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【音楽×珈琲 鑑賞録】12月19日~ピョートル・チャイコフスキー オペラ『エフゲニー・オネーギン』

音楽観を鍛える鑑賞録。
エンディングまであと【13日】
12月19日のテーマは、【逸話】

とりあげる作品は、
ピョートル・チャイコフスキー /
オペラ『エフゲニー・オネーギン』

です。

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー
Пётр Ильич Чайковский
Pyotr Ilyich Tchaikovsky
1840年5月7日 - 1893年11月6日
ロシアの作曲家

『エフゲニー・オネーギン』(Евгений Онегин / Eugene Onegin)作品24は、1877年作曲のオペラ。
アレクサンドル・プーシキンの韻文小説『エフゲニー・オネーギン』が原作で、チャイコフスキー自身がリブレット(台本)を制作しています。
チャイコフスキー全10作のオペラの中では最も頻繁に上演される作品です。

「韻文」というのは、俳句や和歌をイメージするとわかりやすい、一定の規則的なリズムをもつ「韻律」を特徴にする文章です。
「エフゲニー・オネーギン」の原作者アレクサンドル・プーシキンはロシア近代文学の祖とも呼ばれ、はじめて作品内に口語をとり入れ独自の文体を創り、ロシア社会に鋭く切り込んだ風刺的詩が評価されています。
この「エフゲニー・オネーギン」は、上流社会の夜会から、田園での田舎地主の生活、農奴の娘たちの歌、迷信や占いまで描かれている内容で、平易な日常語を用いながら階級を飛び越えた当時の社会情勢を上手く表現したプーシキンの代表的名作。
多くの文学者が模範としただけでなく、ロシア社会全体に影響を与えた文学として重要な作品だったわけです。

これをオペラにするとなれば、大きな注目を浴びることになり、プレッシャーも大きかったはずです。
この時代のチャイコフスキーは肉体的にも精神的にも病みながら、気合いを入れて作曲したものの、世界初演が1879年3月17日(新暦29日)、モスクワ音楽院の学生たちで演奏されますが評価は芳しくなく、プロの演奏家が演奏しても成功は収められませんでした。
のちに改訂し、1884年9月19日(新暦10月1日)に改めて演奏され、ようやく好評をえたものの、台本が稚拙という評価もあり、当時のチャイコフスキーにとっては苦しい試練が延々と続くように思われたかもしれません。

現在からしてみれば、
苦難の連続を乗り越え、不朽の名作となった「エフゲニー・オネーギン」ですが、作られてからの数年間の暗黒期を思うとチャイコフスキーの苦悩は重かったのではないでしょうか。
それでも、音楽家としての矜持を保ち、どんなに苦しくても諦めなかったチャイコフスキーの姿勢には頭が下がります。
この鈍色の輝きがある作品から学びえるもの、姿勢を創作者たちは持ち続けたいものですね。

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