みかた。

メキシコから日本へ戻って2年になり、月日が経つにつれて今まで積み上げてきたスペイン語レベルが落ちてきていると感じている。

そのため、帰国してからレベル維持の方法として南山大学のオープンカレッジに参加して週一回ではあるけれどスペイン語を話す、聞く、考える機会を自分の生活の中に取り込んでいる。

このカレッジでの良さは、意見を述べる事が大事であるということを自然と感じることで担当教師も出来るだけ参加者の意見を取り組みながら授業を進めるよう努めている。今回、参加者の中で持ち込んだ一つの記事について議論をすることとなった。

そのテーマが、「日本の小中学校教員の平均労働時間が週56時間」

世界平均で38時間であることから、教育レベルや教員自身の生活にどのような影響があるか意見を述べよ 

グループごとに意見を述べたりしたが、大半は部活および学校内での様々な活動に時間を強いられ授業の準備が疎かになってしまい授業の質の低下と教育レベルの低下があるという意見であった。

そのため、改善策として教員人数を増やし、雑務や部活などの活動へ負担を軽減し授業に集中させることが良いという意見であった。

ひねくれた僕の考えは、逆で教員の人数を減らしつつ今まで補足教材として利用していた教材やビデオをメインにし、補足的に説明が必要な場合に教員が説明を行う形にする。

要は役割を180度変えてみてはどうか?と思うのである。

そもそも、こんなにネットが普及した中で教員が生徒に向けて教壇に立ち直接教えることに意味があるのか? 

人間にはどうしても相性があると僕は思う。教師との相性がうまくないとどうしても苦手意識が芽生えてしまう。さらに、教員の教え方云々でその教科が嫌いになることもある。

ちなみに、僕は苦手になった教科があった。

学校は狭く閉ざされた社会であるため、自分の授業を客観的にみることが出来る環境ではないのでは??そういうことを考えると、非常に優秀な教育系Youtuberにお願いに分かりやすい授業を作成してもらいそれを教材にして授業を進めていくのはどうなんだろうか?

その教材で理解が得られない部分、もしくはわかりづらい部分を教員が補足的に説明する形で授業が進めていけば教員の負担が減るし、教員そのものの価値が減っていくことも考えられる。

根本的に学校へ行くことが「正しく」、学校へ行かないことが「悪い」という考えがあるが、IPADなどで授業を進めることで学校へ行く必要もなく、気が合わない生徒とのギクシャクやいじめも減少する可能がある。(勿論、集団生活や理不尽に対する耐性を身に付けることは困難となるが)

また、政府や教育委員会は学習要綱、学習内容をチェックするがその決まった内容をどのように伝えるのかをチェックしていなく、教員任せになっている時点で時代とあっていない。 教員の伝える能力はマチマチである。

教員任せであれば、内容の解釈により伝わる内容や意図も変わってくる。

伝える内容も変化すれば、伝える方法も変わるべきで監修する側と実行する側がバラバラであれば本末転倒となりかねない。

教員は、教科書の内容を伝えるもしくは知識を伝えるのではなく、「学びたい」と思わせる仕組みを作る人である。

実際に、以前防災セミナーを受講した際にそのセミナーで登壇した県労働局の方は半年に一度、吉本興業で「話し方」の勉強をしていると仰っていた。 内容をどのように伝えるかにフォーカスすることが垣間見えた瞬間であった。

これは余談であるが、多くの日本人が普段から使っている言葉

「勉強」 この言葉を使用するのはやめようと言いたい。

強いるのではなく「自分から学ぶ」という意味の「学習」を使用していこう。 

「自分から学びとろう」という姿勢へ変化させ興味深く授業内容を伝えていく方法、仕組みを考え実行していくように変化していってほしい。


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