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ハロルド・フライのまさかの旅立ち

6月7日公開のイギリス映画『ハロルド・フライのまさかの旅立ち』の劇場用プログラム内にレビュー寄稿させていただきました。大変光栄です。先日、私の手元にも可愛らしいデザインの完成版が届いたので、本棚の目立つ場所に飾っているところです。映画をご鑑賞の際にはぜひ手に取ってご覧いただけると幸いです。

この作品、原作はレイチェル・ジョイスが著した世界的なベストセラー小説で、彼女自身が映画版の脚本も手掛けています。もともと小説家デビューする前はラジオドラマの脚本を執筆していたそうで(それ以前は舞台女優としても活動していたのだとか)、だからこそ少ないセリフで感情を伝えるダイアローグの組み立て方も巧いのですが、それ以上に初老の主人公、ハロルド・フライが無謀な挑戦に踏み出すまでの過程を、決して説明的なくだりを用いることなく、サッと描いてしまう手腕が見事。気が付くと旅はもうすでに始まっていて、観客は心に何ら負荷を感じることなく、本題へ導かれていく流れにただ身を預ければよいのです。

https://movies.shochiku.co.jp/haroldfry/


イングランドの西南、サウス・デヴォンにあるキングスブリッジから、スコットランドとの境界にある街、ベリック・アポン・ツイードまで。車で向かえば午前中に出発して夕方ごろには到着できる距離ですが、ジム・ブロードベント演じる主人公が自らの足で、色とりどりの景色や天候、木々の香りや街の喧騒に包まれながらゆっくりと現在地を移ろわせていこうとするからこそ意味が生まれます。それらの距離移動が「心の道のり」としてもしっかり反響されている。それゆえ観客自身もまた、彼と共に果てしない旅を繰り広げたかのような感慨に浸れます。

ちなみにベリック・アポン・ツイードという街は、個人的にずっと私の心に引っかかっていた場所です。7年前、エディンバラへ向かう途中、もうまもなくイングランドからスコットランドへの境界を越えようかという列車の窓から見えた、ハッとするような海辺の街。思わずカメラを向けてシャッターを切らずにいられませんでした。いつか列車で通り過ぎず、この街に降り立ちたい。それが今も変わらぬ私の願いです。

ベリック・アポン・ツイードの街並み

旅は人を根底から変え、心を癒し、精神的な成長をもたらしてくれる素晴らしいもの。ロードムービーにもまた、その体験や醍醐味がギュッと凝縮されています。作者のレイチェル・ジョイス自身、夫の運転する車で何度も行き来して感触を確かめながら執筆を続けたそうで、へティ・マクドナルド監督もまた主人公が辿るルートを入念にリサーチして作品作りに十二分に活かしたとか。そんな思いが伝染するからか、私たち自身もじっとしておれず、何かの思いを叶えるために無心になって歩き続けてみたくなる、そんな映画です。

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