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第一志望校に落ちた君へ。

3月は、多くの受験生の進路が確定する時期だ。
見事に志望校合格を勝ち取った人もいれば、そうでない人もたくさんいる。
結果に満足できない人もいると思う。

これを読んでいる君は、おそらく後者だと思う。
志望校に落ちた先輩として、僕は君に伝えたいことがいくつかある。

まず、君に覚えておいて欲しいことは、結果自体に意味はないと言うことだ。
「東大に受かったから正解」でもなければ、「志望校に落ちたから失敗」でもない。てか受験の結果はなんでもいい。

大事なのは『今後どうするか』でしかない。

ただ、君にもそんなことはわかり切っていると思う。
「言われなくてもわかってるよ」って思ったでしょ。
でも、そんな気にはなれなくて、きっと君は今落ち込んでいるのだと思う。
じゃなかったらこんな記事を見るはずはないし、きっと毎日YouTubeかテレビをだらだら見て過ごしているのではないだろうか。

僕はただ正論を振りかざしたいのではない。
僕のこれまでの経験を通じて、伝えたいことがあるだけだ。
それは
『受験が上手くいかなくても、人生は楽しく過ごせる』
『大事なのは今後どうするか』
『僕が後悔していること』

の3つだ。
もし君に時間があれば、ぜひ最後まで読んで行ってほしい。


「志望校に落ちて良かった」という話

まずは僕のエピソードを聞いてほしい。
(興味無かったら飛ばしてください笑)

僕はこれまで受験に2回失敗している。
1回目は高校受験。完全にナメ散らかして完敗した。
2回目は大学受験。自分なりに頑張ったが、第一志望には合格しなかった。

そんな僕の高校生活や大学生活は最悪だったか?と聞かれれば、食い気味に『NO』と答える。
勘違いしてほしくないが、負け惜しみではない。僕は志望校に落ちて心から良かったと思っているし、逆に受かっていたらと思うとゾッとする。

その理由は大きく2つ
① 進学先での経験・人との出会いがなかったら今の自分はありえないこと
② 自分の中のマインドが変化したこと

特に①が大きい。

少しだけ僕の話をしようと思う。

事例1

高校受験の話からしよう。
受験なんて経験したことなかった僕は、完全に舐めてた。
恥ずかしい話だが、模試でB判定が1回出たくらいで「あ、これ勝ったわw」と思って調子に乗っていた。
家で勉強するフリしてPSPでモンハンしてた。
過去問を解いた際、記述部分は適当に満点にしてた。
塾の講習も適当に受けていた。
受験前日に韓国ドラマ観てた。

結果、見事に落ちた。
当然だけど。

ポケモンみたいな話だが、本当に目の前が真っ暗になった。落ちて当然なのに。
正確には、『思い描いていた高校生活』が黒く塗りつぶされたイメージだ。
しばらく放心状態で歩き、すこし落ち着いたところで過去の自分を振り返って恥ずかしくなった。めちゃめちゃ後悔した。死にたくなった。
親や周囲の人の気遣いがすごく痛かった。

現実を受け入れられなかった僕は、転学という精度で志望校に再入学しようと考えていた。今思うと非常〜〜〜〜にダサイと感じるが、当時はそれだけ現実を直視できなかったのだ。
滑り止めの私立高校では「どうせ転学するし」と考えていたので部活も授業態度も適当にしていた。(しっかり怒られた)
しかし、友達が増えていくと居心地が良いと感じるようになり、1年生の終わりに「転学するかしないか」を迫られた際は、結局「転学はせず、この高校に残る」と決めた。

ここからは本気で努力した。

私立で学費はかかってしまうのが親に申し訳なくて、勉強は頑張って授業料免除の特待生になろうと決めた。部活との両立は大変だったけど、一生懸命努力した。
1年生のころにサボっていたツケもあって、両立は相当過酷だった。
部活を引退してから、2週間だけ遊んで、それ以降は勉強に全力を注いだ。
高校受験での失敗や、部活で学んだ教訓を生かし、最大限努力した。
夏休みは2ヶ月弱で650時間勉強した。
多いときは1日16時間勉強した。
もちろん多少息抜きはしたものの、普通にしんどかった。
マジで人生で一番勉強した。

その結果、第一志望の国立大学には落ちた。

元々模試の判定は良くなかったから当然なはずだが、めちゃめちゃ凹んだ。
私立はそれなりにいい大学へ行けたものの、めちゃめちゃ凹んだ。
一瞬『浪人』という言葉がよぎるくらいには凹んだ。
3月は毎朝「おかあさんといっしょ」を無心で観ていた。

結局「もう一年勉強するのはきつい」と思い、進学することにした。

進学してから1年間は、とても中身のない日々を過ごした。
大学は高校までと違って自分から積極的に動かないと友達をつくることはできないが、僕は人見知りな方だったので中々馴染めずにいた。
アルバイトで始めた塾講師は楽しかったので、そっちにばかり時間を使っていたが、1年生が終わる頃に「あれ、このままじゃこの大学に進学した意味なくね?」と思った。ちょうどその頃、数少ない大学の友達が「新しくサークル入ろうと思ってんだよね」と言っていたので、僕も一緒にそのサークルに入ることになった。

結果、このサークルが最高に楽しかった。
1年生の頃が嘘みたいに毎日充実した日々を過ごせたし、誘ってくれた友達と一緒にサークルの幹部になった。そいつとは親友になった。
みんなで花火したり、弾丸旅行したり、『THE・リア充大学生』のような生活をすることができた。
それなりに大変だったけど、めっちゃ楽しかった。

その後、大学を卒業した僕はアルバイトしていた塾に入社したが、大学の友人と久々に会ったことがきっかけで転職して、今は経営コンサルタントとして日々勉強している。

後半は端折ったが、僕は今とても充実しているし、これからの人生にワクワクしている。
僕は「志望校に落ちて良かった」と心から思っている。


事例2

もう1人の話をしたい。
僕が塾講師のアルバイトをしていた時の生徒の話だ。

その子は第一志望の高校に向けて誰よりも努力していた。
素直で明るい、よく笑う女の子だった。
部活も勉強も全力で取り組み、友達からも好かれていた。
僕だけでなく、教室スタッフ全員で誠心誠意指導に当たった。
しかし公立入試の結果は不合格だった。

とても辛かったと思う。
その子の友達や周りの子は皆合格していたので、余計に辛かったはずだ。
合格させてあげられなかったことを心から悔やんだ。

数ヶ月後、その子が塾に遊びに来た。
その顔は、いつもの笑顔に満ちていた。
高校では、なんと1年生ながらダンス部を創設し、毎日友達と楽しく過ごしているらしい。
僕はその子のバイタリティと行動力に面食らったものの、どこか救われたような気持ちになった。
その子が言っていた言葉が忘れられない。

「この高校に進学できてよかったです〜!」


2つの事例から学べること

このように受験が思うようにいかなかったとしても、それはあくまでその時点での話であり、その先もずっとうまくいかないわけではない。
大事なのは『自分の環境で何をするか』である。
そしてその際に自分の経験は必ず生きる。

僕が自身の体験を振り返って今思っていることは

  • 高校受験の反省や、高校での経験が『本気で努力する自分』を作った。

  • もし高校に合格していたら天狗になっていて、大学は全然違うところに進学していたか、もしくは全落ちで浪人していたこともあり得た。
    → そうなると今の友人との出会いがなくなる。(これが一番ゾッとする)

  • 『本気で勉強した』からこそ、「自分はこれくらい努力することはできる」と客観視できるようになった。

  • 勉強での経験はTOEICなどの様々な勉強に転用することもできた。

  • 「何事も全てうまくいくわけではない」と捉えることができるようになったし、プロセスに価値を置くことができるようになった。

  • たとえ何かに躓いても、そこからの気持ちの持ちようで次いくらでも好転すると気づけた。

  • 受験での経験が塾講師としての活動に大いに役立った。
    ……などである。

逆に僕が後悔していることは『進学してからの1年間、その環境を受け入れることができなかったこと』である。

高1からすぐ切り替えて「この高校でがんばろう!」と思っていれば、部活でもっと結果を残せたかもしれない。
大1でサークルを見つけて入会していれば、もう1年分楽しい思いができたかもしれない。
進学後の期間をただ漫然と過ごしてしまったことが、一番の後悔である。


受験の価値はどこにあると思う?

そもそも、大学受験においては、普通第一志望に合格しない人の方が多い。
人気の大学・学部は倍率10倍なんてこともザラにある。
にもかかわらず、「志望校に合格できなかった……」と嘆いているのは、言葉を選ばずに言うと「少々思い上がっている」とも言える。

しかも、学歴なんて今後の人生で大した問題にならない。
学歴フィルターは現実に存在するが、中身の薄い高学歴より、主体性と行動力のある中堅層の方が絶対に採用される。むしろ、挫折とそれを乗り越えた経験がある人の方が魅力的である。

受験の価値は、結果だけではない。
僕は、『自分の人生において壁に立ち向かい、本気の努力をする』ことに価値があると思う。
つまり、この受験期に君が、目標を立て、タスクを細分化し、スケジュールを考え、「どうやったらもっと成績があがるかな」「この学校はこういう傾向があるからこうしよう」「この方法は効率的ではない」と自分なりに努力し、試行錯誤し、本番に挑んだプロセスに価値がある。
社会に出てからの様々な場面でこの経験は活きてくる。


捉え方を変えるために、たくさん行動しよう。

有名な話がある。
「コップに水が半分入っているとき、あなたは『もう半分しかない』と思うか、『まだ半分もある』と思うか。」
これは、同じ物事だとしても、どう捉えるかによって気持ちが変わるという一例である。

結果や出来事は変わらない。
大事なことはそれをどう捉え、どう糧にするか、だ。

「そんなこと言われてもそんな気分になれないよ」と思うかもしれない。
だからこそ、たくさん行動することをお勧めする。
勉強だって、始めてから徐々にやる気が出るはずだ。
とにかくたくさん動いていれば、だんだんと前向きになっていく。
凹んでいる気持ちがある日突然吹っ切れるなんてことはないが、気が付けば大して気にならなくなってくる。

君に時間があるのなら、僕から一つおすすめしたい行動がある。
それは『経験の言語化』だ。
この受験期を振り返って、日記かメモに残してみてほしい。
手書きでもPCでも構わない。
後輩に伝えるイメージで、自分のやってきたこと、やって正解だったこと、反省点、学んだこと、今の想いを言語化してみてほしい。
記憶があるうちに自分の過程にしっかり向き合えることで、今後の人生に活かせるし、いつか振り返ったときに君の背中を押すものになるだろう。
また、『後輩に伝えるイメージ』が大切だ。ある程度客観的な目線を持つことができる。
書き終えるとスッキリするので、時間があればぜひやってみてほしい。


まとめ

話が飛び飛びになってしまって申し訳ないです。
伝えたいことを少しまとめようと思う。

『受験が上手くいかなくても、人生は楽しく過ごせる』

僕や友人、生徒を見ていても、受験結果と現在の様子は何の関係もないと言い切れる。受験結果は今後の経験でいくらでも『美味しい』ものに調理できる。
受験期をどう過ごしたか、何を学んだかの経験を大切にしてほしい。

『大事なのは今後どうするか』

受験結果が『素材』なら、今度の行動が『味付け』にあたる。
素材は素材でしかない。どう調理するかで料理は大きく変わってくる。
早めに味付けをすることが大切だ。放置しては腐ってしまう。

『僕が後悔していること』

1年間素材を放置したことだ。
特に見向きもせず、蓋をしてしまったことだ。
君たちにはそうはならないでほしい。
そのためには、『この結果をどう調理しようか』と考えて、ワクワクする方向へ舵を切ることだ。とにかく行動することだ。言語化も一例だが、
それ以外でも、できることはたくさんあるはずだ。

最後に

いつまでも結果に凹んで自分の殻に閉じこもるか、
たくさん行動して「ここに進学してよかった」と思えるようにするか、
はたまた「奮起してもう1年頑張る」か。

どう捉えたって君の自由だ。
どう行動しても君の自由だ。

君の価値は学歴でもなければ出した結果でもない。
歩いてきた足跡だ。

君の人生は君にしか歩けない。
だからこそ、できることなら、胸を張って歩いて欲しい。

これからの君を、応援しています。


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