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アグネス・チャンの子育てへの姿勢

3人の息子さんをスタンフォード大学に入学させた、教育学博士号を持つアグネス・チャンさん。

(アグネスさんのプロフィールと、3人の息子さんがスタンフォードに進学した経緯は、以下の前記事をご覧ください。)

彼女の教育は、年間何百万円もする学校に子供を通わせたり、世界中を子どもと訪問するなど、金銭的に真似できない点も多いのですが、この記事では誰もが取り組める教育への姿勢についてまとめてあります。

妊娠後1000日の投資は実りが大きい

「投資」といっても、お金をかけるとか、IQを上げるためにやみくもに訓練するということではありません。(中略)それは、1. 十分な栄養、2. 母親の安定、3.コミュニケーションです。母親が妊娠して1000日、つまり2歳から3歳近くまでの間に、十分な栄養が行き届き、戦争もなく母親が安心した環境で子育てをしていて、愛情を伴うコミュニケーションを受けて育った子どもを大人になるまで追跡調査した結果、そうではなかった子どもに比べ、成績も良く、退学率も低く、就職率も高く、大人になってから経済的にも優位であったというデータもあります。

日本は先進国でも突出して低体重児が生まれ安い国だそうだ。が、妊娠中、十分に栄養を取り、ある程度の大きさの赤ちゃんを産んだ方が、教育学的な見地からは有利だという。また、できれば生後半年は母乳だけで育てるため、妊娠中からマッサージと栄養の指導をすべきだとしている。

愛情に条件はつけない

私たちの世代の親は、いい子だったら愛情を与え、いい子じゃなければ振り向かない、あるいは罰を与える、そういうやり方が正しい子育てだと思っている人が多くいました。そういう親に育てられた子どもは、他者からの愛情や、仕事の成果を得ている時でなければ自分に価値があると思えなくなるため、それらを必死に求めるようになります。自己肯定感の高い人は、仕事で失敗しても「この仕事はできなかったけど、私はできるはず。もっと頑張ろう」と考えるのに対し、自己肯定感の低い人は、「仕事ができない、私はダメな人間だ。もうお酒に走ってしまおう」などと考えてしまうのです。

大学受験に失敗したことで引きこもる、仕事で失敗して自殺する、といったことは、根本的な自己肯定感のなさからくるものだと理解している。

ただ一方で、親以外にも先生や友人からも、「条件つきの愛情」はあるものなので、親の対応だけではこの呪縛から逃れるのは難しいと感じている。

教材を意味あるものにする方法は、生活に活かすこと

人が何かを学ぶにあたり、一番忘れづらく、意欲がわいてくるのは、どんな時か?それは生活と密着している時なのです。生活と密着していると、それがないと生きていけないと思うから、意欲が出てきて忘れないのです。(中略)知識を覚えた時には「これは使える」「こういう風に使える」ということを、体験させるのが大切なのです。学校ではそのプロセスまではやってくれないかもしれません。だから、家庭で、その最後の重要なプロセスを行うのです。足し算を習ったら、料理をしてみる、買い物をさせてみるのです。

退屈させないことは、非常に重要

もともと学ぶ意欲を持って生まれた彼らが、なぜそれを失ってしまうのか?それは現代社会が「退屈」だからです。(中略)生存するためのものが満たされた状態によって、何も学ばなくても生きていけると子どもが無意識に思ってしまうことで、学ぶ意欲が下がるのです。子どもが学校に行っても「この文字を書くことは、生きることに直結する」とは思えません。人間は自分の生存につながらないことを学べと言われると退屈になります。そして、勉強がつまらなくなってしまうのです。ですから、子どもに学ぶ意欲がないのは、チャレンジ的なものがない、単調な生活をさせている、親の責任だと考えてください

先に述べた「生活に活かす」もそうだが、勉強と体験は両輪である。退屈させないためのヒントとして、しりとりや紙とペンを使った遊びなどのミニゲームに工夫をこらすなどがあるが、別の機会に記事をまとめようと思う。

英語について

私たちの中にある感情というのは、言葉で表して初めて実感するものだと感じます。言葉を学べば学ぶほど、自分が自由になる。自分の感覚とコミュニケーションできる。(中略)バイリンガル、トライリンガルになるにつれて、自分はどんどん自由に、豊かになっていきます。中国語の中でも広東語でしか表せない感情もいっぱいあります。広東語って痛快な表現がいっぱいあるんです。でも、それは北京語では表現できません。そして、英語で言えるかと言えば、それも無理です。私たちは言葉の奴隷になっています。一方、多くの言語を使えることは、めちゃくちゃ開放的です。これだ!という表現が見つかります。

言葉はそれを話す民族の文化や魂を、丸ごと含むものだ。例えば、子どもをほめる時、" I'm proud of you!"はよく使う表現だが、この日本語の訳語「私はあなたのこと、誇りに思う!」というと、大げさに感じないだろうか?すごい賞を取ったとか、一流大学に受かったとか、特別な時でないと言わない表現で、普段から使う言葉ではない。これは日本人のお互いに謙遜する文化が、言葉の中に暗に含まれているからだと考えられる。母語でない言語を学ぶことは、自分自身を理解するのに非常に役立つ

(言語を身につける上で)ベストなのは、0歳から少なくとも10歳までの英語環境です。子どもが物心ついた頃から、「英語は生活の中によくあるものなんだ」と認識するような環境を作っておくのです。母語の習得と同じく、まずは「聞くこと」が最優先です。耳から、大量の英語が入ってくる環境を作り、英語に触れる絶対量が確保できて初めて「話すこと」「読むこと」ができるようになっていきます。

アグネスさんは17歳で日本語を始め、仕事でも使っていますが、今でも苦手意識があるそうです。

好きなことを大事に

限りあるお金、時間、労力を、どこにかけるか迷ったら、それは子どもが楽しいこと、没頭できるものにかけるべきだと思います。習い事も何もかも、みんながやっているからとか、これをやったほうが入学に有利だからとか、ではなくて、やりたくないのだったらいいと考えるのです。好きなことをしている時、人は意欲的でいられます。そして、魅力的です。
その子の好きなこと、夢中になれること、これが大事です。魅力的なのは、何かに燃えている人間です。たとえ本人の目標が定かではなくても、そういう子がいると、周りは勝手にその子の将来を応援したくなります。

学校とは付かず離れず、自分が主体的に

先生とは良好な関係も作っていかなければならない一方で、誤った指導をされた場合には、それを正しい方向に修正したり、家庭で調整することを考えなくてはいけません。(中略)学校を変えていく努力も必要ですが、やはり限度があります。一番大切なのは、子どもと学校との距離を、離れすぎず近すぎず、ちょうどいい塩梅に保てるようにすることだと思います。そのためには、学校も楽しいけれど、学校以外にも楽しいことがある、学校だけが社会ではないとわかるような、様々な経験をさせてあげることが大切です。
中でも、部活動を熱心にやっている学校は注意が必要です。時に、学校の部活動という小さな社会の中で絶対的な権力を持つ先生によって、悪が正義にすりかえられてしまうことは起こりえるのです。学校は子どもを教育する大切なパートナーですが、支配されてはいけません。

私の経験を振り返っても、学校の先生の理屈が、世間の常識と異なっていた場合が多々あったと思います。特に小学校は、私にとって退屈で嫌なものでしたが、中学受験のために通っていた塾は第二の居場所となっていたように思えます。

また、特に体育会の部活は注意が必要だと思います。勉学に支障をきたすほど、練習量をこなすことをよし、という雰囲気に飲み込まいがちだからです。

ボランティアの力

ボランティアに参加すると、子どもはいい意味で社交的になります。ご老人、体が不自由な人、病気の人、そういう方たちとどうやってコミュニケーションを取ると良いのかを学んでいけます。周りの人を見て、「ああ、こういう風に話せばいいんだな」と子どもなりに考えるようになるのです。
ボランティアをすると、人のために何かをやった時、自分が一番楽しいのだということが実感できます。それを、小さい時から味あわせるというのがすごく大切なのです。

アグネスさんは、自身が子どもの頃からボランティアをしており、その活動がきっかけで芸能デビューをした。また、アメリカの大学受験ではボランティアをすると受かりやすくなると言われるが、みんなやっているので差がつかないという。

自分の親とのこと

もしあなたが自分の親との関係を思い出して辛くなるのなら、傷つけられたというよりも、強くしてくれたと思えばいいのです。そうしないと、そのトラウマから出られません。それは、自分が一番辛いですから。その憎しみを覚えていると、時々、毒が出てしまいます。毒が出た時、それは我が子を傷つけるかもしれません。そして自分も傷つくことになります。

まとめ

以上、引用するところの多い文章になってしまいましたが、参考になる考えの多い本でした。特に、ボランティアは私も一緒にできるように、考えていきたいと思います。



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