「何者かになりたかった」僕の死

昨年は祖母、今年は祖父がなくなった。

私が物心つく頃には母方の祖父母はなくなっており、父方の祖父母はここ2年でいなくなった。

とても優しい2人だった。私を間違いなく大切にしてくれていた人たちだった。

ああ、こうして無条件で受け止めてくれる味方が減っていくのだな、と感じた。

母や父も思っている以上に早くいなくなってしまうのだろう。

そう思うと、兄やいま隣にいる相方が家族となっていく。

でもそこにはどうしても資本主義的な関係性が生まれるし、無償の愛とはいかない間柄としてうまくやっていく他ない事実がある。

上京して知ったが私の家庭は特に問題がなく恵まれている家庭だと知った。
そういった無償の愛と呼べるものを「知ることなく」享受できていた。

無知の知を知らしめられた葬式であったし死別であった。

そういった別れの中で、私から見れば歪な性格をしていた祖母や社会的な地位を持たず土地と子を残した祖父を見る視点が変わった。

未完成なまま死んでもいいんだ、社会的な価値以上に「死を悲しんでくれる家族を持つこと」が人生を豊かにする要素なんだ、と気づかせてくれた。

死は悲しいものであるが、それ以上にその死そのものも遺るものに「新たな気づき」を生んでくれる。

否、そう受け止めようとすれば受け止められる。

今でも祖父が鬼殺しを毎日煽り飲んでいた姿を鮮明に思い出せる。

彼がいてくれたから、私が生きている。父もいる。母もいてくれる。兄弟もいてくれる。

そして兄弟の配偶者、私の恋人がいる。もちろん甥、姪も。

そうやって命が繋がれていけばいいんじゃないか。

いや、命さえも繋がず「誰かに何かを与えた実感と記憶」さえが残っていればいいんじゃないか。

それがたとえ1世代、2世代の記憶の中に止まる程度のものであっても。

そう思ってからは「何者かになりたい」みたいなことを考えなくなった。

今目の前にいる人に何かを与えたり楽しませたり一緒に笑ったり泣いたり。

それでいいじゃん。最高じゃん。

という考え方になった。

気楽なもので。

では。


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