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ラオス

(79番)  2015年   11月

ラオスへハイキングに行ってきました。
ラオスは1992年以来、23年ぶりで2度目の訪問です。

1日目 11月18日
✈ 10:00 発 成田:ベトナム航空(A330-200)
  14:15 着 ハノイ:ノイバイ空港

✈ 16:40 発 ハノイ
  17:50 着 ヴィエンチャン
時差マイナス2時間

ラオスの地図

{ラオス人民民主共和国}の説明
ランサン王国(百万頭の象)が14世紀中ごろにルアンパバーンに王都を定めた。
1953年にフランスから独立後、1975年にラオス王国が廃止され、
社会主義体制の国が誕生した。
メコン川はチベット高原に源を発し、全長4,350kmでラオス国内は
1,900kmに渡って流れる。

人口: 660万人
面積: 23万6800㎢で日本の本州とほぼ同じ
民族: ラオ族他49民族
言語: ラオ語
宗教: 上座部仏教60%、アニミズム他40%
産業: 農業、コーヒー他

レストランにて夕食

メニュー

🛏 ヴィエンチャン泊

2日目 11月19日
🚌 ヴィエンチャン市内観光

タート・ルアン寺院
3世紀頃、インドから使いの一行がブッダの胸骨を納めるために建立したと伝わる。黄金の仏塔が眩しいばかりに輝いている。

タート・ルアン寺院

パトゥーサイ
勝利の門という意味で、パリの凱旋門を模して造られた。天井にはラオスの神々と3頭の象などのレリーフがある。1967年に建築が始まったが、資金難で未だに完成していない。以前、ここに来たことは覚えている。

パトゥーサイ

ワット・シーサケット
1818年、King Anou Vongによって建立。本堂と回廊の壁を合わせると
6,840もの仏像が安置されている。

ワット・シーサケット

ワット・ホーパケオ
1565年セタティラート王の命によって建立。
1779年にシャム王国との戦争によって建物は焼失し、エメラルド仏は持ち去られ、現在はバンコクのワット・プラケオに安置されている。

ワット・ホーパケオ

レストランにて昼食

ブッダ・パーク
無数のユニークな仏像が乱雑に並べられている公園。
前回来た時は、「なんじゃこりゃ?」状態で強烈に覚えている。その時はラオスの大金持ちが趣味で作った公園だと聞いていた
実際はタイの芸術家によって建設されて、コンクリート製の200体の仏像が置かれている。天上界、地上界、地獄を表現した三層の塔があって、中にも入ることができるが、好きな人にとっては面白い場所かも。

ブッダ・パーク
3層の塔からの景色

タイとの国境に架けられた友好橋
メコン川に架かるラオスとタイを結ぶ長さ1,174mの橋を30分ほど歩くが途中までしか行けない。そこでメコン川に沈む夕陽の鑑賞。電車、車、バスなども通っている。
日本は島国なので、陸に国境がある場所に行けるなんていつでも楽しい。

レストランにて夕食

🛏 ヴィエンチャン連泊

3日目 11月20日
🚌 4時間かけてバンビエンへ向かう。
ヴィエンチャンから北へ180kmの所にあり、昔は麻薬で悪名が高かった場所。

バンビエンの風景

レストランにて昼食

先にホテルに向かい、少し休憩

👟 ハイキング ① バンビエンの田園ウォーキング
欧米人のバックパッカーにも人気の町で、メインストリートにはホテルやゲストハウスが立ち並ぶ。町を歩きながらナム・ソン川に架かる吊り橋を渡り対岸へ。ナム・ソン川は町中を流れる小さな川で背後の石灰質の山と共にバンビエンの景観を形成しており風光明媚である。次第に赤く染まる山々を眺めながら歩く。歩行約1時間で終了。

田園ウォーキング

ホテルにて夕食

🛏 バンビエン泊

4日目 11月21日
ナム・ソン川のボート遊覧
ラオスの桂林ともよばれる景色が堪能できる。二人乗りのボート遊覧で、船頭さんが漕いでくれる。
川岸には柱状節理の岩があったり、浅瀬には川海苔を取っている人がいたり、子供達が泳いでいたり、のんびりとした風景が広がっていた。

レストランにて昼食

👟 ハイキング ②タムチャン洞窟(約2時間)
ブルーラグーン
辺りは風光明媚な田園風景が広がっている。到着するとエメラルド色に輝く美しい池が。飛び込み台から高飛び込みをしたり、綱でターザンのように飛んだりして多くの人で賑わっていた。

ブルーラグーン

タムチャン洞窟
147段の階段を登って行くとライトアップされた幻想的な空間が広がっている。洞窟の中は鍾乳洞になっていて、無数の石筍と鍾乳石がある。
ここは19世紀初頭には中国の侵略から身を守るための地下壕として使われていたので、かなり広い。

タムチャン洞窟

レストランにて夕食

🛏 バンビエン連泊

5日目 11月22日
🚌 タムクンラーン洞窟へ約2時間

👟 ハイキング ③タムクンラーン洞窟
クム族とヤオ族の住むバーン・ファイセーン村にあり、その周辺のジャングルを含めて近年、外国人に公開されたばかりの場所。

タムクンラーン洞窟への入口

「クンラーンの悲恋」という昔話が伝わる。
その昔、いいなづけ同士だった二人がいた。この土地の地主が娘の母親に持参金を積んで説得し、強引にその娘との結婚話を進めた。娘はこれを拒んで自らの命を絶ち、それを追って若者も死を選んだ。この洞窟は地主が村人の非難を避けて身を隠した場所とされている。

奥までの長さは250m。石筍など大変すばらしいが薄暗くてよく見えなかった。
その為に懐中電灯を持参するように言われていた。
ただ、防災時に使う手で「ガリガリ」とハンドルを回して使うライトを持参した人がいて、周囲の顰蹙を買っていた。狭い洞窟の中で異様に大きな音がするので爆音になるのだ。しかも何度もガリガリ回すので大迷惑。
TPOじゃないけど、ここで使うために作られたものではないと思うけど。
本人は人に迷惑をかけているとは全く思っていなかったようだ。
なので、ガイドさんの説明がかき消されてしまったのは残念だった。

この雑音に関しては、辺りが「シーン」と静まり返っている時に「カシャカシャ」とポリ袋から何かを取り出そうとする人がいる。
すぐに終わればいいものの、見当たらないのか、突然整頓を始めたのか、延々と続いたりすることもあるから、迷惑な話。ブツブツ・・・

レストランにて昼食
ここは山の頂上にあり、おトイレの個室から眺める景色が絶景だった。👀

クム族
ヤオ族の子供

🚌 ルアンパバーンへ約3時間半移動

レストランにて夕食

🛏 ルアンパバーン泊

6日目 11月23日
メコン川クルーズへ
モン族の村の散策
彼らは細かな刺繍やアップリケ刺繍などの伝統工芸が得意な民族。
藁ぶき屋根の木造家屋で住んでいる。

モン族の人々

2009年に公開されたクリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」では米国に渡ったモン族達の第二世代の姿が描かれた。
また、1979年の公開の「地獄の黙示録」ではラオスのモン族を〇IAが訓練をして北ベトナムと南ベトナムとのルートを絶つためにカーツ大佐が王国を作った事が描かれている。どうもこれは実話らしい。

パークウー洞窟
市街からメコン川を上流へ30km、ボートで1時間半ほどの所にある。
中には2,000体以上もの仏像が納められている。ボートで岩壁に乗り付けたが、遠くからでも白い階段の上には既に仏像が並んでいるのが見えて、どうしてここにたくさんあるのだろうか。🤔

パークウー洞窟

レストランにて昼食

エレファントライド体験
象の数が足りないので、2回に分けて散策。
私は後発組となり、メコン川の畔に建つレストランにてしばらく待った。
先発隊が戻ってきたのが見えたら、先頭にはガイドさんが象の首の部分に跨って楽しそうにこちらに向かって手を振っていた。いや~、よく落ちないものだ。ハラハラドキドキ・・・
我々の番になり、象に乗るための足場まで移動。二人一組になって乗る。
希望者はガイドさんのように象の首に跨ることもできるので、もう一人の方が乗った。私は大人しく木枠で造られた座席に座ることにした。

当たり前だが、隣に立つと大きくてビックリする
でも、彼らはとても優しい

象に乗るのは何年ぶりだろうか。1987年にインドへ行った時、アンベール城の麓から頂上までと1995年のスリランカと今回が3回目で20年ぶりとなる。
スリランカの時は小象にそのまま跨って乗り、頭の毛が太くて硬かったのをよく覚えている。

今回の大人の象は、上から見ると頭は四角い岩が二つ並んでいるような形をしている。
ジャングルの中をぐるりとまわり、20分ほどで元のレストランの前まで戻った。
バナナを一房(5本ほど)渡されて、チップとして象さん達にあげるように言われた。
いきなり、ニューッと象の鼻が伸びてきて、一瞬「キャ~怖い」と思ったら、そう、バナナをくれと言っていたのだった。一本ちぎって渡すとすぐに食べてしまい、「はい、次」と鼻が伸びてくる。そうか、一本ずつじゃなくてもまとめて渡しても大丈夫なのだとすぐに気が付き、3回目には残りを全部渡した。そして「有難うね」と言って象さん達と分かれた。
ただ、象に乗るだけではなく、象さんと触れ合う事ができるので、この考えはとてもいいと思った。

メコン川クルーズにてルアンパバーンに戻る。

ナイト・マーケットの散策へ
シーサワンウォン通りには数多くの露店が並んでいる。
雑貨や衣類が多かった。ここは見ているだけでもとても楽しかった。

ナイト・マーケット

プーシーの丘
市内の中心近くに位置する標高150m程の丘で、328段の階段を登りきると頂上には1804年にアヌルット王によって建立された黄金の仏塔がある。
その昔、ここにたどり着いた二人の仙人がこの街が造ったと伝わる。
そこで、メコン川に夕日が落ちるのを待った。

プーシーの丘

レストランにて夕食

🛏 ルアンパバーン連泊

早朝、希望者のみ、托鉢見学と朝市へ
托鉢は個装されたお菓子やそのままのご飯をお鉢に入れるので、お互いにくっつきあってべとべとになっている。「え?あのまま食べるの?」と疑問に・・・
よく見ているとお坊さんの中には、ご飯は途中で捨てている人もいた。やっぱりね。
捨てるのではなくて、ご飯はラップに包むとか何か工夫をして差し上げればいいと思うが、あれは本当に無駄な行為としか言いようがなかった。

同じ仏教徒が多いタイに行った時に「お坊さんたちは糖尿病の人が多くて問題になっている」と聞いた。何故なら、托鉢ではご飯やお菓子など糖質の多い物がばかりしかもらえないから。皆さん、「何とか野菜をもっと入れてください」と個人的には切に願います。

托鉢の様子

🚌 朝食後、ルアンパバーンの市内観光へ

王宮博物館
フランス植民地時代の1904年から1909年にかけて、当時のシーサワンウォン王と家族の宮殿として建立。
入り口にはルアンパバーンの名前の由来となったパバーン仏が鎮座をしている黄金の祠がある。
館内には王族が使用した家具、食器、装飾品、刀や外国からの贈答品が並んでいる。
外には王族が実際に使用したリンカーンなどのクラシック・カーの展示も。

王宮博物館

ワット・マイ
1796年に70年もの年月を費やして建立された。
五層の屋根は標準的なルアンパバーン様式である。本堂の扉にある釈迦の説話やラーマヤーナ(インドのラーマ王子が誘拐された妻シーターを奪還すべく大群を率いてラークシャサの王、ラーヴァナに挑む姿を描いている)の黄金のレリーフがある。

ワット・マイ

ワット・シェントン
1560年にセティラート王によって建立。本堂裏側のタイルによって描かれた「生命の樹」のレリーフが素晴らしい。
お坊さんの説法を聞いた。

ワット・シェントン

レストランにて昼食

👟 ハイキング ④ クァンシーの滝
流れ出る水がとても綺麗なことで知られている。滝が流れる遊歩道を歩き、奥にあるコバルトブルーの滝つぼまで約1時間。

クアンシーの滝

🚌 空港へ

✈ 19:35 発 ルアンパバーン: ラオス航空(ATR72)
  20:45 着 ハノイ

✈ 00:20 発 ハノイ:ベトナム航空 (A330-200)
  07:00 着 成田

{結び}
今回は大自然の中をハイキングすることができたし、人々は擦れていないしで楽しかったです。
一部の写真はラオス観光局のサイトより引用させて頂きました。

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