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【音楽×珈琲 鑑賞録】3月24日~ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト 『レクイエム』

音楽観を鍛える鑑賞録。
珈琲録はお休みです。
3月24日のテーマは、【謎】

とりあげる作品は、
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト /
『レクイエム』

です。

モーツァルトの名言
"People err who think my art comes easily to me. I assure you, dear friend, nobody has devoted so much time and thought to compositions as I. There is not a famous master whose music I have not industriously studied through many times."
「私が音楽を簡単につくっていると思っている人は間違っています。友よ、私ほど多くの時間を作曲に専念した人は誰もいない。これほど熱心に音楽を学んだ楽匠はいないでしょうね。」 

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
Wolfgang Amadeus Mozart
1756年1月27日 - 1791年12月5日
オーストリアの音楽家。

レクイエム ニ短調(独語名:Requiem in d-Moll)K. 626は、モーツァルトの最後の作品であり、モーツァルトの死によって作品は未完のまま残され、弟子のフランツ・クサーヴァー・ジュースマイヤーにより補筆完成されました。

この遺作の逸話には、さまざまな憶測と思惑があります。
たしかに謎に包まれた死のエピソードやその後の逸話も興味深いものですが、それよりも学びある部分をみたいところです。

モーツァルトは、自転車操業的に音楽を書いては生活するための賃金を受けとるという晩年のなかで、死のきわにあってもなお作曲し続けていました。
全14曲あるなかで、モーツァルトが全編作曲したと言われているのが、第1曲目のみ。ほかは主要部分や数小節が書かれた未完のまま亡くなってしまい、そこをジュースマイヤーらが補完しました。

未完ということは、途中であったということ。
できうるのなら、明日も明後日も書き続けたかったということです。
モーツァルトはそうまでして、最期まで音楽を書き続けたのは、なぜなのか?
という問いを考えることに翻すものがあります。

わたしの応えとしては、
「自分の命より、作品」
だったからではないでしょうか。

余談的になりますが、先日、NHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』「庵野秀明スペシャル」が放送されました。
このドキュメンタリーを観て、そして完結作である『シン・エヴァンゲリオン劇場版』も観て、"PASSION"「熱量」がヒトがヒトに感動を与える唯一の方法なのだと感じ入りました。
"E = mc2"という解答でも当てはまるのでしょう。
つまり、
わたしたちは、すでに「やるべき答えらしきもの」は見出しています。
"時間×質"で繰り返す。
これ以外、前人未到で突き抜ける方法はない。
そして、あとは運命に手渡すだけ。
まさに「残酷な天使のテーゼ」です。

モーツァルトは本気で自分のことを「音楽の神童」だと思っていたでしょう。
もちろん誹りを受けることも、失敗することもたくさんあった。
それでも、ほかにやれることはないと覚悟していた。
そして、狂信的に自分を奮い立たせ、命を削って音楽に身を捧げた。
この熱量が複利の力、指数関数的に作品の価値を高めています。

問われるのは、
生きていること以外で続けていることは何か?
ということです。
それがあったとすれば、覚悟をもって続けよう。
みつけられないのなら、みつけることを続けよう。
意味のない人生、意味づけすることに覚悟をもとう。

いずれにしても、わたしたちは「クリエイター」であることを努々忘れないよう、立てた問いに応え続けていくことが大切ですね。

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