【31日目】嗚呼、今日は終焉だと名付けよう 止まらない歌始まる気配
ゴールデンウィーク明けすぐに
新卒で入った会社をモラハラ被害で退職をして、
心は酷く形を変えてしまった。
自身の醜さや至らなさ、無駄な感情、希死念慮が渦巻き続けて、川を流れて地球の反対の海にでもいければいいのに。
自分は無力でクソだ。
そう思った。
なのに、何かをしたいというプライド、
何かができるはずなのにというプライドが
ずっとあって、苦しくなっていく。
真逆の感情がぶつかり合って、きっと空気なら積乱雲が出来てしまうだろうというような感じだ。
5月は現実逃避で文学フリマ東京に出店した。
6月は、未来短歌会笹欄の歌会に参加するために東京まで行った。とても優しい空間で楽しかった。国家資格を取ると決意して、キャリアコンサルタントの申し込みで40万振り込んだ。大金が移動していく恐怖感と何がができるのではないかという喜びがあった。
7月は、何も出来なかった。カウンセリング入門を受けたり、zoom歌会に参加させていただいたり、作家飲み会に参加したり。それでも何も出来なかったという感覚がある。だから、noteの更新を始めた。1日1回、人生を振り返り、自分の中にある思い込みや恐怖のきっかけを知ろうとした。
そして、8月。
noteを書き始めて、1ヶ月が経った。
わたしの言葉は誰かに届いただろうか?
分からないけれど、毎回10人ほどには確実に読んでいただけているという事実は、とても素敵で愛おしくて大事なことだろう。
楽しんでいただけてるかはわからない。
暗くて、鬱々としていて、悲しい出来事ばかりのnoteで引っ張られてしまった人もいるかもしれない。
それでも、読んでくれる人がいる。
毎回、毎回、
読んでソッといいねを、スキを押してくれる。
わたしはこの人たちを忘れないだろう。
私を見届けてくれた大事な証人だ。
この1ヶ月でなにか変わったことはあるだろうか?
わたしとしては、初期の頃より文章が薄くなってしまっているなぁと思っている。
より深く、より辛い部分に踏み込んでいるからか、脳が箍を外そうとしない。アクセルを全開にしているのに、同時にブレーキも踏んでいる。カッカッカッと引っかかるような文章は、読んでいて気持ちよくないだろう。
初期の頃は、辛いながらも流れるように思い出が連鎖していった。出来事の繋がりと伏線回収をとても理解出来た。
わたしには、まだ人に言えないようなことがたくさんあるのだろう。
認められない感情や精神、思想や出来事がわたしの底にあって、出てくることを拒んでいる。
だけど、わたしはそこまで明かしてしまいたい。
自己開示は暴力だと言う。
全部受け止めて、となると人の負担になってしまうのは本当だろう。
だけど、わたしは暴力的に自己開示をし続けている。
わたしを表現し続けている。
人は、他人に見られないと存在しない。
わたしが存在するためには、Aさんに認識してもらう。これで一面が出来る。Bさんに認識してもらう。これで別の一面が出来る。Xさん、Yさん、1さん、▶さん、♡さんに認識してもらうことでやっと、私は立体になっていく。
できるだけ多くの人にさまざまな角度から認識して、見てもらって、わたしは存在する。
もし、だれからも見られていなければ、認識して貰えてなければ、私は消えてなくなってしまう。わたしの意思はあったとしても、それでも存在はないも同然なのだ。
そう思って生きている。
だからこそ、わたしは少しでも多くの人に私を届けたい。
私を好きでも、嫌いでもいいから、
関わって、見てもらって輪郭を作る。
これは暴力だ。
だから、わたしは良くない人かもしれない。
だけど、わたしは止められない。
だって、私は存在していたいから。
前職での日々は、関わっているけれど消えていくような感じがあった。私を消し去っていく。そんな感じが怖かった。
社会人になるということは、感情を無くすこと。
社会人になるということは、ミスに対して何も思わないこと。
社会人になるということは、悲しみとか全部無くすこと。
そう唱えながら暗くなっていく空の下を歩いて帰っていた4月の終わりを思い出す。
今の方がわたしは存在している。
日々、何もしていないと思えるけれど、
それでもわたしは今、存在できている。
それは多くの人に支えられているからだ。
8月。
ロッポンギ歌会にゲストとして参加させていただいた。
そのきっかけも未来短歌会へのきっかけも、
三好くに子さんだった。
4月の暗い時にわたしにDMが届いた。
あなたは才能がある。
そう、強く伝えてくれる内容だった。
文フリ東京の後に一緒にご飯に行って、
「未来短歌会で笹先生についていくといい」と熱弁してくれた。
笹先生はオカルト短歌の先駆者であり、短歌の自由さ新しさにも寛容で、
未来短歌会の笹欄(笹先生のクラス的なもの)も殺伐としてないと聞いた。
わたしは、短歌会に入るのに抵抗があった。
大学での歌会や合評では、全否定の殺人ゲームが繰り広げられていた。
短歌界隈で起きていたパワハラ、セクハラの横行も是正がされないままであるという事実を知ると、自浄作用がないのかと入らないことを選んでいた。
だけど、6月に参加させていただいた歌会は、そういう怖い部分が一切なく、
「あ、こういう合評ってあるんだ」と衝撃を受けた。
ちゃんといい方向に持っていくための意見はあるけれど、
それでも勉強になるものだった。
ああ、ここなら頑張れるかも。
絶対に入るとは決めていた。
だけど、資格の入金をした後でお金がなかった。
そのせいで、踏ん切りがつききらなかった。
でも、それは言い訳で、本当は。
変化が怖かったのかもしれない。
何かに所属するのが怖くて、また仲間外れにされたり、
「誰とも合わない」という絶望を感じたり、
その合わないは自分のせいかもという恐怖でいっぱいだったのだろう。
才能のなさを露見しちゃうと思っていた。
つまらないプライドだ。
でも、このプライドに依存して生きてきた。
このプライドがなかったら、わたしはとっくにのたれ死んでいただろう。
だけど、わたしは所属して、戦って、導いてもらって、
強くなる。
師が欲しかった。
身を任せていいような、それでいて、しっかりと立つための時間。
8月になって行われたロッポンギ歌会の題詠は『怪談』だった。
だから、三好さんはとても熱心に勧めてくれていた。
その上で、三好さんと共に気にかけてくれていた淀美佑子さんがわざわざDMをくれた。
ああ、行かなくちゃ。
恐れていてはいけない。
わたしは『怪異短歌』をやっていくつもりでいる。
だからこそ期待してくれている。
みんながわたしに優しくしてくれている。
そんな素敵なこと、素晴らしいこと、滅多にない。
そして参加したロッポンギ歌会では、
題詠、自由詠どちらでも一番の得票を得ることができた。
優勝。
皆さんに匿名でもいいと思っていただけた。
それは、わたしが進む道を信じていいという後押しになった。
できないことばかり、
技術も拙い、
短歌も好きでいられない、
読むのに時間もかかるし、
勉強も足りない、
知識もないし、知恵もない。
そんな中でも、わたしの選んだ道はまっすぐつながっていて、
進める道だった。
進むべき道だった。
大丈夫、わたしならできる。
傷つくことも必要だ。
動かなければ何も始まらない。
うん、うん、大丈夫。
そうして、わたしは目覚めてすぐに振り込みをした。
口座にはたった5万円しか無くなって、
それでも、動き出すには十分で、生きていこうと思った。
バイトのアプリに登録してすぐ、何個かに応募をした。
そして、今日。
わたしはバイトの面接に行った。
派遣の仕事で、就活と資格取得を両立できるものを選ぶことができた。
実務経験にもなるし、今後の糧にもなってくれるだろう。
無事受かり、当分のお金を稼ぐ見当もついた。
我が家には今、野良の子猫が住み着こうとしている。
捕獲保護をして兄のところに渡すことを目標とはしているが、
5匹ほどいるため、譲渡先を他にも見つけなければならない。
そのためにはお金もいる。
いろんなことが始まった。
やっと、エンジンが温まってきたのだろうか。
マイナス100度で氷漬けにされたわたしの原動力がやっと溶け始めたのだろう。
何もかもできない人間だけど、
何もかもできるはずだから。
これで丸一ヶ月のnoteを終了する。
これからは、一週間に一回程度更新していけたらと思う。
勉強に割く時間が必要だし、短歌をたくさん書いていかなければならない。
溶けた水は美しいだろうか。
それとも細菌だらけだろうか。
透き通っているか、それとも泥のように変色してしまっているか。
その結果がわかるのはもう少し先だろう。
わたしは、わたしを愛してくれる人を探して歩く。
走って、転んで泣いてでも、そのまま海も泳ぎ出す。
きっと最後は核に触れる。
マグマに溶けてもなお。
ここまで読んでくれたあなたとは、
繋がりができてしまった。
消そうとしても、もう消えない。
消したとしても、消したという事実が残ってしまう。
それこそが傷だ。
出会いは傷だ。
わたしという傷が皆さんのどこかにつきますように。
わたしにも皆さんという傷がついて、跡が残る。
時間の経過も消すことはできない、そういうものが大事で仕方がないと思うから、
わたしは全てを書き記していきたい。
ありがとうございました。
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