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【働き方】飲み二ケーションは必要なのか?ちょっと考えてみた。

※少し前に下書きに入れていた記事なので、内容がちょっと古いかもしれません。

Linkedinからこんな記事を見つけました。

接待飲み会はなくていいが約65%を占める記事ですが、元のPRTimesさんの記事を読むと、「コロナ収束後もなくてもいい飲み会」のようです。

ちなみに、記事の中にある復活させたい飲み会は花見、忘年会、誕生会。
復活させたくない飲み会は接待、定例会、新年会。
という結果です。

さあ、あなたはどう思いますか?
ここから個人的な考察をしてみたいと思います。

どの飲み会も嫌である

Ricoとしてはどの飲み会も基本的に苦手です。
全部消えてしまえばいいと思っています。
なぜがいっぱい浮かんでいきたくなくなります。
なんならBBQもだるいです。
なぜ”会社の人と”飲みに行かなければならないのでしょうか。
ちょっと各社で働いたときのことから書いてみたいと思います。

日系企業と外資系企業の違い

外資系に入社したときに出会った上司がいました。
今となってはわたしのワークライフバランスの先生みたいな人です(言い過ぎ?)
その人は、とにかく家族と自分のプライベートを大事にする人でした。帰国子女だったのもあり、海外の生活のほうが長かったので、日本のカルチャーにはよくブーブー言っていました。

それまで日系企業が長かったわたしには、その働き方や生き方は斬新でした。日系企業は2社経験しましたが、どちらも飲み会は好きだったので、いわゆる定例的なもの、ちょっと付き合って的なものもありました。
方やその外資系企業は残業は悪ととらえる風潮もあり、ときどき社長自らが遅くまでいる社員にハヤクカエレ―と言いに来ていたくらいでした。

ここでの飲み会と言われるものもチーム内では年に1回か2回、ランチは年4-5回ほど。会社全体の飲み会と言われるものも年に一度のキックオフミーティングのときにかなりゴージャスに開催してくれるので満足度も高かったです。それ以外は、好きなメンバーといわゆる女子会ばっかりしていました。

時は進んで海外で働くようになりました。
イスラム教徒が多い国でもあるのでお酒が飲めない人も多く働いています。
そのため、基本的に何かあるとランチで話す、ランチが豪華になる、ということが多かったです。

ひとりでランチを食べたほうが気が楽なのですが、ここは異文化理解も含めて積極的にみんなとランチを食べるようにしていました。結果、確かにめんどうだなと思うこともあるのですが、ひとつ新しい文化や言葉を知ったという喜びがあり、また一緒に食べよ!と思うようになりました。

また、基本的に終業時間になったらプライベートを満喫する人たちが多かったので、夜にディナーは幸いにもありませんでした。もちろん、飲み会もなくそそくさとみんな帰っていきました。

ちなみに、少し前に話した外資系企業は一度だけ本社のあるアメリカで研修を受けたことがあり、そこで全世界の同ポジションの同僚に会ったことがあります。
そのときは、みんなでディナーにはいきましたが、へべれけになるほど飲みにいったのはいませんでした。
多分外国人がお酒強いのもあるのでしょうが…

ここまででなんとなく気づいたことがあります。

就業時間内に人間関係を築くのが苦手?

ふと、日系企業で働いていたときのことを振り返ると、あまり自分のことをオープンに話すのが嫌だったなと思います。
あれしたこれした、と話しても必ずツッコミが入るのですがそれがあまり気持ちよくないのです。
例えば週末に有給をプラスして海外旅行に行った、という出来事があったとき、なぜかその事実だけで盛り上がらず仕事しましょうね~、新卒なんだから気を利かせて~というマイナスな表現が混ざるときがありました。
恋愛の話をしたら結婚するのかと話は飛躍していきます。さらには、上司の武勇伝が始まった日にはどうでもいいですね。
テーブルに出された点の事実こそその人が話したい話題なのに、どんどんよくわからない方向に飛躍していったような気がします。
ニュートラルまたはプラスになるようなツッコミではなく、マイナスに感じてしまうツッコミが続くと、自分のこと表現しづらいと感じます。

それを許せるのがお酒の力だったりします。
上記のようなことが減れば、雑談からビジネスが生まれるといってもオープンにやりたいことを話したい人は減るので、就業時間内には当たり障りのない会話だけが生まれます。

そこで強制的に飲み会を開いたら、お酒の力を借りてオープンマインドがつくりやすくなるのでしょう。
過去、語学留学した時に話せなくて困っていたのですが、フェスでワインをガンガン飲んだらペラペラとしゃべれたことがあります。
ようは気持ちの問題なのかもしれませんが、お酒は人を変える、気が大きくなるというように、やりたいことのブロックを外すトリガーになっているのです。

シャイと言ってしまえばシャイなのかもしれません。
だから、いつに始まった文化かわかりませんが相手の気持ちややりたいことを知るためにもお酒の場を好む人が減らないのではと思います。
そして就業時間内には飲めないので、結局終わってから飲もうという流れがあるのかもしれません。

方や外資系や海外で働いたときはどうでしょうか。
基本的は、プライベートが大事なのでディナーのお誘いはなく、ランチで済まされることが多かったです。
もちろん隠していることもあると思います。すべてがオープンでないとはおもいますが、シラフでもオープンに話してくれました。

このような生活が続くと個人的な変化が訪れます。
お酒がなくても、何を伝えようか考えすぎるのをやめて、オープンにどんとこい!みたいな、むしろ何も考えなくなるのです。
もちろん言語の問題もあるので、知っている単語がそれほど多くないのもあり、何か聞かれたどうやって返そう→いやごまかす単語がわからない→いいや正直にしゃべっちゃえ!という方程式が個人的には生まれました笑
好奇心旺盛なお国柄もあるのか、え?それ聞く?という質問はありますが、比較的それなりの会社に入るとめんどうな質問は減ると感じました。

すると、なんだかすっきりするのです。そしてシラフで続くとこれが当たり前になって、お酒がなくても口が回るのです。

この経験から、お酒が必要な人間関係の中には、気持ちよくコミュニケーションを取れない日本社会が関わっているのかなと感じました。

あとは、やはり会社が変われば人も変わるのでコミュニケーションのめんどくささも変わってくると思います。

飲み会で仕事やった感

今の20代~30代くらいの人たちは、どちらかというと自分の時間を大事にすることを意識できる働き方を選んでいる人が増えたような気がします。

反面、昔見てきた日系の部長たちの中には既婚で子供がいる人たちのほうが多かったのですが、飲み会の数はまあまあ多いと思ったことがあります。
家に帰るのが苦手なのでしょうか?
それともお酒の席までが仕事ととらえているのでしょうか?
(だから食べ物のとりわけとかが存在するのかな…)
付き合いとは本当に必要な付き合いなのでしょうか?

飲みの席での動きなんかも評価されたら大変です。
どこで気を抜いていいかわかりません。

”ねぎらいもかねて” と言いますが、ねぎらうなら休ませろ!ボーナス出せ!と思ったこともあります笑

こういう人は減っていると思いたいです。

どうしたら飲み会から逃げられるのか

じゃあどうコミュニケーションを取るのかという流れになるかもしれませんが、それよりもみなさんが知りたいのはどうやったらそそくさと、かつ相手を傷つけずに逃げる方法なのではないでしょうか。

わたしは何もなくても予定があるといって帰ったり、何か聞かれたときのために実際に別の予定を入れていました。
飲み会を断るために、リア充になるのです。
なので通いだしたのはジムやイベントでした。
しかし、しっかり目的を立てなければうまく逃げられません。
ダイエットのために、メンタルを一定にするためにヨガに週3で通う、
英語がうまくなりたいからパーティに参加する、というのを繰り返すと、自然とプライベートでいい効果が発揮されたりするのです。
逃げるのを楽しくするのにも目標があるとおもしろくなります。

そもそも、飲み会を断ったところで何が起きるのでしょうか?
日本企業はそう簡単にはクビにはしません。
多少あたりはきつくなったらそれはハラスメントになるかもしれません。

そんなびくびくしながら働くのに夢はありますか?
我慢しなければいけない理由はなんでしょうか?
すごいプロジェクトをしているならまだしも、飲み会がなければ関係を築けないのであれば、なんだか大変だなあと思います。
つかみとしてのディナーはありかもしれませんが、実際に一緒に仕事をしてからお付き合いは判断できるんじゃないでしょうか。

そんなわけで、わたしが飲み会に行くなら
・基本的に自分が好きな人。
・上司だから、役員だからという役職で見るのではなく、自分にとって有益か楽しい人かを重視する。
・出張先も場合によっては一緒に行く。たまにしか会えないのでちょっと気が楽なところもある。
・男女二人ではいかない。(外資はあまりよろしいとは思いません)
・楽しい時間で帰る。だらだらしない。
・ていうかランチでよくないですか?と誘う。

という点を意識しているなあと思いました。

苦手を主張し、認めてあげる文化を

でも結局「上司が許してくれないからー」という文化がはびこっているところもあると思います。
とくに年齢が高い方々ほど、その文化が当たり前だったからそれが普通だと思ってやっているだけなのです。
もはや国が違うのと一緒です。異文化なのです。
おそらく多くは悪気もないのですが、自分の主張のどこがミスマッチなのかがわかっていない人も多いと思うのです。

だからこそ、本来であれば目上の人から率先してすり合わせる、妥協点を探すという努力が必要だと思います。
主張が苦手な日本人なだけに、誰かが改善しなければいけないなら、ここでこそリーダーシップを発揮したいものです。

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