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【読書メモ#32】「孤高の人」新田次郎 新潮文庫

長らく読了せずに温めていた新田次郎「孤高の人」を読み終えました。
いま頭を金槌で何度も叩かれたような重みを感じています。

昭和初期の不世出の登山家・加藤文太郎の生涯を、新田次郎の山岳小説の世界で辿っている作品。文太郎はじめ実名での小説化。未亡人の意向によるものということですが、「単独行の文太郎」、社会人登山家の草分けとして筆者の文太郎への敬慕の想いを感じます。

新田次郎自身、この小説の単行本あとがきにて以下を述べています。

「この偉大なる登山家を通して『なぜ山に登るのか』という問題をといてみたくてこの小説を書いた。」

また、新田次郎の山岳小説観を知る内容として解説に、〈新田次郎山岳小説シリーズ〉の帯の言葉として以下を引用しています。

「なぜ山が好きになったのか私にはわからない。山がそこにあるから、などという簡単なものではない。私は信濃の山深いところに育って、そして今は故郷を離れているという郷愁が私を山に惹きつけたのかもしれない。しかし、これは私なりのこじつけで、私のように山国生まれでない人で、私より以上に山を愛するひとがいるのだから、山が好きだというのは、もっと人間の本質的なものなのかもしれない。私は山が好きだから山の小説を書く。山好きな男女には本能的な共感を持ち、彼らとの交際の中に、他の社会では見られない新鮮なものを見つけ出そうとする。のびのびしたように見えていて、実は非情なほどにきびしい山仲間の世界の中の真実が私には魅力なのだ。」

新田次郎は富士山頂のレーダー建設・立ち上げに携わりその過程で加藤文太郎に一度だけ逢い、その深い想いから「孤高の人」を書き上げた。
まさに加藤文太郎は、上記の現れだったのでしょう。

作中で次第に深まる山に対する加藤文太郎の考え。この機微を見つめるだけでも価値ある作品です。

ロングハイクには、小魚と甘納豆を持っていきたいと思います。

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