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はきだめのチェリー 6

【6】

 憂鬱な日曜の夜。有吉弘行のラジオを聴き終わると、鬱々とした感情が波のように押し寄せてくる。

 聞いてる最中は抱腹するほど笑っていられるのに、その幸せな時間が終わると同時に苦痛のような一週間がまたはじまる不安感に苛まれるからだ。

 朝飯を胃に流しこみながら、スマホでまとめサイトを見る。アニメの感想を読み終わると、あとは時事ネタなどの気になった記事をながら見するのが私の朝のルーティンだ。だが、下までスクロールをしても、煽るだけ煽ったタイトルを並べてレビュー稼ぎをしてる記事ばかりだった。ツイッターを覗けば、便所の落書きのような戯言からゴシップや焼きごて記事がタイムライン上に溢れかえっている。そんなことよりも生活に直結する政治のほうに注視すべきだろうと、お高くとまった態度でスマホの画面を眺めては、つまらない記事のタイトルをタップしてしまう。

 会社に向かう移動の車中で、荻上チキの番組をアプリで流す。彼の話は理路整然としていて頭にするすると入ってくる。だが、確かな知識と見識に裏打ちされた批評に耳を傾けていると、ネットの住人たちに説法めいた感情を向ける自分の凡愚な姿と比較してしまい、無性に情けなくなる。

 結果として卑下の感情が身体を覆った。聴かなきゃ良かったな……。

 

 クソな職場に着いた途端、不安とストレスが心身を蝕んでいく。脳天から爪先にかけて、嘔き気と憎悪がかけ巡る。蔓延した負の感情が全身を這いずり回り、そのうち火が付いて業火となり、頭が木っ端微塵に爆散しそうになる。

 いつか比喩では済まない日が来るのでは――。そんな恐怖に怯えながら、車に乗り込み、冷たい指で鍵をまわした。

 外は灼熱の暑さだった。炎昼のコンクリートに生まれる蜃気楼。顔にまとわり付く汗を払いながら、ゴミの回収していく。仕事を始めて数年、もはやルーティンとして作業をこなせるので、ゴミの汚臭を忘れようと摂取した作品の内容を頭の中で反芻するのが日課だった。今の自分のシチュエーションを俯瞰しつつ、以前に配信で観た『ブラインドスポッティング』の内容を反芻していく。

 ブラインドスポッティングは黒人のコリンと白人のマイルズの友情を軽いタッチとユーモアをまじえて描いた映画だ。軽口を吐きながら引越し会社で働く二人の明るい姿は、ゴミ清掃会社でこき使われる現状を逃避させてくれた。あのスタンスで仕事が出来たなら。しんどい気持ちから逃れるように、思案の海を潜ってく。

 中でも、白人警官による黒人射殺を眼の前で目撃してしまったコリンの表情は、観客に深い衝撃を与える。この事件がマイルズとの仲に見えない軋轢を生む。今までのような関係で居られないことをアメリカ社会の歪みと共に切り取る、痛切なメッセージも込められてるのだ。風刺と娯楽性が高いクオリティで成り立っている。軽いタッチとユーモアはそれを際立たせる一つの要因だ。

 確かに社会や組織に怒りはある。自分が綴りたい物語にもその要素は入れたいが、ブラインドスポッティングのライトなタッチとユーモアに加えてシリアスなテーマを盛りこむ作劇は、メチャクチャ自然だし本当に上手い。一方で、自分が『note』に書いてる話は、伝えたいことも曖昧でユーモアの欠片もない。

 そんな風に人の心に何かを訴えかける感性もない奴の駄文を読んでくれる誰かは居るのだろうか?

 三十路を過ぎるまでいたずらに時を浪費してきたクズが半径数メートルの世界を変えることが出来るのか?

 

 ……それでも、やりたい。腹の底の辺りから湧き出る切望。自信はまったく無いけど、これ以上の卑下はもうしたくなかった。

 私は変わるんだ。そう、強く願う。


 そんな想いを、一瞬でぺしゃんこに押し潰すようにそびえ立つゴミの塊が視界に入った。

 何を食ったらこんなパンパンに袋が溜まるのか理解不能なゴミ。生モノと無機物が一緒くたに入ったゴミ。この世の異臭を詰め込んだような臭気を放つゴミ。

 唖然としても何も進まないが、これを捨てた人間を清掃車の回転板に投げ込んでやりたいと本気で思う。それぐらいムカつく。

 無論、しっかりとルールを守って捨てる人が大半だ。しかし同列に語りたくなくなるほど、捨てる人たちの間には、切り立った深い谷のような開きがある。怒りのはけ口のように、シューターへ袋を投げ込む。

 大量の缶とビンがインダストリアルなノイズミュージックを奏でるように鳴り響く。

 側を歩いてる老人が怪訝そうな表情でコチラを見てるが、お構いなくぶち込む、ぶち捨てる。こっちが回収しなきゃお前らの捨てた汚ないゴミは溜まったままだろうが、と心の中で怒鳴り散らす。一緒に作業してる田中も、顔をしかめながらゴミを投げ入れてる。苦手な奴だが、その気持ちには同意してしまう。

 午後二時をまわり、今日の回収分の半分ほどが終わった。私と田中は、行きつけの大衆食堂に吸い込まれるように入店した。

 クタクタに疲れたうえに酷い空腹状態だが、鼻腔に滞留するゴミの腐敗臭が、脊髄からの指示を阻害する。こんな状態では薄味のタンメンしか頼む気が起きなかった。

「カツ丼と餃子とレバニラとサバの味噌煮。あとラーメンも」

「めっちゃ食いますね、田中さん」

「桜木花道リスペクトだから。味噌汁代わりのラーメンはデフォルトだろ」

 鼻で笑いながら、水を喉の奥に流し込む。過度にツッコむ気力は残ってなかった。

 数分間後、皿が運ばれてくる。タンメンの麺を一本ずつチンタラ食べるしかない私に対して、右手でカツ丼を口に運び、返す刀でサバの味噌煮も口に突っ込んでいる田中。頬を大きく膨らましながら、タバコも吸い込む異様さに、私は麺を飲み込むのを忘れて舌を巻いていた。

 もはや曲芸に近い芸当。見る見るうちに皿が空っぽになっていく。灰皿にも吸い殻が溜まっていく。気付けば鼻の中は腐敗臭から、中華料理とニコチンの香りに変わっていた。

 会計を済まして仕事に戻る。田中は財布を持ってきてなかったので、私が全額支払った。――ふざけんなよクソが、と心の中で呪詛を唱えた。

 

 閑静な住宅街の一角。こういうところのゴミも意外と捨て方が汚いし、異常なブツも含まれやすい傾向がある。

「コレ見ろよ、そば打ち用の包丁なんて捨ててるバカ居たよ」

 田中が腕を振りながら見せつけてくる。一瞥だけして回収を続ける。

「今日は燃えるゴミなんですけどね」

「コレ持ってかえるわ、あとで何かに使うからさ。社長には言わないでね」

「これ使って何する気ですか。まさか、誰か殺すんすか?」

 首に巻いたタオルで汗を拭きながら冗談まじりに返す。

「良いね、それ」

 切っ先をコチラに向けながら薄気味悪い表情でなんか言っている。上がりきった口角と鋭利な目付きは、はっきり言ってキモかった。こっちは疲れてんだよ、相手にする気も起きない、気力は回転板の中に吸い込まれてるんだ、だから黙ってろよ。そう無言で吐き捨てた。

 次の場所に移るため車に乗り込むと、後方からドサッと鈍い音がした。嫌な予感に、自然と鳥肌が立った。

 バックミラーを除くと、おばさんが荷箱にゴミを放り投げていた。一気に怒りが沸き上がり、ドアに手をかけるより先に田中が外に飛び出していた。

「おいババァ! 今から車出すのに捨ててんじゃねえ!」

 何を血迷ったか、おばさんに怒声を浴びせながら先ほど拾ったそば打ち包丁を向けていた。

 明らかにヤバい状況。背筋に嫌な汗をかく。

 それにも関わらず、私の溜飲は下がっていた。正直に言うとスカッとしていた。田中が自分の意志を代弁してくれたようで。

 刃物を向けられた婆さんは肝を冷やした表情で硬直していた。

 車に乗り込み、うしろを見やるとスマホで何処かに電話をかけていた。明らかにマズいなと頭では分かっていたが、今さら引き返して謝罪しても無駄だろう。いや、する気も起きなかった。

 それが諦観なのか達観なのか、判別は出来ないが、私と田中は汗とタバコの煙にまみれながら、たゆたうように次の現場に流れ着いていた。





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