見出し画像

シッキムとダージリン

(76番)  2016年   10月

シッキムとダージリンへ行ってきました。インドは5回目です。

今回の参加者は男性1名、女性9名の計10名でした。
唯一の男性は何度かお会いしたことがある人で、東京組と大阪組5名ずつの混載グループでした。

チェックインのカウンターでは「Happy Diwali」と声をかけられて、「え?何のこと?」と思ったが、調べてみると下記のことが判明。
インドでは最も重要なお祭りの一つで「闇に対する光の勝利」「無知に対する知識の勝利」「悪に対する善の勝利」を祝う。
光の祭典とも言われて、インドのお正月で「Happy New Year」ということ。
ヒンドゥー教徒だけではなく、ジャイナ教徒やシーク教徒たちにとってのお祭りでもある。

今回のルート

1日目 10月29日
✈ 11:15 発 成田: エア・インディア(787-8)
  17:00 着 デリー (インディラ・ガンジー空港)

添乗員さんと大阪組の5名とはホテルで合流。

🛏 デリー泊

尚、インドの首都はニュー・デリーではなく「デリー」だそうだ。
連邦管轄地のデリーの中でニュー・デリー、オールド・デリーとデリー・カントメントの3区域に分かれている。
ニュー・デリーは単に政府機関の集まっている地域の事を指しており、都市の名前ではないとか。

2日目 10月30日
✈ 11:00 発 デリー: エア・インディア(A320-200)

機内からはヒマラヤ山脈がズーッと続いて見ることができて瞬きをするのがもったいないくらいだった。最高の贅沢!👀

  12:55 着 バグドグラ(西ベンガル州でインドの東の端)

到着時にガイドさんから一人ずつ白いシルクの「カタ」をかけてもらった。これは人に対して敬意を表す時と仏像にもかけてご挨拶をする時にも使う。

🚙 ここからは4台の四駆に分乗してシッキム州の州都ガントクまで向かう。

{シッキム州の説明}
1642年にチベット仏教のニンマ派であるプンツォク・ナムギャルが初代君主となり、「シッキム王国」を建国。ネパールとブータンの間に存在した国であったため、次第に両国に領地を奪われていくようになったが、19世紀にイギリスの保護領となった。
ここは当時イギリスの植民地だったインドにとっては戦略的にチベットへの玄関口となるために重要な場所だった。それで1947年インドの独立後にはインドに支配権が移った。
1975年に国民投票が行われ、97%の有権者がインドへの併合に賛成をした。
約300年続いた王国は消滅をして、22番目の「シッキム州」が誕生した。

ここバグドグラは標高126mだが、ガントクは約1,600mあり、そこまでの距離は約115kmある。
出発してすぐに見えてきたのは「アッサム茶」の畑 →バラス川 →マハナンダ川 →マハナンダ自然保護区(道路沿いにはたくさんのサルがいた)→コロネーション・ブリッジにて写真ストップ(1937年、英国王ジョージ6世の時代に建設)→ランポー到着(州境のために入境手続きが必要) →クネクネの山道を1時間ほど走りガントク到着

夕食: バイキングとプラスしてポークソテー

🛏 ガントク泊

3日目 10月31日
早朝の4時半起きでタシ・ビューポイント
5時半ごろから徐々に太陽が山を照らし始めて、カンチェンジュンガ(世界第3位の高峰8,586m)がはっきりと見えた。他は6,000~7,000m級の山々も見えて感激!

朝陽に照らされるカンチェンジュンガ

ここは中国まで約50km。
周辺には「ブラック キャット」と呼ばれるインド軍が駐屯しており、朝からトレーニングをしていた。

ホテルに戻り朝食後、🚙 ルムテク僧院へ。

ルムテク僧院(ダルマ・チャクラ・センター)
ダライ・ラマと共に亡命したチベット仏教カギュ派の第16代宗主カルマパが布教の本拠地として1960年に建設。
1981年に亡くなった彼の遺灰はゴールデン・ストゥーパに収められている。
チベット仏教では「転生」を信じており、先代の高僧が亡くなると、転生者としてその生まれ変わりとされる少年が探し出される。
現在、カルマパ17世と呼ばれる人物は事情があって二人いる。
インド政府は中立を保つために二人とも、この僧院への訪問を許可していないとか。要はカルマパ17世は不在ということのようだが、18世はどうなるのかな?素朴な疑問。🤔

東西南北の入口には四天王が描かれており、本堂の入口の上にはチベット仏教に登場する神聖な動物である5つのスノーライオンが描かれていた。
これは「無知、怒り、欲、嫉妬、高慢」を表しており、これを潜ることによって本堂では無心になれるのだとか。

ルムテク僧院
Tripadvisorより

セキュリティーが厳しくて我々が入るだけでもパスポートと入境許可証などが厳重にチェックをされた。
写真は外観は大丈夫だったが、内部は撮影禁止。

ガントクに戻り、チベット学研究所
1957年にチベット仏教の研究の為、第11代国王タシ・ナムギャルの時代に設立された。とても綺麗に装飾された建物で1階は博物館となっている。

昼食:かぼちゃのスープ、サラダ2種、パパド(豆の粉の極薄クラッカー)、ヨーグルト、チャパティ、魚カレー、チーズカレー、バターチキンカレー、ミックス野菜カレー、野菜炒め、キール(ライスプリン)、アイスクリーム、コーヒー/紅茶/チャイ

エンチェ僧院
1840年にニンマ派のドルトゥップカルボによって建設された。
本堂は見学はできるが撮影は禁止。
本堂に入る前に隣のお堂へ行くと数日前に高僧のヤンタン・リンポチェが亡くなられたので祭壇が設けられていた。
本堂の中にあるご本尊は阿弥陀仏でニンマ派は三本尊(グル、デーヴァ、ダーキニー)を祀る。

エンチェ僧院

ガイドさんはとても熱心に説明をしてくれるが、難しすぎてなかなか頭に入っていかない。😅

ロープウェイで丘の上まで行ってみた。片道約5分。
ガントクの町の様子やカラフルな色の屋根が並ぶ家々が見渡せた。

マハトマ・ガンジー バザール(現代風のお店が並ぶ) →ラル・バザール(野菜や果物)

夕食:バイキング プラス ビーフのソテー

🛏 ガントク連泊

4日目 11月1日
今朝も4時半起きで、別のハヌマーントクというビューポイントへ行ったのは3名のみ。私も行かなかった。皆さん、お疲れのようで。

🚙 朝食後、ぺリンへ向かう。
そこまでは約115kmあり、道路事情が悪いので本日もガタガタに加えてクネクネの道が続いた。
途中のラバングラでチャイを飲みながら少し休憩。
ここからも6,000m~7,000m級の山々が綺麗に見えた。もちろん、雪を被っている。

ホテルに到着後、昼食: バイキング

ペマヤンツェ僧院
1705年、ニンマ派のラッツン・ツェンポによって建立。
彼は1641年にチベットからシッキムにやってきた僧侶3人のうちの一人。
通常は1階から見学が始まるが、本日は先日亡くなられたヤンタン・リンポチェの法要が行われており、3階からスタート。
片腕の僧侶が5年かけて1本の木から彫り上げたグル・リンポチェがいる天国サントゥクパドゥリの立体曼荼羅や普賢菩薩の歓喜仏の壁画など。

ペマヤンツェ僧院
Tripadvisorより

夕食:シッキム料理トンバ:雑穀のお酒、キネマ:発酵させた豆を使った料理、モモ:野菜の蒸し餃子、トゥクパ:ヌードル入りのスープ、)と
バイキング(チキンマサラ、魚のマスタード焼き、チーズバターマサラ、ポテトカレー、マッシュルームカレー、チーズカレー、野菜パイ、豆カレー、ライス、ロティ、キール、コーヒー/紅茶/チャイ)

🛏 ぺリン泊(標高2,100m)

5日目 11月2日
早朝、ホテルのテラスから又、素晴らしい山の景色を堪能。

🚙 ダージリンまで約150kmの移動

当初、ぺリンからダージリンへの最短ルートは土砂崩れでまだ通れないとの情報だったが、昨日ようやく開通したようでラッキーだった。とは言え、悪路には変わりはない。
シッキム州と西ベンガル州の州境にて再度、パスポートを提出して出境し、途中のダージリンティーの茶畑で紅茶について説明があった。
アッサムは大きな葉で味が強く色も濃い、ダージリンは小さな葉で香りを楽しむので色も薄い。紅茶専門店の店員さんになれるほど説明を受けたが後は省略。

ダージリンの説明
この地をかつての征服者、冒険家、芸術家、詩人そして文学者たちは、
高原の宝石」と称えた。
何故なら、心をときめかす神話のような自然の風景、類まれなる美しさ、そして心を癒す大自然の佇まいが、いかに素晴らしものであるかを後世の人々に書き残しているから。

ダージリンの町とカンチェンジュンガ

19世紀にインドを植民地としていたイギリスの統治下で、在印イギリス人の為の避暑地として開発された。1834年、イギリスはシッキム王にダージリンを購入したいと申し入れ、わずかな資金でイギリスはこの地を取得。
シッキム王は数軒の保養施設が建つのだろうと考えていたが、26年の間に広範囲の領土を失ってしまい、イギリス領インドの属州となってしまった。
そのうえ、この地がお茶の栽培に適していることで大々的に茶畑の開発が行われ、そのお茶を運ぶためにトイ・トレインが敷設された。
人口は約15万人。

ホテルに到着後、昼食:チキンとアーモンドのスープ、レンズ豆のシェパーズパイ、キャベツのソテー添え、ロティ、野菜ライス、豆カレー、魚カレー、パパド、ポテトとほうれん草のカレー、ゴーヤとチーズカレー、カスタードタルト、コーヒー/紅茶

ヒマラヤ動物園
1958年、ヒマラヤ地方の動物の研究、保護などを目的として建設された。
ブラックベアー、マーコール(家畜山羊の原種で角が一角獣のようにネジネジで立派)、ヒョウ、ウヒョウ(ユキヒョウに似ている)、クロヒョウ、
ユキヒョウ(太くて長い尻尾がりっぱ)、ベンガルタイガー、ヒマラヤ狼、レッサーパンダなど。

ユキヒョウ

同じ敷地内にあるヒマラヤ登山学校
1954年にインドの登山家、軍隊、国境警備隊を教育、訓練するために設立された。
ヒラリー卿と共にエベレスト初登頂を成し遂げたテンジン・ノルゲイはネパール出身だが、エベレスト登頂の後、家族と共にダージリンへ引っ越してこの学校の責任者となった。建物の外にはテンジンのお墓があり像も立っている。

山岳博物館も併設されている。
ヒラリー卿とテンジンの初登頂の時に使用した登山用具や登山用具の変遷、ヒマラヤ山脈の動植物の標本などの展示。

上村直己氏の初登頂の写真もある。
1975年に女性でエベレストを初登頂した田部井淳子氏の写真もあって、ついこの間の10月20日に亡くなった事をガイドさんに伝えると知らなかったようでとても残念そうだった。😭

私は若い頃に彼女の講演会を聞きに行ったことがあって、休憩中にトイレに行くと列の最後に並んでいらして、誰かが「お先にどうぞ」と勧めたら、「いいえ、順番ですから・・・」と控えめな人だった。
講演内容も面白くて一度でファンになった。
ご冥福をお祈りします。

ホテルに戻りアフタヌーンティー タイム
スコーン、クッキー、サンドイッチと紅茶

夕食:スパイスキャロットのスープ、ポークのアプリコットソースがけ、ローストポテト、マッシュド・キャロットとパンプキン、ほうれん草ソテー、バターナン、豆カレー、ライス、
グリーンピース入りのチーズカレー、チキンカレー、瓜のカレー、パパド、チョコレートスフレ、コーヒー/紅茶

🛏 ダージリン泊
部屋には暖炉があって、夕方には火を入れてくれ、更に湯たんぽまで用意してくれた。

6日目 11月3日
今回の日程の中で一番の早起きでモーニング・コールが3時15分。
🚙 3時45分発でヒマラヤ展望台のある「タイガーヒル」へ向かう。

標高2,600mのタイガーヒルまでどんどん上がっていくと既に多くの見物客が陣取っており、出遅れ感満載。
何とか階段席に座ることができて、太陽が昇ってくるのを待ち続けた。
その間に暖かい紅茶の差し入れがあった。
現在、展望台では工事が行われており、長い棒など何本も立っていたりして視界が遮られてしまっていたが、カンチェンジュンガはもちろん、まあ、かろうじてエベレスト8,848mも見えた。
しかし、世界中から観光客が押し寄せてくるとはこのことで、我々が観光中にはあまり見かけなかったようなのに、いったい彼らはどこから来たのだろう?🤔

実際のエベレストはチョコンと上の部分が見えたのみ

一端、ホテルに戻り朝食

その後、トイ・トレインに乗車をするために10時ごろ、出発。

ダージリン・ヒマラヤ鉄道(トイ・トレイン)
西ベンガル州シリグリのニュー・ジャルパーイーグリー駅からダージリン駅までの約88km、高低差2000mをつなぐ登山鉄道。
線路幅は61cmのナローゲージで、線路上には6か所のスイッチバックのポイントがある。1999年に世界遺産に登録をされた。
観光用にグーム駅までの「JOY RIDE」というコースがあり、我々はそれに乗車をする。
牽引が蒸気機関車かディーゼル車になるかは出発間際になるまで分からず、蒸気機関車と分かった時は手を叩いて喜んだ。

トイ・トレイン
トイ・トレイン

10時40分発が10分遅れで出発し、大量の煙と灰を吹き出しながら時速10kmのスピードで走っていく。座席は3人掛けの席が二列になって並んでいて、狭かったが、綺麗だった。
前半はダージリンの町中を走るので線路間際までお店や民家が建っていてアブナイ、アブナイ。車はもちろん、自転車でさえ、追い抜いて行く。😉
途中、「バタシア・ループ」にて10分間の停車で、写真タイム。

バタシア・ループ

そこは広場になっていて、中央には「グルカ兵」のモニュメントが立っており、周りは綺麗なお花が咲いていた。ここも標高が高いので、辺りの景色が素晴らしい。
大きな笛の音で再度出発し、約50分でグーム駅(2,258m)に到着。
回送してきてくれた四駆に乗り換えてグーム僧院へ。

グーム僧院(イガ・チョリン・ゴンパ)
1850年、ゲルク派のサラプギャッツオによって建設された。
到着した時は僧侶が外出中でしばらく待たされたが、やっと中に入ることができた。ご本尊は約5mの弥勒菩薩像。

グーム僧院

ホテルに戻り昼食:コーンクリーム・スープ、チキンのコロッケ、ポテトとバタースクウォッシュ、ロティ、豆カレー、コーンとトマトライス、魚カレー、オクラカレー、クミンとポテト、パパド、スコーン風パンケーキ、コーヒー/紅茶

少し休憩して紅茶店へ(希望者のみ)
ホワイト・ティーが100gで5,000円もしていたのにはたまげた。それをお買い上げになった人もいて更にビックリ。

夕食:トマトクリーム・スープ、ビーフの煮込み、ポテトとカリフラワー添え、プレーンパラタ(チャパティにギーを混ぜたもの)、豆カレー、ライス、チキン、チーズカレー、パパド、ベジタブルカレー、アップルタルト、コーヒー/紅茶

🛏 ダージリン連泊

7日目 11月4日
🚙 朝食後、2日間お世話になったホテルのスタッフに見送られ出発し、帰国の途へ。
カーブが続く道をどんどん下がっていき、山を下りきると急に暑くなった。
平地ではアッサムの茶畑が広がっており、写真ストップ。

空港到着し、熱心なガイドさんとドライバーさん達4名とお別れ。

✈ 13:45 発 バグドグラ:エア・インディア(A320-200)
  15:55 着 デリー(東京組)

✈ 21:15 発 デリー:エア・インディア(787-8)

8日目 11月5日
  08:00 着 成田

今回は雪を被ったヒマラヤ山脈の絶景が見られて大満足でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?