何にもなれない自分であり続ける
立冬|地始凍
令和5年11月13日
過去のコヨムを振り返る。コヨムが始まってちょうど暦が一周した令和4年3月18日に、コヨムの生まれた日のことを書いた。「季節に対して、もっと能動的に手を差し伸べたい。」東京のIT企業で働き始めて4年目の末、京都で体得した季節の感覚が狂うには、十分すぎるほどの労働の密度だった。
そうして暦が一周半ほど巡り、コヨムは一年間休止した。自分の仕事やプライベートのペースと、七十二候がやってくるペースが噛み合わなくなり、どうしてもコヨムが片手間のタスクになってしまった。こんなはずじゃなかった、やらされ仕事みたいにコヨムと向き合いたくない。筆が動かなくなった。また途中で投げ出すことになった。いつだってそうだ。
大学進学は文系も理系も捨てられなくて、総合人間学部という ”つぶし” の効く学部を選んだ。サークルも専門も一つに選べず、どれも中途半端に終わった。エンジニアになろうと勉強を始め、はや8回の挫折を数える。副業でいろんなことに手を出し、同じように手を引いた。今年は日本酒を勉強したけれど、すでに興味は別の方向にある。ぜんぶ中途半端、何をするにしても “ある一線” を超える前に火が消える。スペシャリストと呼べるものは何も得ていない。結局、コヨムも最後までやり切れなかった。
それでも季節はめぐってきた。コヨムが止まっても、立冬がくれば寒くなり、春分がくればなんだか心が躍り出す。もう三年目になった大船生活、夏場は湿気と暑さにひいひい言っていたが、昨日から急に寒気が舞い込んできて、自転車のハンドルを握る手の甲が痛い。戦争がいくつも始まった。物価が上がった。でも自分の命に不自由していないし、気づいたら今日が終わっている。「現在は決して歴史の微分ではない。」令和4年7月3日のレターはもう遠い昔のようで、毎日の ”今日” はいつかの延長線上に乗っかるようになった。
コヨムが止まったら生活の円環が果てた。実体のない時間へ等間隔に杭を打ち続けることに何の意味があるのかは今でもわからない。それでもコヨムを刻まなくなってから、円環だった季節感覚は野放図にまっすぐ走るようになった。際限がない、目的もない、ゴールのない短距離走。息切れしても止まらない。「資本は自ら増殖していく、テクノロジーの進化は加速していく。」まるで令和4年4月17日のレターのようで、しかし加速し続けていたのは自分の足元だけだったと気づく。
果たしてコヨムは再開した。自分はフリーランスから正社員に戻り、コヨムは再び円環運動を始めた。歯車は、やがてまた噛み合わなくなる。その度に、未だ何にもなれていない自分と、その手に持っているたくさんの手提げ袋を見て、いつまでも自分であり続けることに誇りをもつのだろう。それでいいのだと心から思えるには、まだコヨムの杭が足りない。
-T.N.
地始凍
チハジメテコオル
立冬・次候
すごいゲームに出会ってしまった。ゲームなんてトランプとパワプロくらいしかやったことなかったのに、すごい勢いでハマっている。名前の通り、Googleストリートビューで表示される土地(Geo)の場所を推測する(Guess)ゲーム。これのすごいところは、「正解/不正解ではなく、近ければ得点が高い」「具体的な景色を暗記していなくても、さまざまな特徴から推測が可能」「地名のようなリテラルな情報もあれば、屋根の形や植生などのメタ的な情報もある」「楽しく遊んでいたら、いつの間にか地理学者・民俗学者になっていた」など。この "Guess" 形式は汎用性が高く、NewsGuessr(ある日の新聞の一面を見て、いつの新聞かを推測する)、ArtGuessr(美術作品を見て、いつの年代かを推測する)など、横展開がいくらでもできる。自分がエンジニアだったらボロ儲けするところだが、8回も挫折したから仕方ない。
コヨムは、暦で読むニュースレターです。
七十二候に合わせて、時候のレターを配信します。
何にもなれない自分であり続ける
https://coyomu-style.studio.site/letter/chi-hajimete-koru-2023
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?