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東北アフリカ5か国

(11番)   2015年  3月
スーダン、エリトリア、ジブチ、ソマリア、南スーダンへ行ってきました。
目的は国盗りです。
スーダンとエリトリアは2012年に行った事がありますが、他は初めてです。参加者は女性が3名です。

今回は添乗員さんのレベルが低い上、現地の人や我々とうまくコミュニケーションが取れない人でほとほと困り果てました。特に英語力がなくて何度も聞き返すし、間違って訳すしで。
その上、物事がスムーズにいかないと自分のせいなのに、逆切れすることが多かったです。
例えば、車の補助席に座ったあと、後ろの人が出やすいように普通は元の状態に戻すと思うが、一切それをしなかったです。
一度、日傘を車の中に忘れたので、忘れ物の確認をしてもらえないかと聞くとガイドさんの連絡先を知らないと言いました。毎日暑い中を観光するのに
とても困りました。忘れたのは自分なのですが、一言確認だけでもしてもらいたかったです。いろいろな添乗員がいるが、自分はそこまでしないと逆切れされました。
相部屋なのに、タオルが一人分しかない時があって、それを伝えると自分の部屋から持ってきたと何故か逆切れする始末。何でホテルの人に言わないのか不思議です。
3つ足のソケットを頼んだら、持ってくるのに30分以上もかかり、挙句に違うタイプの物で、「彼らはわかってないから」とホテル側のせいにするのです。ホテルの人の方が知っているのではないかと思いますが。
本当に添乗員としての資質を疑いますね。
旅行会社には3人がそれぞれ文句を言っておきました。後日、社長さんから謝罪の言葉がありました。
又しても愚痴りました・・・反省

3月8日
22:20 発のカタール航空にて(12時間15分)ドーハへ。

3月9日
04:35 ドーハ着
07:30 カタール航空にて(4時間50分)スーダンの首都であるハルツームへ。
11:20 ハルツーム着。ビザを取得後ホテルへ。(ビザ代$100)
昼食後、休憩
14:00 古都オンドルマン市内観光
      ムハンマド アフマド廟 (1884年イギリスに対してマフディーの指導者として戦い、スーダンを勝利に導いた人)
      オールド スーク

3月10日
8:00 四駆でジェンディ近郊にあるクシュ王国の王墓群の観光へ。
12:00頃到着し、お弁当を頂いてから、観光開始。
クシュはアフリカの黒人最古の王国で、B.C.10世紀ごろ、エジプト文明の影響を受けて建国されました。エジプト末期王朝の時期にはエジプト全土を支配しました。
アッシリアがエジプトにB.C.671年に侵攻するとナイル上流に移動し、B.C.540年頃メロエ王国を定めました。メロエ王国は350年頃、アラビア半島からエチオピアに侵攻したアクスム王国により滅亡しました。
規模はエジプトにはかなわないものの、ピラミッド群は1000近くのものが手つかずの状態で残っています。メロエ遺跡は2011年に世界遺産に登録されました。

前回見て覚えていた「スカラベ」の模様のついたピラミッドもちゃんとありました。
ピラミッドは中に入って見学もできるのですが、中には折角の綺麗な絵などは蜘蛛の巣に覆われて悲惨な状態でした。ガイドさんに「きちんと整備しないのですか」と聞くと「政府はこれらを維持するための予算を取ってくれないのです」と残念そうに言いました。
観光中は気温42度でした。

3月11日
午前は自由行動
午後はハルツーム市内観光
青ナイルと白ナイルの合流点 (青ナイルはエチオピアのタナ湖から流れ出て、白ナイルはウガンダのビクトリア湖から流れ出てスーダン南部の大沼沢地を通り抜けてハルツームまできている)
因みにハルツームとは「象の鼻」という意味だそうです。
国立博物館
スーダンの人口は3700万人。

20:30 エジプト航空にてカイロへ。
22:00 カイロ着
23:20 エリトリアの首都であるアスマラへ。

3月12日
03:10 アスマラ着。ビザ取得後ホテルへ。
ホテルは前回来た時に宿泊したところでした。

午前中は自由行動
市内を散歩していると物貰いが近づいてきます。スーダンよりも貧しいのかもしれません。
床屋さんの窓ガラスに貼ってあったヘアスタイルの見本では、驚いたことに韓流スターがモデルとして出ていました。もちろん、無許可だと思われます。
街中は荷台付きの馬車が走っていました。

エリトリアは1993年に独立したばかりの国です。長い歴史の中でイタリア、トルコ、エジプト、アラブ、ヨーロッパの影響を受けていることが分かります。
人口は420万人。

午後はアスマラ市内観光。
大聖堂
マーケット
ホテルは連泊

3月13日
終日、アスマラの市内観光へ。
カテドラル
モスク
ギリシャ正教会
コプト教会
クラフトマーケット
戦車の墓地
JICAのTさんから、エリトリアの現状や上下水道の援助のお話などを聞くことができました。
20:55 イエメニア航空にてイエメンの首都であるサナアへ。
22:05 サナア着 空港内は夜中であるにもかかわらず、混沌としていました。
この後すぐに内戦が勃発してイエメンへは行けなくなってしまいました。

3月14日
00:45発のイエメニア航空にてジブチ共和国の首都であるジブチへ。
01:45 ジブチ着。ビザ取得後ホテルへ。
ホテルへ入るにも車体の下に鏡付きの金属探知機のようなものを翳してチェックします。
そして、我々の荷物も空港と同じ検査を入口で行います。

朝食時にはドイツ軍の兵士さん達がたくさんいてビックリ。皆、迷彩服を着ているのですぐにわかります。我々はのほほんと観光旅行などして、何だか申し訳ない気持ちになりました。
ここにはフランス軍の大規模な基地もあります。

ジブチはアフリカの北東部の角にある小さな国で紅海とインド洋の交通の要衝です。
国名のジブチとは「ダウ船は着いたのか」という意味だそうです。

午後はジブチ市内観光へ。
ジブチ港 (港の造成が進んでおり、今後益々発展しそうな感じ)
メネリック広場
マーケット(食料品はほとんどがソマリアやエチオピアからの輸入だとか)
自衛隊の駐屯地 (主に日本の船を海賊船から守る任務をしている。中を見学させてもらえないか添乗員さんは交渉に行ったが、ダメでした。そりゃ、ダメに決まっている。ま、OKが出ることを期待していた自分がいるのは否めないが)
高級住宅街 (ほとんどが外国人の住まいで本当に別世界でした)

3月15日
アッサル湖へ。
アフリカ大地溝帯の底に位置し、火山と玄武岩で囲まれた湖は海抜マイナス153mで、アフリカ大陸の最低標高地点です。
塩分は35%
エチオピアのダナキル砂漠と同様にアファール族が塩の採掘を行っていますが、我々が行った時は誰もいませんでした。
湖に行く途中に2機の戦闘機がエチオピアの方へ飛んで行きました。
車の中である人が郵便切手がどこに売っているかと質問をすると何故か添乗員さんの質問が通じなくて、延々、ガイドさんと30分ほどああでもないこうでもないと言い合っていました。MoneygramとかATMとかガイドさんが言い始めてこりゃダメだと思いました。
こんな簡単な質問もできないようでは添乗員としても資格はないですよ!
湖に近づくにつれて、フェーン現象とでも表現したらいいのだろうか、超超超あつ~い!!!

3月16日
11:00 エチオピア航空にてディレダワ経由でアディスアベバへ。
11:50 ディレダワ着(エチオピア東部の空港)
13:25 アディスアベバ着
14:50 エチオピア航空にてソマリランドの中心であるハルゲイサへ。
16:30 ハルゲイサ着。ビザ取得後そのままホテルへ。ビザ代$60

ソマリランドはソマリアから勝手に独立宣言をして自治国となっています。なので、承認はされていません。独立から15年くらい経っています。
又、ホテルに入るために個室でスーツケースを広げてチェックです。
一人一人に時間がかかるので、待っているだけで疲れました。入り口には数名の兵士が警備をしています。もちろん、ライフルを持っています。
ホテルに着いた時に添乗員さんに「ホテルの周囲を散歩しても大丈夫でしょうか」と聞くと「ああ、いいですよ」との返事でした。これを鵜吞みにしたのが間違いのもとでした。
ここのホテルは食事がとても美味しかったです。

3月17日
出発まで時間があったので、ホテルの辺りを散歩していたら、知らない人がついて来ました。
ホテルに入ってもそのままついてくるので従業員かと思っていました。入り口にいた兵士達にも親しげに挨拶をしているし。

終日ハルゲイサ市内観光
キャメル マーケット
政庁舎
独立記念広場
ホテルで昼食後双子山へ。
マーケット(置かれている商品は埃をかぶっていなくて綺麗でした)
スイカを積んだトラックが何台も走っていたが、ソマリアから運んでいるのだそう。

3月18日
添乗員さんが「ホテルの隣に国連難民高等弁務官事務所があるから、散歩がてら行ってらっしゃい」と言ったのです。UNHCRの場所はすぐにわかり、もう少し進んでみようとどんどん歩きました。すると遠くの方から声がして振り向くと兵士が呼んでいました。
言葉は分からなかったけど、どうもホテルへ戻れと言っているようでした。
ホテルへ着くや否や、上官らしき人が英語で「君は何を考えているんだ!ここは危険な地域だという事が分かっているのか。一人で歩く時は必ず兵士を連れて行くように。2度とこんな事をするな。あとどの位ホテルに滞在するのか。その後どこへ行くのか云々」とがみがみ、がみがみ怒りました。
私はキョトンとして聞いていましたが、ま、私のことを心配して言ってくれているのだろうと。
だったら、ホテルを出る時に10人くらいの兵士がいるのに、何故止めなかったのかなあ?
部下たちの怠慢じゃね?又、若者言葉。

出発前になって聞いたのですが、昨日一緒にホテルに入ってきた人は何と泥棒だったのだそうです。なんだかよく分からない話ですが、あちこちで混乱しているような・・・

11:30発のエチオピア航空にてアディスアベバへ。
13:10着 ビザ取得後、ホテルへ。このビザを取得する際、添乗員さんが係員の人と又言葉が通じずにすったもんだしました。二人のやり取りを聞いているとどうも添乗員さんは英語の基本がなっていないようでした。私も英語は得意とは言えませんが、すぐに分かりました。こういう場合、添乗員さんのプライドを傷つけてはいけないので黙っているようにしています。
挙句の果てに自分が聞いていた金額と違っていたらしく、「仕方がない。差額は自分で払うしかない」と我々に聞こえるように言ったのです。
ものすご~い時間が過ぎてしまったので、我々のスーツケースは倉庫行きになったようで、そこまで引き取りに行く羽目に。先にターンテーブルでピックアップしておけばよかったのに。そこまで歩く途中で、今度は添乗員さん(男性)が係の人(女性)の肩に手を置いたのです。流石に「止めておいた方がいいですよ」とこの時はアドバイスをしました。
午後は自由行動でした。

3月19日
9:15発のエチオピア航空にて南スーダンの首都であるジュバヘ。
11:25 ジュバ着。ビザ取得後レストランへ。
空港に着いたら、これまで見たこともないような各国の軍用機が所狭しと駐機をしていてその光景は圧巻でした。そのうちの一機はWFPでした。
建物の中に入ろうと近づいていくと入口で東洋人の若者二人が椅子に座って何か仕事をしていました。自衛隊の人でした。まだ、20代前半でしょうか。我々を見るととても喜んでくれました。

南スーダンは2011年に独立をした国連加盟国193番目の国です。
午後はジュバの市内観光へ。
水を運ぶタンク・ローリーが何台も街中を忙しそうに走り回っていました。
街中はどこも写真は禁止で、バレたら刑務所行きだそうです。
独立記念広場
反政府武装組織の最高司令官であったジョン・ガランのお墓(ヘリコプターで事故死)
白ナイル川 (橋を渡って見に行ったのですが、「ここをまっすぐ行くとウガンダです」とガイドさんが教えてくれました。人々が水浴びをしていました)
絵葉書を送った人がいて1枚何と$15でした。ケニア経由で送るからだそうですが、それにしても高くね?

ホテルはボロボロだし、暑いしで参った、参った・・・

今回は5つの国へ行くだけなのに、あちこちと余計な国を経由しなければならなかったのと、兎に角、物事がスムーズに進まずに疲れましたが、又、国の数が増えたことに関しては満足です。

3月20日
空港では到着した時とは違う自衛隊の若者5人くらいと会いました。
12:15発のエチオピア航空にてウガンダのエンテべへ。
13:15 エンテべ着 (待ち時間が長いので空港内のラウンジで休憩)
18:25 カタール航空にてドーハへ。
23:35 ドーハ着

3月21日
01:10 発のカタール航空にて成田へ。
16:55 成田着
   

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