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序章2

1.

 北の修練地へ赴く本当に直前、通りすがりのように父上から言われた。
「頑張って来いよ」
 そんな簡単な見送りの言葉に、オレも深く考えずに「はい!」と答えた。
 そのせいなのか、師匠の紀代隆きよたか様は修行の合間に、似たような問い掛けをされることがあった。

「さて、今ここで妖に出会ったら十斗じゅっと、お前はどうする?」
 山野を稽古場にして師匠から問われた言葉に、オレは驚いて動きを止めて周りを見た。
 辺りに伸びる草花や、それらの中に混じる岩の影へ目を向けたが、三月みつきほど経ち見慣れてきた景色は変わらず綺麗だった。
 晴れた昼下がりに降り注ぐ日差しこそまだ強くあったが、吹く風に痛みに似た冷たさが混じり始めていた。
 それでもずっと動き回り熱くなった体には吹き抜けた涼風が心地良く、何のために動きを止めたのか一瞬、思考を彼方へと放り投げていた。
「――っわ!」
 止まったオレに師匠は容赦なく二の腕を狙い、文字通りに蹴り飛ばされた。
「考えるのは良いが、注意は怠るな」
「ごめんなさ……申し訳ございませんでした」
 起き上がり両膝を地に揃え着け頭を下げれば、目の前にさっきまでオレが振り回していた師匠お手製の木刀が投げ落とされた。
「立て。仕掛けを見に行くぞ」
「はい!」
 師匠の言葉に返事を返し、投げ渡されたものを拾い上げて先を歩きだしていた背中を追う。
「あの、師匠……先ほどの質問ですが」
 どう訊ねて良いのか分からず、それでもオレの声も届いて無いように、どんどんと先を歩いて行く師匠の後姿を追いかけて、山の中へと入っていく。
 人の手も入っていない森は、林立する木々の間を少し進んだだけで、蔦や伸び始めたばかりの若木の枝があちらこちらから行く手を阻むように絡み合っていた。
 その中を進み続けて行くうちに、不意に視界が開く。
 寿命を経て長年の風雪に堪えきれずに倒れた巨木が作り出した空間。そこを起点に、明らかに人の手の入った道が登場する。
 一番近くの名前も知らない村の人間が作り出した道だと聞いた。
 師匠はその道に目もくれず更に上へと登って行く。此処の老木の広場からならオレも毎日登っているから、師匠が何処へ向かうか分かり、さっきの答えも聞けない不満は一度横において、登る速度を上げる。
 大人と子供の歩幅違いで、先を歩く師匠とは大分距離が出来ていても、師匠の歩みが止まることは無い。
 息を切らせて山を登り、追いついた時には師匠は罠を置いた場所とは別の方向を見回していた。
「う、わぁ……」
 罠の置いた場所がオレ自身の視界に入ったとき、隠せずに呻いた。
 罠には見慣れない鳥が掛かっていたが、他の獣に襲われたのか無残に喰われていた。
 こういう時は、罠を外して山に返すしかない。
「師匠、これは外して……よろしいのでしょうか?」
 食べるために罠は仕掛けるし、上手く捕らえられていたら調理もして食べるが、この時ばかりは可哀想だという思いが勝っていたし、このまま直ぐそばの木の下にでも埋めれば良いかと考えて師匠に問い掛けていた。
「良いだろう。外し終わったら上に埋めに行こう」
「上にですか? 分かりました」
 師匠からの言葉にオレは直ぐには礼の返答もせず、告げられた言葉をそのまま返してしまった事に気が付いて、慌てて言葉を付け足した。
 そのくせ無残な死骸の姿に臆していて、近づけたとしても罠を外す為に、手を伸ばすのを躊躇っていた。
 血の匂いにも慣れないし、喰い殺された痕にも見慣れていない。
 それでも、師匠は手を出すことなく離れた位置にいた。
 どれくらいの時間をかけて覚悟を決めたかはもう忘れたが、罠を外そうと逃げ腰で手を伸ばした時、草陰から何かがオレと罠の間を駆け抜けた。
 驚いた弾みで尻餅をつき、そこで師匠が初めて平気かと問いてきた。
 それに碌に返事もできず、ただがくがくと頷いて何かが去っていった方を恐る恐ると覗き込めば……何てことはない。ただの飛蝗バッタが通り過ぎただけだった。
 ほっと胸を撫で下ろしつつ、笑われてはしないかと違う意味で恐る恐る師匠の方を伺えば、あからさまに顔を背けて肩を揺らしていた。
「いっそ声に出して笑われた方がましですっ」
 ぶんむくれて反抗がてらに叫べば、師匠は収まりきってない笑いを向けないようにして、悪かったと片手をあげて言い、次の罠を見に行くから急げとも告げた。
 置いて行かれたくもなかったし、遅くなれば遅くなるほど山の夜の危険度が増す。
 当時のオレでもそれくらいは当たり前に怖いことだと分かっていたから、先ほどよりも一層の覚悟を決めて、罠を外した。
 鳥獣を捌くのもまだ慣れていなかった時だ。死んでから大分経って硬くなった肉の感触に気味が悪いともその時は思ったし、やはり無残な姿を可哀想だとも思っていた。
 だからせめてとの思いで、手拭の上に比較的綺麗な落ち葉を集めて敷き、その上に遺骸を乗せて山頂へ歩き始めた師匠の後を必死について行った。
 山頂には罠は仕掛けていないが、代わりに捌いた獣の食べれなかった骨などは出来うる限り、まとめて埋めていた。
 この場所から見える景色の絶景という言葉がぴったりで、地平の果てに空の雲と混じる乳白の霧海が広がり、その手前には藍色のような碧水の海が見える。供養という意味合いと、天司神あまつかさのかみから恵みを頂いたという感謝の意を込めて陽だまりの中に石を積み、その傍に埋めていた。
「師匠、待ってて下さいね」
 今回はそのすぐ傍に穴を掘って埋める。
 北の山の土は決して柔らかくない。素手で掘るには、初めの土が固すぎるため、稽古で使っていた木刀の柄で土をいくらか掘り返してから、手で穴を広げて、己が満足する大きさになったところで拾い集めた葉を穴に敷き直し、遺骸とその上に残った葉を覆い被せた。
「天司神様……」
 手を合わせて、口の中で少しばかり気味が悪いと思ったことに対しての赦しを請い、土を少しずつ被せていった。
「ありがとうございます、師匠」
 土を固め終わったところで、師匠が献花代わりの幾つかの山の実を傍らに添えてくれた。
「この鳥は幸運だったな」
 ぽつりと零された師匠の言葉に、オレは意味が分からず首を大きく捻った。
「何故でしょうか。罠にかかっちゃったから、他の獣に食べられちゃったのに……」
 オレは伝えながら、獣に食われた時を勝手に想像して気が落ち込んだ。
「この鳥が妖になれば、他の獣や麓の里の人間が襲われるかもしれない。もしくは、俺やお前が襲われるかもしれない」
 いっそ冷ややかに聞こえた師匠の説明に、怖くなって体が勝手に震えた。
「それは、いやです」
 唇を尖らせて、先ほどの鳥のように無残な姿を野に晒すのかと思えば、自然と声に出していた。
「お前が神代の地への道標をこの鳥の魂へ知らせた。迷い続けるよりずっと良いだろう」
 師匠からあやす声音で告げられて、そうだったら良いなと思えたが、だが、と続いた師匠の転じた声音にどきりとしてその顔を伺った。
 師匠は声音の通り厳しい眼差しでオレを見ていた。
「例え親しい者でも、堕ちたのなら躊躇うことは許さん」
「え……」
 真っ直ぐに告げられた師匠の言葉は、幼かったオレには十分に怖いと思えた。
 多分、この時にはそんな事が起こるわけないと信じていたからだ。
 それ故に、なぜ脅されたのか分からないし、そんな事になったとしても師匠が常に傍らにいるのだから平気だろうと、直ぐに思い込んで記憶の片隅に追いやっていた。

2.

「では行こうか」
 いつのまにかオレと同じように手を合わせてくれた師匠は、立ち上がると同時にまた、すたすたと歩き始めた。
 他の仕掛け罠を見ると言っていた事もあり、普段より師匠の歩みが早いと気が付いた時には、ふいに道を曲がり姿を消したあとだから大いに慌てた。
 急いで山道を降りていたオレは足元が疎かになり、あっと思った時には遅く派手に滑り、転んだ。
 後ろ手に地面について滑り落ち、両肘を擦りむいた痛みに泣きそうになりながらも、追いかけなくてはという思いで何とかその場は泣く事もせず、師匠の後姿を負った。
 それでも、遊びに来ているわけでもないオレ達だ。
 オレが罠を置いた場所に辿り着いた時にはもう既に師匠の姿は無くて、更に混乱して慌てた。
「師匠、どこですか!」
 どこと探しても姿を捉えられず、思わずそう叫んでいた次には「早く降りてこい」と言う師匠の無情な声だけが返ってきた。
「うぅ……待っててください!」
 その時はどちらから声が聞こえてきてたかなど分かるわけもなく、自分の目の前の道を真っすぐに下り始めていた。
 すぐに追いつくと思ったのは甘く、どこにいるのかと再び山中を見回して、遥か下に師匠の歩む姿を見つけた。
「師匠っ、置いてかないで」
 人が簡単に踏み入れない道は、たとえ傾斜がなだらかでも何処に木の根が浮き上がり、何処に獣が掘り返した穴があるか分からなかった。
 もたもたと下り進み、一息吐いた時には夕闇が迫り辺りの景色を染め変えていた。
 まずいと思った時には再び師匠の姿を探して声をあげていた。
 踏み出した先に不安定な石があり、オレはその上を思い切り踏み崩していた。
 その時は然程のこともなく済んでいたが、あの瞬間は斜面を思い切り滑り落ちた気になった。
 動揺と混乱で進むべき方向を完全に失念し、鳥の嘲笑う鳴き声に不安を駆り立てられて……擦りむいた痛みまで一斉に押し寄せて、師匠と声を上げながらも勝手にせりあがる涙も拭えなかった。
「十斗、立てるな」
 いつの間にか側に居た師匠は、オレの足具合だけを見ると、そのまま厳しい声で問い掛けた。
 オレはその言葉に俯いて首を横にふるった。
 擦り傷が痛くて、なんでこんな目に合わなくてはいけないのかとしょげて、家に帰りたいとわあわあ泣いた。
「なら、この場であの鳥のように邦前神ほうぜんのかみの御座に赴くか」
 冷たく告げられた師匠の言葉の意味もよく分からず、オレはあしらわれたと思って泣いた。
 ただ、手を差し伸べて「平気か」とか、「大丈夫だ」とかそんな簡単な慰めを求めていたオレには、冷たく突き放されたようにしか思えず、師匠がどんな思いで告げられた言葉かなど、その時は理解しようとも思えず、散々と泣きながら文句を言い続けた。
「先に行く」
 その言葉は未だ泣き続けていたオレには、師匠に見捨てられたと思い込んで息が詰まった。
 踵を返して本当に歩き始めたその背中を半ば呆然と見送っていて、再び空から鳥の嗤う声にびくびくと身を竦めるしか出来なかった。
 日差しの消えた山を吹き抜ける風は、凍てを更に強めて背筋を撫でてぞくりと不安を煽る。
 人気のない山にただ一人で取り残される恐怖に、心身ともに竦んでいて……不意に立った物音を聞くまで完全に身動き一つとれなかった。

3.

「し、師匠……?」
 物音がそうであって欲しいと願い、呼びかけた。
 けれど、当然のように師匠の姿が見えるわけでもなく、かといって昼間のように物音を立てた存在が姿を見せるわけでもない。
 物音を確かめるか。逃げた方が良いのか、その二つだけの考えが目まぐるしく駆け抜け、今度は小枝を踏む音が鳴った。
 重量感のある音に続き、はっきりと木陰の枝葉を鳴らす何かがこちらに近づき、止まった。
 恐怖勝ちなオレは身動きも取れず、ただじっと奥を伺い続けた内に、ふと互いに互いを伺う気配が何となく分かった。
 生きている物だと分かれば、それと同時に怖さだけが少し後ろへ下がり、萎えていた好奇心の芽がむくりと起き上がった。
 物音の正体はまだ分からなかったが、山の暗さと対照的に何かがいる場所が仄かに明るく浮き上がっている気がした。
 それが更に好奇心を勝らせ、傷ついた手も気にせず相手を驚かせないように慎重に地面を這ってじわじわと近づき、どれほどの距離が縮まっていたのか分からないが、ザッと音を立て、その何かが斜面を降りて行った。
「あっ!」
 オレは怖いもの見たさと好奇心に背中を押され、その何かをやはり、もたもたと追いかけ始めた。
 一度でも好奇心が勝ってしまえば、見えない何かの正体を掴みたくなる。
 必死に斜面を下りて追いかけ、時折、斜面を滑り落ちてしまうがオレが立つまで、何かは待つように止まってくれていた。
 姿は決して見せないのに、確かに近くにいるのは間違いなくて、先を行くその気配や地に立つ音を注意してるうちに、いつの間にか鬱蒼とした林立を抜けていた。

4.

「あ、れ……?」
 訳もわからないまま、辺りを見回せば残り僅かな夕暮れの代わりに、空に浮かぶ丸にはまだ遠い半月の明かりの下でも見覚えのある風景が広がっていた。
 確かと、記憶頼りに歩けば、すぐに山小屋の影が見えた。
 オレが師匠と共に暮らす家だったが、それよりもオレは道案内をしてくれた何かの正体の方が気になって、再び山の方へと足を向けていた。
「十斗っ。戻ったのなら報告に来ないか!」
 明らかに叱責する師匠の声にオレは歩みを止めて、山の方と声のした方をおろおろと見比べ、ふと視界に入った蛍のような紫色の光に慌てて目を向け直して、そして見失っていた。
「十斗、何かいるのか?」
 怪訝そうに師匠の歩み近づく音に、どう説明して良いのか分からないまま、しどろもどろに山を下りてきた経緯を話せば、師匠は厳しく向けていた表情をふっと柔らかくした。
「お前は精霊さまに気に入られたようだな」
「せいれいさま……ですか?」
 天司神と邦前神の使いとされるのが精霊。たまさかに人に宿れば、その人は神宿りと崇められる。
 蘇叉の自然には遍く精霊が存在していて、人々には聞こえない声で囁き合い、時として神宿りの人間の言葉を借りることもあると云われる。
「……灯里様の神様が、見に来てたのかな」
 つい先ほどに見えた紫色の何かが、灯里様の菫の瞳にも似ている気がして、もしかしたら道案内をしてくれた存在なにかの瞳だったのかも知れない。
 そんな事を思って、つい言葉にすれば師匠は笑わずに「そうかも知れないな」と応じてくれた。
「そうなると、精霊さま方を通じて、菫姫のもとにお前の話が伝わってるのだな」
 何気なく告げられたその言葉に、オレは今日一日の情けない自分自身の姿が灯里様に伝わっているのだと本気で思ってしまった。
 慌てて両手を合わせて山の精霊たちに、言わないでくれと願っていたのは師匠の目には明らかだったようだ。
「十斗、お前が成したいことはなんだ」
 穏やかな師匠の問い掛けに、オレはやはり単純に「強くなりたい」と答えた。
「ならば、今日のような姿を他人に見せるな」
「はい!」
 後々に思い至れば、この紀代隆様の言葉には厳しさは無い言い含めだった。
 それでも、くしゃくしゃに撫でられる頭に乗せられた手の大きさと、精霊が見ているという思いに随分と励まされた。

 それからというもの山の精霊達が見ていると思い込んでからは、狩りの成否も含めて祈り、願う時間を自分勝手に設けた。
 朝起きて、身支度を整えるために外に出ている僅かな時間に、山へ手を合わせる。
 変わらず在るのは自然の野山ばかり。人里からも少し離れていて訪れる冬も早くて長い。
 訪れた当初は夕闇が迫れば怖いばかりだったはずの山道にも慣れ、気が付けば暗闇の中でも師匠を追い抜いて家にも戻れるようになっていた。
 その修行の最中での楽しみと言えば、母が遣わす鷹の便りと、七日か八日に一度ばかり名もない里に下りての買い物と、手足を伸ばして入れる風呂くらいだった。
 まあ時折、手酷い怪我や病症にやられた時は、師匠がオレを背負って半日は掛かるその里へ降りて下さった事もあった。


この作品は「小説家になろう」で投稿していた同タイトルの改変版となります。
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