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【二次創作】 シュヴァルとドゥラメンテの春を告げる雪割り桜




 冬の陽光が虚ろな背中に射し込み、冷たい土のうえには無様な影法師が映し出されていた。

 お気に入りのマリンキャップに積もる小雪に触れる。その儚い雪でさえ、今の僕にはとても重く感じられた。

「今日も、寒いな……」

 風花が舞う冬晴れの午後――。僕はトレセン学園のグラウンドに立ち尽くしていた。日課のランニングをしなきゃならないけど、あまり気乗りがしなかった……。

 真っさらな雪が点々と積もるグラウンドは、殺風景な景色が描かれたキャンバスのように鬱蒼としていた。
 すっと息を吸う度に身体の熱を奪う冷気、僕は全身を震わせながら両肩をぐっと上げて首元の寒さを紛らわす。ジャージのポケットに手を入れ、ごしごしと摩擦を起こして暖を取るが、そんなことで和らぐような寒さではなかった。もはや痛い、チクチクと肌を刺す鋭い痛みに、気力がじわりじわりと削り取られていった。
 僕は頬を赤く染めながら、凍てつく空にむかって薄白いため息を吐いた。

 そんな痛いほどの寒風のなか、ほんのりと甘い香りが鼻の奥へと抜けていった。

「沈丁花の香り、かな……?」

 そう言えば昔、姉さんから聞かされたことがあったな……。『この花は千里も離れた場所に居ても香りを感じられたことから、“千里香”と呼ばれていたそうよ』と博識を披露してたからよく覚えてる。姉さんの豊かな知識に感服すると同時に、少し煩わしい気持ちにもなった……。単なるいい匂いのする花だとしか思えなかった自分の無知と無教養に、無性に泣きたくなった……。
 でも今は、微かに感じる春の優しい息吹に、折れ曲がった背中を少しだけ伸ばせた気がした……。

 この冬場の時期、G1レースを目標に据えたウマ娘はひたすらトレーニングに励んで春にむけて鍛錬を積む。それがトレセン学園の冬の日常だ。
 僕も日々、トレーニングに励んでいる。もっぱら、グラウンドを走ったり巨大タイヤを引いたりしたあとに室内で筋トレに励む。正直言うと、トレーニング量だけなら自信はあった。授業で出されるメニューは欠かさずにこなすし、放課後は筋トレに打ちこみ、休みは休日返上して朝から夕方まで延々と走り込みを続ける――。
 でも、そこまでの努力を積み重ねたところで、G1レースの勝利には繋がっていなかった……。

 グラウンドに残る雪を左右交互に避けて走りながら、ふと僕は、活躍を続ける二人の姉妹のことを思い出していた――
 姉であるヴィルシーナは、毎日厳しいトレーニングを積みながら、美しく優麗な態度を決して崩さない。そのうえでG1レースにも勝利し、実力と実績の両方を証明している。本当にスゴいと思うし、心の底から尊敬している。
 反面、妹のヴィブロスは一体いつトレーニングをしてるんだと思うほど、毎日遊び呆けているように見える。ついこの間だって、僕がトレーニングがあると言ったのにも関わらず、気を遣う素振りをまったく見せずに、『一緒に遊ぼうよ〜!』と提案してきた。無視しようとした僕の腕にガシッと巻き付いた彼女は、訝しい顔をむける僕の目の奥をぐいっと覗きこんだ。まるで、夜空に浮かぶ星のようにキラキラした眼で真っ直ぐ見つめるヴィブロスは開口一番、『私はシュヴァちと遊びたいの〜!』と満面の笑みで言い放った。
 その後のことは、あまり覚えてない……。たしか、ぴったりと腕に抱きつかれた状態で街中を引っ張り回されたんだっけ……。あの日は本当に疲れた……。でも、あの満天の星空のように煌めく瞳で懇願されると、なんだか抗いようのない力に胸を鷲掴みされるんだよな……。どんなに身構えていようとも、心のなかの鉄格子を吹き飛ばす純真無垢の破壊力。まるで可愛さの権化だ。我が妹ながら、末恐ろしい奴だと思う……。
 そう言えば、もうすぐ姉さんの誕生日だから今度パーティーをやるって連絡が来てたな。誕生日は3月5日だから、来週か……。

「何かプレゼントを買わなきゃな……。でも何を買ったらいいか、さっぱりわからないや……」

 幼い頃、僕が大好きな肉まんの巨大抱き枕を姉さんにプレゼントしたことがあった。ファッションやトレンドに疎い僕としては、精一杯考えた末のプレゼントだった。
 そんな僕の姿を見て、ヴィブロスは小悪魔的な微笑を浮かべて不敵に笑った。その嘲笑的とも言える態度に僕は気分が悪くなったが、お構いなしとばかりに、ヴィブロスはハイセンスな英字で描かれたロゴが刻まれた豪勢な箱を机のうえにどかっと置いた。鼻歌まじりに箱の紐をほどいていくと、中からお洒落なブローチが顔を出した。『じゃじゃ〜ん☆ みてみてお姉ちゃん、スゴいでしょ〜!』と満面の笑みで姉さんにプレゼントしてたっけ。名前だけは聞いたことのあるハイブランドの商品。値札を見ると、ゼロが何個も付いてる……。僕なんかじゃ、とても思い付かない豪華なプレゼントだ……。
 あのときの姉さんの表情……ヴィブロスの頭を優しく撫でる慈悲深い女神さまのような横顔……。あれを見てたら、なんだか自分だけ蚊帳の外に置かれたみたいで、無性に居心地が悪かった……。

 ……なんだか、二人のことを考えてたらイライラしてきた。特に、ヴィブロスの悪びれない態度が頭に引っかかる。それに姉さんも、ヴィブロスばっかり可愛がってさ……。何だよ……、僕のことも、少しくらい構ってくれても良いじゃないか……。そもそも、みんなヴィブロスを甘やかしすぎなんだ! 姉さんに可愛がられてるのは勿論、父さんだって、あの子の欲しいモノを何でもかんでも買い与えすぎなんだ……! 僕は欲しいモノがあっても誕生日以外はおねだりなんて絶対にしないのに、ヴィブロスがお得意のキラキラビームをした途端、みんなメロメロになっちゃうんだ……。こんなの、理不尽だ……。
 あぁ、もう……、腹の虫が治まらない……! このモヤモヤ、吐き出さずにはいられない……!

「僕だって! 姉さんに頭を撫でて欲しいっ!! もうずっとずっと、撫でてもらってないのにっ!!」

 ――ハッと我に返ったときには、既に遅かった……。向かいを走っていた数人のウマ娘が、頭のおかしい人を見るような怪訝な目つきで僕を見つめていた。

(〜〜〜〜っ///)

 喉の奥で声にならない悲鳴があがった。あまりの恥ずかしさに、両耳が糸で釣られたようにぴんと跳ねた。奥歯を噛みしめ、地団駄を踏んだ僕は、白煙を残してその場から逃走した。
 ……もういいや、姉さんには申し訳ないけど、誕生日パーティーは欠席しよう……。どうせ今度もバカにされるに決まってる。僕のセンスの無いプレゼントを貰うより、ヴィブロスのお洒落なプレゼントのほうが嬉しいはずだし……。別にいいんだ、僕なんて……。

「はぁ〜、なんか、やる気なくなっちゃったな……」

 鉛のように足が重くなった僕は、冷たいベンチのうえに腰を下ろした。
 口をぽかんと開けて曇天の空を仰ぎ見た。しばらくボ〜っとしていると、お腹から『ぐぅ~』と無様な警告音が鳴り響いた。

「さっきお昼ご飯食べたばっかりだろ……、僕のお腹……」

 渇いた音が寒空の下に虚しく木霊した。自分の身体の浅ましさに思わず顔を手で塞いだ。食堂でしっかりと食べてきたはずなのに、それでも尚、騒音を奏でる勝手気ままなお腹を細目できっと睨んだ。
 すると、遠くのほうから同じような渇いた音が耳に届いた。 

\ ぐぅ~ /
\ ぐぅ~ /

 お腹の鳴る音が山鳴りのように反響した。

 ……いや、おかしいな? 誰か居るのか? 空腹音のほうに視線をむけると、木々の間で誰かが立ち尽くしていた。

 おそるおそる顔を覗くと、そこには仏頂面で一輪の花びらを凝視する――ドゥラメンテの姿があった。まるで数時間、直立不動でもピクリともしない強い体幹と近寄る者を威圧する仁王像のような佇まい。
 覗き見している僕のことなど全く意識することなく、彼女は咲き誇る花びらをじっと見つめていた。

(あの花、何か特別なモノなのかな?)

 唯我独尊な彼女の性格からすると、花を愛でるような風流な趣味があるようには思えないが……。まぁ、いいか。僕には関係のないことだ。その場から退散しようと踏み出した瞬間――足がもつれるように絡まり、盛大にコケた。

「いったぁ……」

 冷たい地面に顔を打ちつけたまま、横目でドゥラメンテのほうを見る。
 すると、花を凝視していた彼女の頭が、ゆっくりと動きはじめた。その姿は、まるで曰くつきの日本人形が勝手に動き出すような不気味な動きだった。じわりじわりと曲がる首からは、『ぎぎぎ』と不穏な機械音が聞こえてきた。その音が鳴り止んだ瞬間、鋭く光る眼光が、僕の弱々しい瞳の奥に飛び込んだ。

(ヒィィ……っ!!)

 さながらホラー映画のような光景だった。全身に鳥肌が立つ。震え上がる身体をなんとか律するように、僕は小刻みに揺れる両肩を抑えて混濁した意識を整える。
 映画の主人公なら、この後に取る行動として最も悪手なのはズバリ――尻尾を巻いて逃げ出すことだ。つまり、逃げるという選択はイコール、死に直結する。おそらく、悲鳴をあげながら逃走した僕は、右手の先端が鋭利な刃物と化したドゥラメンテに、瞬く間に突き殺されるだろう……。そんな感じの映画を観たばかりから、無駄に想像力が働いてしまう……。
 嘆息まじりの息をぐっと飲み込み、僕は意を決して、震える唇を動かした。

「や、やぁ、ドゥラメンテさん……。何を見てるの?」

 敵ではないことをアピールするため、平身低頭の態度で近付く。そんな哀れな僕を瞬きひとつせずに、彼女はジーっと見つめていた。

「……花を見ているだけだが?」

 見たままの意見を見たままの言葉で返され、僕の思考は数秒間、停止した。

「……うん、見れば分かるんだけどさ。その……何ていう花なの、それ?」

 辛うじて会話は成立しているように見えるが、相づちというものが無いから対話の手応えがまるでない。
(……でも、僕も人のことをとやかく言えるほどコミュニケーション能力は高くないんだよな……)

  彼女は視線の矛先を木々にむけ、咲き誇る花を慈しむように撫でながら、ゆっくりと口を開いた。

「正式名称は椿寒桜《つばきかんざくら》。まだ雪のある頃に咲くことから、『雪割り桜』とも呼ばれている。」

「へ、へぇ〜、そうなんだ……」

 妙に博識だな。走ること以外に興味なんてなさそうに見えるけど、人は見かけによらないな。
 というか、彼女は喋りに抑揚がないから何を考えてるか全然わからないだよな……。怒ってるのか、喜んでるのか、それとも何も考えてないだけなのか。
 少しだけ、畏怖の対象とも呼べる彼女のことを知りたくなった。

「……その、ドゥラメンテさんは物知りなんだね」

「これはグル姉の受け入りだ。昔から、様々な知識を教えて貰った」

 グル姉……エアグルーヴさんのことか。そう言えば、彼女の勝負服って、どことなくエアグルーヴさんに似てるんだよな、肩の羽飾りとか。クールな雰囲気も似てるし、きっと仲良いんだろうな。僕ら姉妹とはまた違った関係性で、ちょっと羨ましく思った。

 そこから会話は途切れ、しばし沈黙の時間が流れた。

(そ、そろそろ行こうかな……)

 その静寂に耐えかねた僕が、今度こそ立ち去ろうとしたとき、ドゥラメンテは紅色に染まる雪割り桜の花びらを摘みながら、そっと呟いた。

「……私も、この桜のように強くなりたい。雪に踏まれようとも咲き誇る、この花のように。次こそ、キタサンブラックに勝利するために……」

 以前、抑揚のない口調で語るドゥラメンテ。
 だがその声には、たしかな闘志が宿っていた。満月に照らされた夜のように静かで、灼熱の青い炎をその身に纏った勇壮な姿――。

 彼女の熱波が伝播した僕の心はふつふつと湧き上がっていた。凍てつくほど冷たかった血は、一瞬で沸騰するほど熱く燃えたぎっていた。

(……そうか、彼女もキタサンブラックのことをライバルとして見ていたのか。あのドゥラメンテさんからも一目置かれているなんて……、流石はキタさんだ。でも僕だって……、キタさんに勝つと胸に誓ったんだ。負けない、負けたくない……)

 頭のてっぺんから爪の先まで駆けめぐる感情。その感情が心を満たしたとき――ほとばしる想いが喉元から飛び出していた。

「僕だって……僕だって負けないよ、ドゥラメンテさん! キタさんに勝つのは、この僕だ!」

 生まれてはじめて、心の底から込み上げてきた熱い感情。その反動のせいか、心臓がぎゅんぎゅんと激しくうねっていた。
 啖呵を切った僕の顔を、ドゥラメンテは黙って見つめていた。

 その瞬間――少しだけ、ドゥラメンテの凛然とした眉が動いたように見えた。僕と彼女の間に流れる熱情、交差する想いに、それ以上の言葉は要らなかった。
 ぞくぞくと脈打つ高揚感が波紋のように全身に広がっていく。この充足感に、僕の心のなかの干からびた湖は、溢れるほどの水で満ち足りていた。 

 勝敗を越え、互いを称え合うライバル同士のように、僕はドゥラメンテに近付いていった。
 彼女は真一文字に結んだ唇を少し和らげながら、真っ直ぐに僕の目を見つめて言い放った。

「……ところで、君はいったい誰だ?」

(は? え……今、誰って、言った?)

 脳内に巨大なクエスチョンマークが出現した。ついさっきまで、名勝負を終えたあとの温かい雰囲気が漂っていたのに、まるで奈落に真っ逆さまに落とされたような急転直下の感覚。それでも僕は、己を律してドゥラメンテに言葉を投げかけた。

「え? いや、誰って……。僕、シュヴァルグランですよ。宝塚記念でも、一緒に出走しましたよね?」

「すまない、覚えていない」

 その一言に、僕の身体は彼方に吹き飛んだ。鋭い刀で土手っ腹を一瞬のうちに斬られたように、僕の蚤のみの心臓は口からこぼれ落ちていた。

(ふ、ふわぁああああっっ!!)

 声にならない叫びが漏れた……、いや溢れた……かな? もうどっちでもいいや。自尊心をメチャクチャにされた僕に、もはや自我は残されていなかった。
 顔をくしゃくしゃにして、目から大量の涙を垂らしながら、僕はドゥラメンテを背にして全力疾走で駆けた。駆けて駆けて、駆けまくった――。

「あ〜、シュヴァち発見〜! ねぇねぇ、美味しいスイーツのお店見つけたからさ、今から行こうよ〜〜。……ってうわぁあああ!!?」

 目の前にいた女の子が僕の疾走によって弾け飛び、コマのようにぐるぐると回転していた。
 あの見た目、ヴィブロスのようにも見えたけど、気にする余裕は皆無だった。虚しく暴発した僕の末脚は、もう止まらなかった。

 汗と涙がまじった砂ぼこりを撒き散らして、僕は走った。――今はただ、姉さんのふくよかな胸に飛び込みたい、ダイブしたい。でないと……風船みたいに四方八方に飛び跳ねた挙げ句、ぷしゅんと消えてなくなりそうだったから……。

「今度こそ、僕の名前を刻みこんでやる。そして勝つ! 待ってろよ、ドゥラメンテさぁあああんっ!!!」
   

      〜〜おしまい〜〜

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