツができなくなるような事をなくしたい」そして、「上手になるためのヒントを伝えたい、努力した分がしっかり返ってくるようなそんな指導をしたい」という想いが強かったです。そこから、スポーツを学んだり、研究したりする方向へどんどん進んでいくこととなりました。その中で、指導者の存在の大きさに気づきます。

指導者とは偉大なものだった

 指導者とは自分自身にとって偉大なものでした。ただ、指導者らしい指導者には正直出会って来ていなかったのかもしれません。学校の先生、習い事の先生、野球のコーチ、監督、トレーナーの先生などが私にとっての指導者に当たりますが、正直「指導者」自体がピンと来ていなくて、「ちょっと怖い」とか、そんな感覚を持っていました。
 それが、なぜ指導者の道を志そうかと思ったのかというと、それはジュニア選手との出会いと仕事を通じて指導者の魅力に取り憑かれることとなります。

教える事は苦手だった

 指導者の魅力をお話しする前に、トレーナーとしての知識を頭に詰め込んだだけの私は、本当に教える事が下手でした。頭の中で教科書を開いてしまうので、人の心を見る事がとっても苦手でした。でも、実はこっちの道の方が自分の適正だったんだろうな!?なんて今でも思っています。
 この不器用さが、沢山の失敗を生み出します(笑)
「あなた、人(人間)の事嫌いなの?」と言われたり、「あいつには教わりたいくない」と言われたりと。でも、そういった経験があったので自分をしっかりと見つめる事ができたと思っています(結果的にですがね。)


次回は、教える事の楽しさを知った事について書いていきたいと思います。


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