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【28日目】澄み渡る命に触れた誰よりも強くなければいけなかった日々

わたしが愛情を知っているのは、あの子達に出会えたからだ。

わたしは末っ子だ。
4つ上の兄がいて、わたしがいる。

母方のいとこはみんな新潟にいるため、年に一度会うこともない。
思えば、もう10年ぐらいあってないだろう。
父方のいとこも関東とフランスにいるから、会うことはない。
関東の方とは反りが合わず、若干険悪な関係だ。
フランスのいとこは、去年とても久しぶりに日本に来た。
何度か遊んだけれど、わたしが英語を話せないためコミュニケーションはざっくりとしたものだった。
今年も誰とも会わない。

それぐらい、わたしは親戚関係と縁が薄い。
「いとこと遊びに行くねん」
かつて、同級生の友達がそんなことを言っていた。
とても仲がいいらしく、毎月のように遊んでいるそうだ。
年も5つぐらい違うけれど、だからこそ可愛がってくれていると言っていた。

ああ、そんなことがあるんだ、と驚いた。

いとこと遊びに行く、という感覚が限りなくない。
1ミリたりとも想像できないし、正直彼らの名前すら朧げだ。
きっと、向こうにとってもそうだ。
兄は京大出身で有名な会社に入ったということで親戚の中でも自慢だと思う。

だけど、わたしのことなんて誰も何も知らないことだろう。
不登校であったことからも進路にも触れられてこなかったし、
自慢のできる人間でもない。
もはや、忘れ去られているのではないかとすら思う。

別にそれでいい。

わたしには、弟分がいた。
母の友達の子どもだ。KとSと言おう。

小学4年生の不登校の時にちょうど産まれたのがKだった。
わたしは学校からはみ出して、人との関わりがなくなっていた。
Kママも、ワンオペで育てており初めての子育てに追い詰められていたらしい。

母と共に週に2回ほど会いに行く。
お家でただただダラダラするだけ。
わたしはKと遊ぶ。

彼はケラケラよく笑う子だった。
まんまるなお顔をしており、まるでその当時流行っていた「カクレモモジリ」のようであった。
それでも、わたしと同じように肌が弱く、大変なことも多かったのだろう。

わたしはそれでも大好きで、大好きで、おむつもいつも変えていた。
わたしが来ると一生懸命廊下をハイハイしてきて、抱っことせがむ。
泣くことも多かったけど、いろんな方法であやして、寝かしつけも、ご飯も食べさせていた。

子どもはすごく可愛い、そう思えた。
素直にわたしを好きでいてくれる。
学校のみんなはわたしのことを嫌いかもしれないけど、
この子はわたしの顔を見るだけで笑って駆け寄ってきてくれる。

その事実だけで、わたしは救われた。
この子が幸せになることをなんでもしたいと思った。
飛行機だってするし、かけっこもかくれんぼも何度だって繰り返す。
一種の依存でもあったかもしれないけれど、
それでも心の支えであった。
きっとあの時に、自己肯定感が復活したのだろう。

どれだけ否定されても、嫌がらせされても、
わたしは愛されているし、愛する人がいる。
存在してていいし、必要とされている。

学校に通うようになっても、
毎週日曜日は、必ず遊びに行った。
ちょっとずつ大きくなり、アンパンマンから電車に変わって仮面ライダーを好きになり、サッカーをするようになった。

K誕生から4年後、その子に弟ができた。
生まれたての頃はあまり会いに行けず、
立って動けるようになった頃から会うようになった。
Sはおふざけな子だった。子どもっぽい子ども。
やんちゃさもあって、なんでもお兄ちゃんの真似をする。
その子の笑う声は、コロコロと転がるようで思い出すだけでも気持ちが良い。

いっぱいはしゃぐ子だった。
だけど、他の人の前ではおとなしくて人見知りをするらしい。
ああ、この子達にとってもわたしたちは特別なのかもしれない。
そう思うと喉の奥がぎゅっと苦しく優しい気持ちになる。

子どもっていいな、と思った。
家族っていいな、と思った。
だから、わたしはずっと結婚をして子どもが欲しいと思っていた。
エゴだけど、大事な感情だろう。
イマドキでは珍しいぐらいちゃんと人を育てて愛したいと思っていた。

いとこよりもずっと近くて、血はどこも繋がっていないけれど、
それ以上に心での繋がりがあった。

それからもう10年以上経つ。
Kは中学生になり、Sはわたしが彼に出会ったのと同じ小学4年生だ。
Kのサッカーが忙しいため、ほとんど会えない。
Sとはたまに、3ヶ月に1回ぐらい会う。

大きくなったけれど、細くて小さくて、弱かった。
ああ、あの頃のわたしはこんなにも小さかったのか。
たくさんの試練と苦痛があったけれど、こんなにも弱くて守らなければならない存在だったのだと思うと世界がうるると歪むようだった。
弱くて仕方ないのに、教師は守ってくれず、むしろ責め立てたのだと思うと恐ろしかった。

そして、今、現在進行形で苦しんでいる子どもたちがいるのだと思うと
次はわたしが大人として守らなければならないと気づく。

子どもたちは小さく弱い。
なんでもできるし、何もできない。

だからこそ、大人は彼らのために戦わなければならない。

ならないのになぁ。

社会の流れとして、共同親権などが進められてしまったため、
わたしは結婚もしたくなくなってしまった。
子どもを作ることも恐怖だと思う。
生き抜くには難しすぎる時代だ。
すでにわたしたちの時代ですら、苦しいことばかりだ。
難しい、怖いし辛いし、どうしようもないという無力感に包まれている。
何も変わらない。

それでも、諦めては行けないとわかっている。

わたしにとって、あの時間はとても大事だった。
無償の愛を与えてもらえたあの時間は、素晴らしく、生きる糧になった。
親になることは、無償の愛を与えることだとされているけれど、実際は与えてもらうものなのだ。
子どもは無償の愛を与えてくれる。
自分で子どもを産む以外でその対象になれたことは貴重だった。

良かった。
本当に良かった。

この循環をわたしも何かで繋げたい。

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