コブラ会をシーズン3まで見て思うこと

やっと追いついた。界隈で超人気コンテンツのコブラ会だけど、シーズン2が鬱展開でなかなか進めることができず、停滞していた。しかし2021年の1月1日にシーズン3が配信開始になり、この際と思ってシーズン2の残りとシーズン3の10話を一気に見てしまった。シーズン3は気負いすることなく見ることができた。

コブラ会の解説

世界中で社会現象となっているコブラ会だけど、全く知らない人のために一応軽く紹介。コブラ会とは、1984年のハリウッド映画「ベスト・キッド」の30年後を描いたドラマシリーズ。ベストキッドとは、地域の空手道場であるコブラ会の不良グループに絡まれていた少年ダニエルさんが、宮城さんという沖縄出身の初老の男性に空手を教わり、地域の大会でコブラ会を破って優勝してしまうという話。ベスト・キッド2、3と続編が出ている。主人公の違う4と、ジャッキー・チェン主演のリメイクもある。

ドラマシリーズ「コブラ会」では、ベストキッドでダニエルさんに絡んでいたコブラ会のメンバー、ジョニー・ロレンスが主人公。空手の大会で敗北して以来、負け犬としての人生を送っていた50代のジョニーが、地元の移民の子を助けたところから人生の再起を図る物語。元々YouTubeオリジナルドラマとして制作されたが、2020年からNetflixに移籍した。

ベストキッドを先に見ておくべきか?

僕は幼少期に前作ベスト・キッドを見ていたが、あまりにも昔過ぎて結構忘れていた。最初はそのままコブラ会を見進めていたんだけど、前作の映像で回想シーンが出てきたときにあまりにも覚えていなかったため、一度コブラ会を中止して前作のベストキッドを見直した。子供の頃は違和感なく見ていたベストキッドが、今見るとかなり変な映画だった。

ここで、ベストキッドをどこまで見ておくべきか迷った。ダニエルさんを主人公とするベストキッドは、1〜3まである。結論から言うと、コブラ会シーズン1を見るだけならベストキッド1だけ見ておけばいい。しかしコブラ会シーズン2,3と見続けるなら、どこかでベスト・キッド2,3も見たほうがいい。見たほうがおもしろく見れる。それにしても、ベスト・キッド2はさらに変な映画で、3については完全に蛇足感がある。そんなにおもしろくはないのに、コブラ会のために無理矢理見た形。

コブラ会の魅力

そこまでして、コブラ会を見る価値はあるのか。80年代生まれの僕らからすると、この作品は現代と僕らの時代の架け橋のような作品に思う。いま世の中では、あらゆる分断が議論になっている。保守とリベラル、金持ちと貧困層、そして世代間の意識の断絶。日本においても、高齢者層と若年層の間であきらかに意思の疎通が取れてないことを原因とする問題や、意識の分断、それを前提とした議論、ニュースを見かける。

たとえば少子化について。高齢者層はその原因を若年者層自身にあると考えているフシがある。しかし当事者たちは制度の問題、経済の問題と考えることが多い。他にも「若者の〜離れ」のような議論では、両者の意見が根本的に噛み合っていないことを見かける。噛み合っていない状態で問題提起をし、対策して解決を図ろうとするからうまくいかない。世代間において、あきらかな意識の断絶を感じる。

コブラ会という作品は、この両者が互いに向き合う話だ。80年代を生きた世代と現代の若者が、お互いの常識を前提として、相手の時代の価値観を知り、歩み寄ろうとするところにこの作品の魅力がある。大人から子供、子供から大人、一方的でないところも大きい。僕らは自分の常識にとらわれて相手を測っている限り、問題の根幹をとらえることはできず、解決することもかなわない。似た者同士だけが固まって意見していても、どこにも進めない。コブラ会という架空の物語の中で、世代間の対話が行われている。僕らはこの姿を見習わなければいけない。

若者の間でも、新しい価値観だけを一方的に称賛するような風潮に違和感を覚える。彼らはよく、古い価値観を否定するときに「時代にそぐわない」と言う。僕もよく使っていた。しかしその「時代にそぐわない」という理由は本当に理由足り得るのだろうか?新しい考え方が、必ずしも正しいと言えるだろうか?古い価値観を尊重することが絶対悪だと言い切れるだろうか。

1980年代と2020年代では、社会の風潮が大きく異る。当時許されていたことが、今はNGということが多い。でもそれは、ただの社会的風潮に過ぎない。根拠があるかもしれない。では未来においてはどうだろうか?現在の正しいとされていることが、未来においても正しい保証はない。つまり現在正しいとされていることは、普遍的真理でも絶対正義でもなんでもない。

だから僕らにとって、大切なことは世の中の風潮に従うことではなく、自分はどう考えるのか、自分なりの信条を磨き続けることではないか。時代の正義を追いかけることは、ファッションの流行を追いかけることと何ら変わりない。本質的に無意味であり、何も考えていない行動だと言える。世間の常識や世の中の風潮にとらわれず、自らの頭で考え、判断することの重要さをコブラ会が思い出させてくれる。

ネタバレ有りの細かい部分について 

コブラ会は、多くの点においてベスト・キッドをそのまま受け継いでいる。たとえば空手。格闘技経験者なら誰でもわかることだけど、めちゃくちゃヘタクソだ。あんなものは空手ではなく、かりそめのアクションスタントに過ぎない。この作品に、そういう本物の空手らしさを求めるのは野暮と言える。秘伝の奥義が記されている巻物に、平仮名の文字と鶴の絵が描かれていたり、ファンタジーとして空手を用いている。

空手だけでなく、あらゆる点において粗雑さが目立つ。シーズン3の沖縄がどう見ても沖縄ではないのは、ベスト・キッド2の伝統を受け継いでいる。ベスト・キッド2はフィリピンとリトルトーキョーで撮影したとか。そして出てくる日本人は、全く日本語話者ではない。カタコトの日本語を話す。これは80年代映画の雰囲気をあえて壊さないよう引き継いでいるのだろうか?トヨタをモチーフにしているであろうドヨナとか、ロゴもフォントもひどい。

極めつけは、クリーズの過去に登場するベトナムだ。予算の問題などもあるのか、ベトナムっぽいだけでめちゃくちゃてきとうに作られている。兵士は体型から服装から何まで全然ベトナム兵っぽくない。昔のベトナム戦争映画のほうがリアルに描いていた。

これらを全て、ちゃんと作り込みをしないところがベスト・キッドっぽいと言える。コブラ会は空手や日本やベトナムを粗雑に扱っていても、それはそれで作品としておもしろいのだ。

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