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アフガニスタン

(3番)
本当は行けないアフガニスタン
と3回目のタジキスタンと3回目のカザフスタンへ行ってきました。
アフガニスタンへ行くには南の方のゴルノ・バダフシャン州にあるワハーン回廊まで行く必要があります。
ここは外務省の危険レベルが3の「渡航中止勧告」が出ている地域でタジキスタンに入国する時に必要なビザ以外にもう一つのビザが必要な場所です。何故ならば、パンジ川を国境として対岸はアフガニスタンだから。

タジキスタン側から見たアフガニスタン

旅行会社はいつも使っている「国盗り」専門の会社で、彼らの努力にはとても感謝をしています。しかし、料金がべらぼ~に高い。「なんでやねん!!!」(関西人ではないけど、強調する時につい出てくる)ま、大体想像はすきますが・・・メンバーは8名限定で全員が知っている人でした。

 タジキスタンのガイドさんは優秀な人で質問をすると即座に答えてくれて、夏場は観光ガイドをして、冬場には大学で英語を教えているそうです。
余談ですが、タジキスタン人はロシア語ができるので、モスクワへ出稼ぎに行く人が多いそうです。でもロシア人からはとても見下されて馬鹿にされるのだとか。 

一日目
成田からソウル経由でカザフスタンのアルマトイへ。ここで一泊。
ここは天山山脈の雪景色が綺麗です。 

二日目
夕方の便でタジキスタンの首都であるドゥシャンベ(標高706m)へ。午前中は自由行動で、他の人たちは地下鉄に乗ったりして観光を楽しんだようです。私は一人で別行動をしました。 

午後はカザフスタンにある標高2千メートルにあるコルサイ湖まで。
湖はターコイズブルーで底に石灰が溜まっていることが窺えます。
こちらのガイドさんは2年前にカザフスタンのウスチュルト大地へ行った際、アルマトイに戻って来てスーパーへ連れて行ってくれた人でした。
高さ10センチ位のピンヒールを履いていたので強烈に覚えています。 

三日目
ゴルノ・バダフシャン州にあるカレイカムへ。本日より四輪駆動車2台に分乗をして途中からパミール・ハイウエイを南下します。
「あんれま!」出発して5分で2号車が壊れました!代替え車が来るまで約一時間待ち、再出発。
途中の市場でスイカとハミウリを5個ずつ買い込みました。全部で約14ドル、やっぱり物価は安いです。
途中の村で昼食。サラダ、鳥の串焼き、デザート。

今夜のホテルのカレイカムへ到着。タイからのグループが10数名来ていて、ここで一泊してすぐにドゥシャンベへ戻るのだとか。まさか、こんな所でタイの人たちに会うなんて、最近のタイの経済の発展を感じました。

シャワーを浴びていると突然停電になり、髪の毛を濡らしたばかりで、手探りでシャンプーを探して泡が立ったので安心して洗い、流そうと思ったら、水が出ない!「ひえ~ッ!」しばらく待ったが、回復する様子がなかったので、これまた手探りで懐中電灯を探しに行っているとパッと電気がつきました。翌日分かったのですが、私が使ったのはシャンプーではなく、シャワージェルで洗髪をしたこと。
一日中、箒のような頭で過ごしたのは悪夢としか言いようがありません。 

四日目
ホローグ(標高2、123m)へこの村はタジキスタンとアフガニスタンの軍の施設がパンジ川沿いに対峙しています。これからこのパンジ川に沿って南下していくのです。
村を出てすぐにアフガニスタンの村の様子や人々が見えてきました。川幅は狭い所で15メートル程しかなく、渡ろうと思えば行ける距離です。ただし、流れは速いです。密輸が横行しており、ばれた時には銃撃戦が繰り広げられるほどだそうです。

タジキスタン川の道路の傍には時々、地雷が埋まっている看板が立っていました。 ○○○○年7月に米国からのサイクリストが4名殺害されており、ホテルの真ん前にはモニュメントが建っていました。
ISが犯行声明を出しています。今回も道中にはサイクリストを時々見かけました。
彼らの笑顔を見ていると今は大丈夫なんだろうなと思う事にしました。

 丁度、小麦の収穫時期のようでアフガニスタン側の斜面に作られた畑には小麦の束がところどころ置いてありました。パンジ川の両側は切り立った渓谷で万年雪の山々に心が洗われます。

この日から本格的に悪路になり体が左右に揺れて、首から肩にかけて凝りに凝りまくり、ホテルに着いた途端、ソファに倒れこんだ人続出。ホテルとは言っても民宿レベルですが。
インド人が経営しており夕食はフィッシュカレー、ラムカレー、野菜スープ、ミルクティーなどはとても美味しかったのが幸いです。
夜は寒かったです。 

五日目
イシカシム(標高2457m)へ。アフガニスタンのビザを取得するために8時頃アフガニスタン領事館へ。日本政府から日本人に対してビザを発給しないよう勧告が出ているためにアフガニスタン側も乗り気ではなく、営業時間外に全員が来てくれとの要請があったのです。添乗員さんによると発給する際、「本当にいいんですね」と何度も念を押されたとか。

外務省の方がこれを読まれていたら、本当に済みませんでした。
手続きの為に添乗員さんとガイドさんが中へ入り、我々は車の中で待ったが、時間がかかりそうなのでパスポートを預けて一端ホテルへ帰りました。

 その後、ホローグの市場やホテルの真ん前の公園へ。丁度、1997年に内戦が終結した記念の式典を行っており、ダンスや歌の催し物を見ることができました。これはラッキーでした。民族衣装なので、とても綺麗で、特に子供の踊りは周りの観客たちも拍手喝采でした。ドローンで撮影をしていました。売店などが出ており、何処の国も同じだなと。

桑の実のお菓子を珍しそうに見ているとプレゼントだと言って少し分けてくれました。自然食品で棒状(〇〇ジョイみたいな)になっており、小腹がすいたときに食べたけどマズくはなかったです。食べ物に関しては正直な感想しか言えないたちでして。

午後になってビザが発行されたので、イシカシムへ向かいました。
 ワハーン回廊とはアフガニスタンの北東部に東西に細長く伸びた回廊地帯。南北の幅約15~60km、東西約200kmに渡り、東は中国、南はヒンドゥー・クーシュ山脈を境界としてパキスタンにも接しています。

玄奘三蔵やマルコ・ポーロも通りました。途中、6千メートル級のヒンドゥー・クーシュ山脈の写真を撮っている時 (私は撮りませんが)、ふとアフガニスタン側の山に目をやると一人の兵士がこちらを見ているのに気が付いたので、手を振ると向こうも振り返してくれたのが、ものすごく嬉しかったです。
山の高さは千メートル程はあったと思います。「命を懸けて国境警備をしていること、ご苦労様です」と心の中で思いました。
添乗員さんから「よく見つけましたね」と言われたけど、「写真に夢中になるとこんな瞬間を見逃すもんだよ」と写真きちがい達に対して言いたいのをぐっとこらえて「たまたまですよ」と口にしていました。

タジキスタン側も時々、迷彩服の兵士が3人連れで警備をしています。
時には犬づれだったりします。検問も要所要所にあり、皆さん、我々の顔を見ると笑顔で歓迎してくれました。 

六日目
本日はいよいよアフガニスタンへ入国する日です。朝、国境の橋がある場所へ。ドウシャンベからここまでくる間に橋は4本両国の間にかかっていました。そのうち、一本は現在閉鎖されています。
しば~らく待ってやっと門が開いたら橋を渡ってイミグレーションのある建物へ。その建物には、JICAが建てたと看板がありました。
出国の手続きに時間がかかり、やっとアフガニスタンに入ると、こちらのイミグレでは何とコンピューターではなく、手書きで処理をしているので余計に時間がかかりました。両国とも係官はとても親切でした。手続きを済ませ、晴れてアフガニスタンへ入国。 

アフガニスタンの入国カード

こちらはスルタン・イシカシムという町で、住んでいる民族もタジキスタンと同じなので、言葉も同じです。車に分乗をして近くの村まで行くのですが、すぐに目に入って来たのは、2台のソ連製の戦車の残骸で道路のわきに転がっていました。

村を走る車にはナンバー・プレートがないものが多く、統制が取れていなことがわかります。到着をするとまた別の手続きをするために時間を取りました。ある村の目抜き通りのような場所ですが、来る前にタジキスタンのガイドさんが言っていた「ancient world」がそこには広がっていました。
そのガイドさんはアフガニスタンへは行った事はなくて想像して言ったのだそうだが、全くその通りでした。パンジ川を渡ってちょっと行っただけなのに、時代が何百年も違うような風景でした。

金曜日でイスラム教の休息日にあたり、コピーを取る店を探すだけでも手間取りました。やっと終わって、自由時間となりその村をぶらぶらと散歩。
久しぶりに周囲の人たちからジロジロと見られました。衣料品や果物屋さんなどが軒を連ねています。何かを修理するお店にいた人の脚を見ると義足でした。昔どこかで戦ったか、地雷を踏んだのであろう。
女性はあまり見かけなかったが、目の部分がメッシュのタイプのヘジャブを頭からすっぽりとかぶっており、暑そうでした。

へジャブと言えば、クゥエートへ行った時のレストランで見かけたお金持ちそうな家族の奥さんは食事をするのにいちいちへジャブの前の部分を持ち上げて食べ物を口に運んでいました。不便だろうに。ま、慣れているでしょうけど。

 すぐに昼食時間になり、レストランへ。一段上になっている台へ上がり、床に長いテーブルクロスが敷いてあり、その上にお皿と食べ物を置くのです。メニューはサラダ、シシカバブ、ナンとお茶。結構おいしかったです。
食事の最中にヘジャブ姿の女性が物乞いに来て、手を伸ばしたまま、しばらくそこに立っていました。レストランでは他の客たちにジロジロ見られたというか凝視され放題だったが、途中で皆いなくなりました。近くのモスクへお祈りに行ったらしい。アフガニスタン人のガイドまでいなくなりました。

因みにタジキスタンでは同じイスラム教でもモスクはないし、もちろん、アザーンも聞こえてこない。規律が緩やかなのだとか。 昼食後、小高い丘の上にある村へ散歩に行きました。車で登るのだが、斜面が急なので我々は途中で降りて歩いて上りました。

村では古い家の中を見せてもらい、畑の周りを少し歩いて終了。15時までにタジキスタンへ戻らなければならないので、国境に向かいました。
短い滞在で見るものは何もなかったですが、念願のアフガニスタンに入国出来て満足です。

 国境では一人の中国の青年に出会いました。キャンプ道具など一式を背負って一人旅をしていて、今日はあの山から帰ってきたと指さしたのは6千メートル級の山でした。またしてもこんな所で中国の人と会うなんて、お互いにビックリしました。

タジキスタンに戻ってくるとガイドさんは心配をしていたようで、無事に戻ってこれたことを心から喜んでくれました。誰からなのかは不明ですが、ガイドさんとドライバーさん二人にアフガニスタンのベレー帽のようなものをお土産に渡していました。 

七日目
本日よりドゥシャンベへ向かい帰路につきます。途中、道路脇にお墓のような場所があって花が供えられていました。ここで前述した7名のうち4名のサイクリストが車で崖の下へ落とされて殺されたのだそうです。

 アフガニスタンの道路は機械を使わずに人間の手だけで整備されているのが分かりました。時々、古~いバイクや車が通ります。もちろん、人も歩いているのが見えるけど、こちらには気が付かないようでした。

途中、アフガニスタン側の山に赤い部分が広がっている斜面が見えて「あれは何ですか」と聞くと何の躊躇もなく「ルビーですよ」とガイドさん。
へ?あんなにたくさん!!
あと、青っぽい色をした斜面(ひょっとしてサファイア?)もあって鉱物が豊富なのだそうです。
ホテルの隣のお店で世界ではアフガニスタンとチリだけでしか産出しないラピスラズリを買いました。チリではとても高価で手が出せなかったけど、ここではお小遣い程度で買えました。 

八日目
一号車の後ろのタイヤがバンクをしたので、近くをウロウロしていると15分で取り替えてとても手馴れていました。コオロギが鳴いていたし、アリジゴクもたくさんいて、止まってみなければ分からないことを経験したので、逆によかったです。
よく見かけた花はガスツリーというよく燃える木で、ピンク色が綺麗でした。

カレイカムに戻り川岸で写真を撮っているとアフガニスタン側の学校では、子供たちがサッカーをしていました。手を振ると彼らも振り返してくれました。キャーキャーという声が聞こえ、近くで、石職人が石を割っているカチーンという音もよく聞こえました。流れが緩やかな川では水浴びをしている人もいました。 

九日目
途中、ブルーレイクというダム湖で写真ストップ。やはりここもターコイズブルーで底に石灰が溜まっているようです。ところどころに見える岩は赤くて、コントラストが綺麗でした。ナッツ類がたくさん売っていたけど、道路際で埃りまみれかな・・・ 

十日目
午前、簡単なドゥシャンベの市内観光をして帰国の途へ。
ここには前回来ているはずなのに、すっかり忘れており情けないです。
緑が多く綺麗な街並みです。
7,495mのイスモイル・ソモ二峰が見え、ルダーキー公園ではサーマーン王朝の王であったイスマイル・サマニの銅像があります。
ソ連崩壊前にはレーニンの銅像があった場所です。
市場も整然としており、清潔でした。

アルマトイでは乗り換えの時間がたっぷりとあったので、市内に出て中華料理の夕食を頂きました。まあまあの味でした。気温は41度で、蒸し暑かったです。 

十一日目
帰国

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