悲しいのはもう懲り懲り

10代の頃、「悲しい」という感情に憧れていた時期があります。
感情そのものに憧れていたかも。

中2病とも違うと思うというか本当にピンと来ていなかった。
小さな頃からの親友が死んでしまった事があった。
でもそれをどう感じていいかわからなかった。

それで怒った。
なんで死ぬんだ。そんな事にならなきゃいけなかったんだ。
彼にではなく運命みたいな結果に対して怒った。
そこにいる誰も怒っていなかった。
泣いている人の涙はどこから来ていたのかいまいちわからなかった。
他人の感情を疑った。


自分なりに工夫して感情にゆっくり気づけるようになって、
だんだんその感情の動きは大きくなっていったように思える。
それでその後の人生で悲しみをたくさん感じて生きてきました。
もちろん他の、喜びとか嬉しさとかそういう感情もいっぱい。

でも悲しみ、絶望、失望がとにかく多い人生だったと思う。

だからもう悲しみは懲り懲り。
世間の悲しいニュースを見聞きするだけで胸が締め付けられるように苦しくなったりします。
年明けから本当に…。

初詣で自分の身の回りの幸せと健康を祈ってきましたが
やっぱり世界全体の幸せを願ってくればよかった。
亡くなった方々のご冥福をお祈りします。
地震や飛行機事故の被害者の方々の苦しみが少しでも早く安らぐことを願います。


この話の締め方がわからないからさっきの話に戻します。
あの日、彼に誓ったこと、去年叶えました。
これからも見ていてほしいと願います。
それと…世界平和も願います。
愛と平和と健康と…初詣一回では足りませんね。

おしまい
今年もよろしくね。

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