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【音楽×珈琲 鑑賞録】4月27日~ドミートリイ・ショスタコーヴィチ 『交響曲』第7番

音楽観を鍛える鑑賞録。
4月27日のテーマは、【周辺】

とりあげる作品は、
ドミートリイ・ショスタコーヴィチ /
『交響曲』第7番

です。

ドミートリイ・ドミートリエヴィチ・ショスタコーヴィチ
ロシア語: Дмитрий Дмитриевич Шостакович
Dmitrii Dmitrievich Shostakovich
1906年9月25日(ロシア暦9月12日) - 1975年8月9日
ソビエト連邦時代の作曲家。

3月1日『ムツェンスク郡のマクベス夫人』記事にして以来のショスタコーヴィチ。本日は、交響曲第7番ハ長調作品60(Symphony No. 7 in C Major, Op. 60)、「レニングラード」(Leningrad)の通称がある壮大な交響曲です。

この楽曲は第二次世界大戦中、ナチス・ドイツに包囲されたレニングラード市内で1941年に作曲されました。
当時の政治思想を色濃く反映し、ナチスのファシズムへの反感、そしてソ連のプロパガンダを想起させるものでもあり、「壮大な愚作」と揶揄され、バルトークなど否定的な姿勢を示す作曲家もいました。

この楽曲を受けて学んだことは、
「音楽は言葉よりも雄弁に思想を語ることができる」ということです。

ショスタコーヴィチはかねてから思想を音楽に挟む音楽家で、『ムツェンスク群のマクベス夫人』でもスターリンから不興をかうなど、自身の考えを示すことに意義を見出していました。
この交響曲でも、

「私は自分の第七交響曲を我々のファシズムに対する戦いと我々の宿命的勝利、そして我が故郷レニングラードに捧げる」

と、ソ連の機関紙であった「プラウダ」に上記の言葉を載せ、自身の意思を表明しました。このときのショスタコーヴィチは近視眼的にナチス党を批判して、ソ連のプロパガンダをかってでたのかもしれません。
ただ、この言葉のなかにある、「宿命的勝利」が奥行きを深めています。

ショスタコーヴィチはレニングラードという地を、そこに暮らす人々や自然に想いを寄せる言葉も残しています。
戦争が勃発してしまえば、個人の想いはどうあれ、大きな力に右往左往してしまいます。自分の運命だけでなく、家族や国の運命さえどうなるか分からないなかで、平和になった愛すべき祖国を心から願っていました。
ショスタコーヴィチは、混乱する政治体制への葛藤を抱きながら、平和になった祖国が必ず来ること、「宿命的勝利」を信じ、人々と共有するために書き上げたのでしょう。
そう捉えれば、この交響曲は、政治のプロパガンダのための音楽ではなく、それを超越した「祈りの音楽」に昇華します。

75分の演奏時間、重厚で厳粛な旋律が人間の生命の重さを表現しているかのように、鬼気迫るもので聴かせます。
この多層に及ぶ交響曲の音圧が、人間の悲喜交々を熱く強く訴えかけてきます。
言葉で示したら平面的すぎて白けてしまうものも、音楽では次元の違う圧をもって聴衆の心に響かせてくる、壮絶な音楽です。

こういった音楽にしかできない役割を感じさせてくれるロシアの作曲家は、想いの強さを極限まで研ぎ澄ませると、ここまで強烈なアートになることを教えてくれます。
自身のヤワな精神を感じてしまったときは、この音楽で襟を正したいですね。

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