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⑲サラエボからモスタルへ

15・16日目、前回の続き

サラエボも最終日となると、もうあまりやりたいことがない。朝から雨が降っており、ホステルに引きこもって日記を書いたり服を洗ったり、次の目的地へ向けての用意をだらだらとしていた。あれから宿泊客は、深夜に車の鍵を忘れたという男性が泊まりに来たぐらいだった。彼は紛争のあとアメリカに住んでいたということで流暢なアメリカ英語を話していた。

「君はどこから来たんだい?へえ日本か、遠いね。旅行中なのか。次はどこに行くんだ?モスタルか!俺はモスタル出身なんだよ。サラエボよりも静かできれいだし物価も安くていいぜ!でも向こうにいたら仕事がないから俺はこっちに出稼ぎに来てるってわけだ。なんたってサラエボは首都だからな!」

夜のサラエボ

サラエボを出る前に夜の写真を撮っておこうと思い、カメラを持って歩いた。夜のサラエボはあまり照明がなく、暗い写真ばかりになった。

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テレビでサッカーの試合がやっている日があり、その日はすごく盛り上がっていた。街中の至る所にスクリーンが掲げられ、バーのテラス等に多くの人が集まって試合を観戦していた。その日はボスニア・ヘルツェゴビナのナショナルチームが3点取って勝利したようであり、点を取った時や勝利が決まった時の街の盛り上がり方は、まるでスタジアムにいるみたいだった。その日は残念ながら写真を撮り忘れた。

元々ユーゴスラヴィアはサッカーが強かった。日本で有名なのはストイコビッチとか、一瞬だけ日本代表の監督をしていたオシムも確かボスニア人だ。ユーゴスラヴィア解体後にボスニア・ヘルツェゴビナのナショナルチームがワールドカップ出場できたのは、前回(ブラジル大会)が初めてだったんじゃないだろうか。

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