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はきだめのチェリー 8

【8】

 翌日、死んだ魚の目をしながら出社すると田中の姿があった。

 通報された後に会うのは初めてだったが、自慢のモヒカンは跡形もなく刈り上げられ、五分刈りの坊主姿になっていた。まるで去勢された動物のように、威勢を失った哀れな姿だった。

 恐らく髪と引き換えに恩赦を与えられたのだろう。うしろから挨拶するが一瞥もない。ロッカーに身体を預け、田んぼの真ん中で立ち尽くすカカシのように固まっていた。

「今日は田中には運転させないでね。ただでさえ、近所の皆さんから会社への圧力が凄いからさ。本音を言えばクビにしたいんだけど後釜が決まるまではコキ使わないと気が済まないからね」

「そうですか、はい」

 心底腐ってるな、こいつ。舌の上で吐き捨てた。

 いくら犯罪じみたことやったとは言え、自分の感情を優先する態度を経営者が取るとかクソだろ。世間体より社員の方に寄り添えよ。

 この感情を社長に直接言えない時点で、私も駄目だ。

 言えたら何かが変わるのか? 一瞬の気休めで終わるだけじゃないのか?

 頭の中で渦巻く煩悶を吐き出せないまま、エンジンを回す。すると田中がナメクジのようにぬるっとした緩慢な調子で、車に乗り込んできた。

「今日って何件廻るんだっけ?」

 気怠そうな口調で話しかけてくる。視点もどこに向いてるのか分からない。

「十件くらいですね。そんなに面倒な場所はないはず」

 そこから会話が無くなった。

 街の人々の目線は変わったのか変わらないのか、それは分からなかった。悪意の込もった視点も時々感じる気もするが、以前と変わらないようにも見える。

 田中も粛々と仕事に勤しんでいる。ことを荒立てる様子は今のところ無い。


 予報通りの豪雨が降り出す。こんな状況で無理に動きたくないのでコンビニの片隅に停車する。

 車を叩く雨音が続く中、スマホを見ていた田中が、おもむろに話を振ってくる。

「最近調子ノッてる伊王野って議員いるじゃん。あいつどう思う?」

「あぁ、あのセクハラと賄賂をすっぱ抜かれて、適当な言い訳で誤魔化してる人ですか?」

「そう。アイツとこの街の山中って市長は地元が一緒で、昔から蜜月な関係なの知ってた? 選挙の時には血税をバラ撒いたり新興宗教に票の差配なんか指示して、山中に有利に働くように策略してたって噂があるんだよ。殺したいよなアイツ、マジで」

 いきなり政治の話になるとは思わなかった。だが田中とは、たまに政情について話すことがあった。最後に不穏な一言が含まれていた気がしたが、流れを止めずに返す。

「政治とカネの問題は昔から変わらないですね。そう言えば『はりぼて』ってドキュメンタリー映画でも金をめぐる汚職の連鎖が、まるでコメディみたいに繰り広げられてましたね。まぁ笑っちゃ駄目なんでしょうけど、酷すぎて笑っちゃいますよね」

「あれ面白かったな。そうなんだよ、居丈高な態度で偉そうな口上を垂れておきながら、悪事がバレたら泣いて謝ってゴネ得を狙うクソ為政者たち。あれは富山市議会の中で起きた話だけど、うちの県も似たようなモンだよ。数年前、知事が自分の息子の不祥事をカネで揉み消したの覚えてるか? 司法にも奴らの息がかかってる、三権分立がクソどものせいでブッ壊されてるんだよ。どうにかしないとマジで終わるぜ、この国」

 どうにかって、ざっくりしてるな。怒りが先行している、それで息巻いてるのだろう。何だか嫌な予感がしてきた。

「まぁ、そうですね……」

 本当にコイツはどうしたいんだ? 以前にも増してネジがぶっ壊れたように見える。これ以上、話を広げたくかった。

「もしかして、俺がイカれたと思ってる?」

 不意を突かれた質問に、背中に悪寒が走る。

「そんなこと思ってませんし、田中さんの怒りは充分わかります。私も政治には腹立つことばっかですよ」

 返事によってはマズい流れになりそうだったので、機嫌を損なわないように言葉を慎重に選びつつ、軽い口調で返す。

「別にこの頭にされたとか関係なくオレは世の中にブチ切れてたよ。真面目に、真摯にさ。不況も異常気象も全部オレら三十代と若い世代が背負わされる、割を食わされる。世界をこんなザマにした老人たちは逃げ切る。馬鹿な大人たちの残したクソを拭くだけの未来が待ってるとか、それこそクソだろ」

 言ってることはよく分かる。私も田中も平成前後の生まれだ。

 日本に限らず権力者や一部の特権階級だけが肥え太り、貧困層との格差は拡大を続けてる。

「その為に選挙があるのに、若い人ほど投票を放棄してますよね」

「たしかに選挙も手段の一つだけど、やっぱりアレだな。ある程度は血が流れないと分かんないよ。お偉い方は」

「えぇと、それは……〝暗殺〟的な意味ですか?」

 ハッキリと聞くのが怖かったが、一線を越えたことは言わないだろうと踏んでいた。そこまでの思惑では無いだろうと。

 息が詰まるほどの沈黙のあと、耳にしたくない言葉が虚空に吐き出された。

「そうだね、やらなきゃダメだろうね、そういう奴らを。バカは死ななきゃ変わらない」




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