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ドラクエⅡに夢中になり、漫画家を目指した。

小学生の頃、ドラクエの絵をよく描いていました。あの頃クラスにそういう子よくいたなあ。
Ⅳのモンスターだけど、ももんじゃは今でも空で描けるよ。

空で描いてみたももんじゃ。正解を見たら指は黒くなかった。

このももんじゃの、毛皮を表すようなちょっと入れる線、僕がこういうディティールの線を描き出したのは鳥山先生の影響です。

正直今もふわふわした気持ちです。
僕は幼い頃に放映していたDr,Slumpを見て、そのままドラゴンボールやドラゴンクエストに触れることになった人間です。

この人生でどれだけ鳥山先生の作品に触れてきたか
繰り返し繰り返し同じ作品を読み返し
寝る時は頭の中で今日は悟空と誰が戦ってるところを考えながら寝ようかなとワクワクして脳内で戦わせて

僕の世代の人間で子供の頃に漫画を描いていた人なら心当たりがあるかもですが、僕も完全にドラゴンボールの真似みたいな漫画を描いていました。手から光線を出して戦うの。


思い返せば僕は幼稚園の頃の将来の夢は「電車の運転手さん」でした。
しかし小学校低学年で遊んだドラゴンクエストⅡに夢中になり、

「どうしてドラゴンクエストの漫画はないのだろう?

…無いなら自分で描けばいいか!!」
となり実際に描いてみて

「描けた!!

…あれ、僕漫画家を目指そうかな。」
と思い上がり
将来の夢は漫画家に変更され今に至ります。


いつしかその漫画は最初は架空のドラクエだったはずがドラゴンボールがどんどんバトル漫画になっていき
僕のその漫画も手から光線を出すバトル漫画になっていきました。
なーつかしいですね。


子供の頃に
あれはどういうタイミングだったかな。
僕が風邪でもひいて寝ていたんだっけな。
水曜日の夜7時過ぎ、僕は見ていなかったのにリビングに行ったら親だけでドラゴンボール見てた。
「悟空が蛇の道から落っこちたよ」みたいな事言われてええ〜!!って。
うちの親は絵を描く人なので漫画に対しても時には厳しい目も持っている人で
だからそんなうちの親でもドラゴンボールは見るんだってなりました。
鳥山先生の魅力を多面的に感じることができました。


悟空がさ、時々言うじゃない。
「死んだらドラゴンボールで生き返らせればいい」って。
ドラゴンボールは熱い戦いがありつつも
そういう飄々としたカラッとした空気があって
それを描いていた鳥山先生の事だからなのか
亡くなったと聞いたけどどこかふわふわとした不思議な気分です。
単に受け止めきれてないのかもしれないけど
子供の頃に夢中になった作品を作った方だからこそ
僕にとってはやっぱり夢の中の人みたいで
あのいつものロボットの姿で界王様のところにいるか、
孫悟飯爺ちゃんと一緒にいるか、
そんな想像をしてしまいます。


それでも漫画家の東條チカ先生のツイートで
「フリーザの戦闘力を当時の小学生が真剣に考える」漫画を読み返し
少しあの頃の感情が蘇ってきた時切なさに襲われました。


またまた思い上がりみたいな事を言いますが
この先どれだけ頑張っても鳥山先生に会う事は叶わないのですね。
それでも先生の素晴らしい作品に出会えてよかったです。
ドラゴンボール以降の作品で「COWA!」という作品も大好きでした。
先生の漫画をもっともっと読みたかったです。


先生、僕に漫画を描くという素晴らしい人生のきっかけをくださりありがとうございました。

おかげさまで例え色々な事があっても、全てを含めて本当に本当に幸せな人生です。

鳥山明先生のご冥福をお祈りしています。

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