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はきだめのチェリー 7

【7】

 書きたい物語はある。その一線だけは、譲らず持っていたかった。

 伝えたい願い、吐き出したい想い、抱え込んだ感情を誰にも言えないまま朽ちていくかもしれない。そんなことを考えると、身体が底なしの闇の中に引きずりこまれそうになる。

 書くことで今の生活が好転するかもしれない。そんな漠然とした希望を抱いてる。気持ちは前を向いている、と思う。今日だって頭の中でイメージを反芻しては思考を繰り返していた。いつかは形になる、ハズだ。

 しかし、眼前にある洗面所の鏡には、アホな表情を向けて頬杖を付きながらスマホ片手に呆けてるバカな自分の姿があるだけだった。


 他人に話を書きたいと吐露したのは田中だけだった。彼自身も書き手を志していた過去があるらしく、普段の猥雑な感情とは裏腹に真面目に聞いてくれた。

 しかし、昨日の出来事によって非常にマズい事態になっていた。

 包丁を向けられた老人が通報したらしく、警察沙汰の騒ぎに発展。社長のバカは私の挨拶にも意を返さず頭を抱えながら電話対応している。周りの事務員も辟易した表情を向けてくる。

 回収に出るとやはり奇異の視線が向けられているのが分かる。今日は田中が休みで一人で作業してる分、余計にプレッシャーを感じてしまう。

 悪い噂ほど拡散が早い。まぁ昨日のは事実なのだが。

 とは言え、田中の肩を持つ訳じゃないが、実害は無いのだから別に訴えることは無いとは思う。世間ではそうは問屋が卸さないのだろうが。

 心なしか、普段よりもゴミの出され方に悪意を感じる。まるで罪人に石を投げ付ける群衆のなか、仕事をするような嫌な心地。

 四方に散乱する煩雑な黒いゴミの山。舌打ちをしつつ回収する。私が何かをした訳ではないのに。悪事を働いた連中には何しても良いと思ってる奴らは時代を問わず居る。

 もう、被害妄想が止まらない。これ自体、私の偏った視点が混ざっていることはわかっている。

 この辛さを上手く他人に言えたところで、吐いたゲロが自分に返ってくるだけだ。吐瀉物まみれで天を仰ぐ哀れな駄目人間の末路。

 結局は大元からして狂ってるんだ。社会も、人間も、何もかも死んじまえって話だ。

 ここまで来ると、創作を生み出す気力がドブ川に浮かぶ泡のように泡沫となって消えていった。


 路面に停車して次のゴミを拾うと、中年の女性から挨拶をされた。普段から愛想よく接してくれる方だ。

「あの、今日って燃えないゴミの日でしたっけ?」

「いや燃えるゴミです」

 一瞥をする余裕もないので横目にしながら答える。

「申し訳ないのだけど、明日だと捨てに来れないから今日持っていって貰えません?」

 軽く舌打ちをする。

「いや、ちょっと無理ですね。また今度じゃないと」

 アンタの都合は知らないし、そもそも明日でさえも無い。ただでさえ余裕も無いんだから邪魔しないでくれよ。

「あなた、その態度は無いでしょ」

 しっかりと怒りの込もった声で吐き捨てられた。

 聞こえないフリをして車に乗り込んだ。ミラーを除くとそのゴミを投げ捨てて去っていく女性が見えた。怒鳴り散らしたくなったが、奥歯を目一杯噛んで己を律した。

 しかし、身体はそうは行かず勢いに任せてドアを殴った。指の皮が剥げて止めどなく血が流れたが、絆創膏も無い。そのままに捨て置いた。

 情けなく流れる血は、まるで気力も生力も一緒にこぼれ落ちてるようだった。


 昼食はチェーン店のラーメン屋で済ませることにした、時間も無いし。駐車スペースの枠にはみ出した形で停める。まるで、たちの悪いヤンキーだ。

 長机の端にどかっと座る。

 魚介つけ麺の酢の効いたスープを身体が異常に欲していた。タッチパネルで注文をしてセルフの水を汲んで暫し待つと、親子連れが眼の前に座って和気あいあいと談笑をはじめた。

 夫婦の年齢は私と同世代くらいだろうか。小学生の男の子と幼児があれ食べたいこれ食べたいと言うのを母親が微笑みながら聞いている。父親はその様子を頬杖を付いて見つめている。仲睦まじそうな光景、今の自分と勝手に重ねて、恨めしくなる。

 疲れ切っているはずなのに首の裏が冷えるほど総毛立っている。眼も血走っている。焦燥と羨望が頭の中でグルグルと渦巻いて止まらない。

 ありふれた普通の家族という〝カタチ〟を見ては、自分を蔑んでしまう。その選択を選ばなかったから今の無様な自分があるのは重々分かっている。だが、子どもと和気あいあいに触れ合う母親と目が合った瞬間、地獄に突き落とされた気分に苛まれた。

 心のどこかで俗な価値観を軽蔑しておきながら、結局は俗な価値観に浸ったフツーの人間だということを痛いほど実感した。

 こんなしんどい気持ち、何度目なのか。いつまで続くのか。だからこそ伝えたい、想いをぶつけたい。この世界に、自分に、ユメキに。

 酸っぱいスープにむせ返りながら、汗か涙か分からない液体を口の中で咀嚼しまくる。憂いも焦燥も、併せて飲み干した。


 店を出ると車の後部に擦られた痕を見つけた。周囲を見回しても排ガスの煙しか見えない。

 肌に纏わりつく不快な暑さが追い打ちをかけてくる。やり場のない怒りをぶつけるように、硬いコンクリートを踏み抜いた。

 踵と心に鈍痛が残るだけだった。



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