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【27日目】攫われていく異界はひややりとすぐそこにあって帰れない青

わたしは、お盆の時期になると「川に足をつけに行きたい」という衝動に駆られる。

浅い川の石の上に足を置く。
川上からどこかの海に向かって流れていく、
ゆるくて冷たい水がわたしの罪も攫ってくれそうで、
鱗のような空の反射色を眺めている。

その記憶がどこかにあって、わたしの心はそれを求めてしまう。

海ではなく、
川でなければいけない。

緑の匂いがする中で、木漏れ日にチラチラする目で本当の太陽の色を見る。
溶けて元に戻れるような気がした。
美しい一つになれるのではないか、
人間界にもう戻らなくていいのではないか、という期待感。

わたしは毎年お盆の前ぐらいにそれをひどく求めてしまう。
それは、取り憑かれたかのように。

お盆どきに水場に近づくと異界に触れてしまう。

それは、よく言われていることだ。
水と幽霊、怪異は常に共にある。
番町皿屋敷や貞子、トイレの花子さんに、河童なども水がある場所に現れる。
小野篁が地獄に通ったというもの井戸であり、水にまつわる。

そもそもあの世は、水によって隔たれている。
三途の川があり、服を脱いで奪衣婆の審判を受けて、渡る。
罪が重ければ、激流を行かなければならない。
幼く死んだ子どもは、賽の河原で石を積み続けなければならない。

日本人にとって、川は象徴的なものだ。

そんな川にわたしは吸い寄せられてしまう。
だけど、危険性を知っているから行かないことにしている。
行かない、いっちゃだめ。
そうは思うのだけど、心は川に足をつけることに魅入られてる。

今年も、川の事故が後を絶たない。
毎日テレビのニュースでは、川で子どもが亡くなった、大人が助けに行って亡くなった、と読み上げられている。
きっとニュースになっていない死もあるだろう。

実際、川は浅いように見えても突然深くなっていたり、
砂や石が転がるせいで上がれなくなるという状態になるそうだ。
ふざけているように見えるかもしれないが、とても真剣な死への至り方だそうだ。

川は急激に増水する。
故に死者が多く出てきたのだろう。

だから、水場である川は異界とされてきた。

わたしは、異界に吸い込まれそうになっているのではないか。
毎年毎年、この世のものでないものに引っ張り込まれそうになっている。
それは、死だろう。
誘われていくその土地はいいものだろうか?
怖いのだろうか、よくないものなのだろうか。

もしかしたら、たくさんの人がわたしと同じように引っ張られてしまっているのかもしれない。

今年もお盆がやってくる。

だけど、わたしは足を水につけたいと思っていない。
もうわたしは、死に引っ張られていないのかもしれないな。
異界にも必要とされていないのかも。

だからこそ、わたしはずっと異界を描いていく。

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