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序章3


1.

 それからというもの山の精霊達が見ていると思い込んでからは、狩りの成否も含めて祈り、願う時間を自分勝手に設けた。
 朝起きて、身支度を整えるために外に出ている僅かな時間に、山へ手を合わせる。
 変わらず在るのは自然の野山ばかり。人里からも離れていて訪れる冬も早くて長い。
 訪れた当初は夕闇が迫れば怖いばかりだったはずの山道にも慣れ、気が付けば暗闇の中でも師匠を追い抜いて家にも戻れるようになっていた。
 その修行の最中での楽しみと言えば、母上が遣わす鷹の便りと、七日か八日に一度ばかり名もない里に下りての買い物と、手足を伸ばして入れる風呂くらいだった。
 まあ時折、手酷い怪我や病症にやられた時は、師匠がオレを背負って半日は掛かるその里へ降りて下さった事もあった。

 その日は碓雫月たいだのつきに入り、長い秋雨から移り変わるような冷雨の降りしきる日だった。
 夕暮れ時で、晴れていれば茜色の空の元にゆったりと飛ぶ蜻蛉の姿が見えたんだろうが、連日止むことの無い、絹糸のように細い雨が暗い雲から絶え間なく降り注いでいた。
 戸板を揺らす風も強い凍てを含み、あと半月もすればまた厳しい冬が訪れる気配が忍び寄っていた頃。
 夕餉の折りに、師匠から訃報が告げられた。
 北の修行の地にてもみじ様の御逝去の一報を受け、同時に仕える主を失った母上がお屋敷を去った事を聞かされた。
 自らいとまを貰ったと聞いて、オレは落胆した。
 母上から時折送られてくる鷹の便りにはオレ達の身体を気遣う言葉と共に、灯里あかり様の成長の程を知らせてくれていた。
 それも見られぬ空白の刻が訪れた事に隠せずに落胆してしまった。
 その手紙のやり取りがオレにとって、修行の合間の最大の励みだったから。
 しかしそれから幾許の月日を重ねぬうちに、お館様から直々に帰着の命が下った。
 北の僻地で半人前として修行を重ねていたオレにどんな命が下るか。不安と期待が入り混じっていたのは間違いない。
 修練地から下がれるのは頭領の判断による。
 師匠が教えてくれたオレに課せられていた最低年月は、二区切り年の十二歳になるまでの六年程度だったらしいが、この勅命は、異例だと後に密かに教えてくれた。

2.

 お館様からの命に急ぎ北の地より御剣家のお屋敷に戻り、オレたちが誰よりも真っ先に会わねばならない人物――后守こうがみ家が主と定める今代の御剣家みつるぎけご当主への御目通りとなる。
 本邸にあるお館様の前に通されるのはこれが二度目。一度目は北の修練地へ旅立つ挨拶に伺ったときだ。
 案内の侍女の手を介して開かれていく襖の数々は質素を好まれた椛様の離れとは違い、都一の絵師匠が描いた(と言われる)煌びやかなものだ。
 襖が開かれ、一間続きとなった大広間の最後の襖には、皇家の家紋を守る対の鳳凰が描かれている。
 その襖を前にオレは師匠と共に座していた。
 オレ達のおとないを告げた侍女が中から応じられた声に従い鳳凰が左右に離れ、ご当主綾之峰あやのみね様の静かな佇まいがその先にあった。
「后守紀代隆きよたか、ならびに后守十斗じゅっと。綾之峰様の命を受け、参上いたしました」
 平伏する師匠に倣い、オレも畳に額を付けるか否かのぐらいまで頭を下げた。
 そんな折に遠くからとたとたと、何か音が近づいてきた気がして、頭を下げたままオレは音のする方に意識を向けた。
「やぁだぁぁ!」
「あっ、ダメだよ灯里あかり!」
 聞き慣れぬ子供達の声。そのうち静止する男の子の声に思わず顔を上げかけた。
 しかし、許しがもらえるまで礼を崩せなかったけど、それよりも先にけたたましい音を立て背後の襖が開かれた。
「とーしゃまのそばにいぅ。いぅの!」
 ばたばたと走る音が傍らを過ぎ、半泣きの女の子の声に、オレは堪えきれずその方向へ顔を上げてしまった。
 お館様のお召し物に縋るように薄紅の地に流水紅葉の着物に身を包んだ幼い女子おんなのこ
 母上の文にあったままの快活な容姿に、一瞬だけ見えた泣き濡れた菫の瞳。
「あ……」
「十斗ッ」
 師匠の叱責する鋭い声に、慌てて礼の姿を取り繕い謝罪の言葉を述べた。
 母上の文が途切れてしまったあの時まで、ずっと灯里様の成長を知っていた。そのおかげで、実際に離れていた年月よりもずっと傍にいた気がしていた。それ故に、“久しくお目に掛かれなかった”と言うような不思議な気分だった。
「面を上げよ」
 ようやく降りた許しの言葉に、オレははやる気持ちを抑えながらもう一度、目の前に座るお館様とその膝に縋りつく灯里様の姿を見た。
「大和、入るがよい」
「失礼いたします」
 お館様がオレたちの背後にある次の間で待っていたもう一人へ声を掛け、ゆっくりと隣を通り過ぎ、入ってきた少年を視線だけで追った。
 母上の手紙にも記されていなかったその人物の登場に妙に緊張した記憶が残っている。
 闇に近い暗紅色あんこうしょくの髪と同じ色の瞳とぱちりと視線が合った。年の頃は同じで、色のめた茶葉色に似た白茶の地に雲海柄を纏うせいか、少し線の細い女のような顔立ちが余計にそう見えた。
 微かに緊張してたのか、硬い動きが手に見えたが、向き合い見せられた笑みは綺麗に整っていた。
「初めまして。ようやく十斗きみに逢えた……僕は大和。よろしく頼むね」
「……え、と」
 目の前で膝を着かれ、差し出された手に直ぐに返すことが出来ず、一呼吸ほど空けてしまった間に大和様の手と顔を思わず何度か見比べてしまった。
「あかりもぎゅっする!」
 なにか珍しかったのか、灯里様はお館様に縋っていたはずの手を放し、今にも裾を踏んでしまいそうな危ない足取りで、差し出されていた大和様の手を握り、もう片方の手で困惑していたオレの手を握った。
「えへへ」
 無邪気に笑う表情は赤子のときと変わりが無かった。
義父上ちちうえ、もう一つお願いしてもよろしいでしょうか?」
 灯里様に手を上下に振られるままになりながら、大和様が奥に座るお館様へと振り返った。
「必要外では、彼には名前だけで呼んでいてもらいたいのですが、ご容赦願えますか?」
 丁度後ろ姿になってしまい、表情は見えなかったが柔らかな口振りで、とんでもない事を伝えていた。
 どれだけ間の抜けた表情を晒していたのか分からないが、視線を戻してきた大和様は微かに口端を持ち上げて小首を傾げて見せた。
「口挟むのは私の役目ではない。お前達の好きなようにするが良い」
「ありがとうございます。そう言う事で十斗、君もいい?」
「え、と……」
 後に大和に聞けば、どう答えて良いのかわからず、お館様や師匠へ思わず助けを求めるような目を向けてしまっていたらしい。
「じゅっと? じゅっと、じゅっと」
 灯里様にまで不思議そうに声を掛けられ、止まっていたはずの手がまた大きく振られた。
 オレはもう一度だけ師匠とお館様へ目を向けて、繋がれた二人の手をそっと離し改めて座礼の形を取った。
「后守十斗と申します。大和、灯里様、以後お見知りおきを願います」

3.

 オレが修行半ばで屋敷に呼び戻されたのは、大和を気遣っての事だと後に思い至った。
 お館様は奥方様の椛様がご逝去なされた後も頑なに後妻を娶らなかった。
 他の家と同じように養子を迎え入れたのは当然の流れだったのか、それとも大和だから迎え入れたのか、理由は今でもよく分からない。
 それでも、歳等しいオレたちは直ぐに肩を並べるようになっていた。

「十斗、散歩そとに行かない?」
「少々お待ち下さい。灯里様に新たなお召し物が届きましたので、そちらをお届けしてからでもよろしいでしょうか」
「構わないよ。僕も一緒に行こっと」
 手にしていた荷を大和へ見せれば軽い頷きと、暗紅色の瞳を緩やかに細めて笑みを浮かべて、先を歩き始めた。
 灯里様の部屋は生前、椛様がお使いになられていた離れだ。
 本来なら本邸の一角にある部屋に移られるはずだったがその部屋は今、大和が使っている。
 離れの玄関には二つ戸がある。部屋の中の寒暖差を抑えるためのその一枚目の外戸を前にオレは声をかける。
 中から返事があって程なく、戸が開き侍女が迎え入れてくれた。部屋の中は男子禁制と云われ、例え大和でも入れるのは一つ目の玄関である三和土たたきのこの場まで。
 もう一つの戸は出迎えてくれた侍女の手でぴたりと閉ざされた。
 その侍女にオレは着物が入った桐箱を渡して、中身を確認していただく。
 仕立て上げられていたのは冬に合わせた朽葉色の少し厚い生地の羽織だった。
「いい色だね。灯里が着てるの見てみたいな」
 それは暗に灯里様を連れて来いと言う命令。大和の人当たりは穏やかだけれど、どこか潜む棘を言葉の端々に見せる。
 オレたちとさほど年も離れていないその侍女は綺麗に笑った大和に目を向けられ、僅かに頬を染めて立ち上がった。
「ねえ、十斗。今年の雪はいつ積もるかな?」
「……さあ、こちらは早くてもあと一月ひとつきは先だと思いますが」
 北の修練地でなら、もう雪が降り始める頃合いだろうが、まだ肌に感じる気温はこちらの方が朝夜も暖かいくらいだ。
「積もったら三人で、雪で遊ぼうか」
「お許しがいただければ」
 そう答える以外にできない質問に気を良くしたのか大和は少し悪戯めいて笑い、聞こえてきた灯里様のはしゃぐ声に、更に顔を柔らかく綻ばせていた。
「にいさま、きいてきいて!」
 戸からお顔を出すのと同時に大和の懐に飛びついた灯里様の姿に、年嵩の侍女は少しばかり顔をしかめた。
 どうやら作法の勉強中に訪れてしまったようだ。
 大和は灯里様を一度、抱きしめてから板敷の上に降ろした。
「ちゃんと聞いてるよ。何か良いことあったの?」
「うん、かぞえうたおぼえたの」
 そう言って自慢気に歌い始めた灯里様に、侍女ははしたないと小声で呟いていた。
 ふいに大声で歌い始めたのだから、仕える者としての気持ちは分からなくはないが、気持ちよく歌っているのを諌めるのは少々はばかられた。
 そんなオレと同じ気持ちになったらしいもう一人の若い侍女が口元を袖で隠して笑ってたのが分かった。
「上手に歌えるんだね。ほら、灯里。ご褒美に東山呉服から贈られてきた羽織。着てみて」
「うん」
 大和は静かに促し、侍女に羽織を出させると灯里様は嬉しそうに袖を通した。
 些か大きめに仕立てられたのか朽ち葉色の羽織は肩口が合わず、手などは全て袖の中にあった。
「ちょっと、大きかったみたいだね。でも直ぐに大きくなるから……大丈夫かな?」
「へーきだよ、にいさまなんかすぐにおいこすの!」
「姫様。殿方の背丈を追い越すなど、恥ずかしい事を言うものではございませぬ」
「……はぁい」
 流石にその一言には作法を教えていた侍女も口を挟むしかなかった。
 きつく含めて言う侍女に、灯里様は唇をぷくりと尖らせて返事を返して俯いてしまった。
「灯里。あとで一緒に遊ぼうか。だから、それまではちゃんと勉強する事。いいね?」
 明らかに不貞腐れてしまった灯里様だったが、大和の一言で笑みを取り戻すと、また無邪気にうんと笑った。
「十斗行こう。これ以上長居すると皆に怒られる」
「はい。灯里様、また後ほどお伺い致します」
 一礼し、桐箱を片付けてまた侍女に受け渡しようやく部屋をあとにした。
「それにしても、僕、追い越されるらしいね」
 散歩といっても屋敷の敷地内を歩くだけだが、大和が先ほどの件を楽しそうに振ってきた。
「よろしいのでは。そうすれば幾らか危機を持っていただけますし、くりやの侍女たちが喜び腕を振るってくれるでしょう」
「気持ち悪くなるほど動いた後になんか、そう食べられないよ」
「稽古が無くとも食す量は変わらいないでしょうが」
 オレは師匠と共にお屋敷に戻った翌日から早々に大和を交えて、護身稽古を行っているが今まで朝から晩まで一日中どころか年中稽古漬けだったせいか、少しばかり大和の体力の無さが目に付いていた。
 それに大和の食の細さも早々に知った。膳を片付ける時、侍女たちが溜息を零している事も知っている。
 特に問題は朝だ。よそわれた茶碗半分の米も食わずに味噌汁だけで腹が膨れたと言うのだから、残った物を下げる身にもなって欲しい。
「本当に何時いつか抜かれてしまうかも知れませんよ」
「本当にそうなったら諦めるから良いよ」
「諦める方を選ぶな。だから余計に量を増やそうと画策されるんだろう」
 けしかけた言葉もあっけらかんと受け流されたから、思わず素でもう一言だけ付け加えておく。
「止める側には回ってくれないんだねえ」
 大和が喉を鳴らすように笑って、ふっと視線を空へ向けた。
 蒼穹は高く澄み渡り、吹き抜ける風の冷たさに身を震わせたのが見えた。
「戻られますか?」
「よく見てるね」
「お風邪を召されては困りますので」
 本音半分で言うと、大和が無言で視線を向けてきた。からかう様な窺うそれで。
「本当だ。変に怒られるのも遠慮したい」
「立派な本音を聞かせてくれてありがとう」
 時折、こうしてからかわれる。
 それが無ければ、人当たりが良いのだがな。


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